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【てげ探】旧県営野球場の“気になる木”を道上アナが探る

  • 2022年09月07日

(投稿者)深江義和さん(宮崎市)
旧県営野球場に1本だけ生えている木はなんで残ってるの?

視聴者の疑問に答える「てげ探」。今回は、先日解体された宮崎市の旧県営野球場に1本だけ残る大きな「クスノキ」について道上美璃アナウンサーが調査しました。

高校球児にとって”聖地”の木

今回、疑問を寄せてくれた宮崎市の深江義和さん。実はこの方…昭和63年、宮崎南高校が春夏通して初めての甲子園出場をした時のキャプテン。高校の野球部に入り、旧県営野球場をはじめて訪れたことが今でも強く印象に残っているといいます。

深江義和さん(投稿者)
旧県営野球場は高校野球の宮崎の”聖地”。入場するとき、入口付近にあった木ですので、高校生にとっては思い出深い木だと思います。1本だけ生えているので、あの木だけなんで残っているのかと感じてました。

球場のライトスタンドの脇にあったというこのクスノキ。どんな思い出があるのか、深江さんが当時の野球仲間に声をかけ集まってもらいました。

竹内一博さん(都城工業OB)
 高校2年生の時、キャッチャーさせて頂いて、私のパスボールで負けてしまったんですね。高校生の時に1回しか泣いたことないんですけど、負けた時に…確かここら辺(木の周り)だった。

いつからクスノキはあったのか

この木の由来を知りたいと訪ねたのは県の文書センター。そこで建設当時の貴重な資料を見せていただきました。

旧県営野球場は今から86年前、昭和11年に完成しました。周囲には、陸上競技場やプール、バスケットコートやテニスコートまである総合運動場でした。図面に木は載っているのか、調べたものの…そこには木の存在は見て取れず、建設当時にこの木があったかどうかはわからないとのことでした。

クスノキの歴史を知る人物を発見

謎は深まるばかりですが、小さな手がかりも見つかりました。教えてくれたのは球場の近くに住む、長友康憲さんです。

長友康憲さん
60年ほど前に引っ越してきた、その時から木はありました。この辺りにずーっと木があったんだけど、残ったのはあの木だけです。

このクスノキ、少なくとも60年前にはこの場所に生えていたことがわかりました。

長友康憲さん
私が小さい時は、木ももっと小さかったから、結構あの上から野球観ている人もいましたね。

旧県営野球場は、昭和34年から15年間、プロ野球・巨人のキャンプ地として使われていました。長友さんも木に登り、憧れの選手たちのプレーを見ていたそうです。

木の専門家に聞いてみた

木の歴史は、直接、木に聞くしかない!ということで、樹木医の宮田義規(よしのり)さんに、クスノキの状態を診断してもらいました。

宮田義規さん(樹木医)
枝もこんもりとしていて、葉の付き方も若々しい。古くなってくると形がいびつになったり、腐ってくる部分が見えてくるので、(このクスノキは)100年は生きているだろうと。

さらに球場ができる前に作られた地図にも、この木についての手がかりがあるといいます。

宮田義規さん(樹木医)
川が流れているということは、地下に伏流水がある。地下の伏流水に根が到達していれば、元気な状態でいるということが説明つきます。この木はこの場所だからこの形になったわけで、この木が元気でずっと生き続けてほしいなと思います。

いろいろな歴史やドラマがつまった旧県営野球場。この場所は5年後、2027年の国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会が宮崎で開催されることに向けて、県内初の屋内型50mプールなど新設され、新たなスポーツの聖地として生まれ変わるそうです。ただこの木がどうなるかは、まだ未定ということで、今後も取材を進めたいと思います。

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