震災ピアノと聖火がつないだ絆
藤原陸人(記者)
2022年11月17日 (木)

10月、宮城県七ヶ浜町であるコンサートが行われ、茨城県高萩市から女性と7歳の女の子が参加しました。
2人がコンサートに参加したきっかけ。それは11年半前のあの日を乗り越えた「ローラ」と呼ばれる“傷だらけのピアノ”が生んだ出会いでした。
あの日を乗り越えた傷だらけのピアノ
10月、宮城県七ヶ浜町であるコンサートが行われました。ここで使われた1台のピアノ。
実は東日本大震災で被災したピアノです。持ち主は宮城県のピアノ講師、櫻井由美さん(57)です。
震災当時、このピアノは七ヶ浜町の櫻井さんの実家にありました。しかし、実家は全壊し津波に襲われました。
もう修復は無理かと思われたピアノでしたが、神奈川県の調律師らのおかげで半年かけて奇跡的に修復されました。
このピアノは震災当時の傷を残したまま修復されたため、西城秀樹さんのヒット曲「傷だらけのローラ」から“ローラ”と呼ばれています。
櫻井さんは、“ローラ”を通して震災を伝えていこうと、5年前からコンサートを開いています。
音を心で感じて、目ではこの傷を見て五感で感じてほしいピアノです。
茨城県からコンサート参加 出会ったきっかけは
今回のコンサートに、茨城県高萩市から参加した人がいます。高萩ひろみさん(57)です。11年半前のあの日、高萩さんも誕生日だった長男のケーキを買いに行こうとしていたとき震度6強の揺れに襲われました。
あの揺れだったので、本当にこわかった。震災当時は、ここも日々生活するだけで精いっぱいだった。
あの日から10年近くがたち、高萩さんが“ローラ”となぜ出会ったのか。それは、「復興五輪」をうたった東京オリンピックです。
当時2人はそれぞれ、聖火リレーのランナーとして参加しました。そして、全国のランナー同士で作られたSNSのグループで、高萩さんは、櫻井さんが書いた“ローラ”についての投稿を読み、心を動かされたといいます。
本当にこのがれきの中にぽつんとピアノが置いてあるっていうのに驚いた。この状態であるっていうのも奇跡的なことだったと思うので、どんなふうにしてここに置いてあるんだろうと興味深かった。
自身も音楽を学んでいた高萩さんは、SNSで櫻井さんに連絡。やりとりを重ね、親交を深めて今回コンサートに参加することになりました。
ゆっくり弾かせていただければなと思っている。皆さんにちょっとでも伝わって心安らかになっていただけるといいなと思う
震災を知らない世代にも伝え続ける
そして、コンサートの日。高萩さんは親戚で、ピアノを教えている小学2年生の小野瀬愛生衣さんを連れて、七ヶ浜町を訪れました。
震災後に生まれた愛生衣さんへ11年半前に何があったのか知ってほしかったからです。
さらに、愛生衣さんは、櫻井さんからも“ローラ”について、教えてもらいました。
「ファ」の音が出る白鍵は木がむき出しになっていること、傷やペンキがついたままになっていること…。
櫻井さんは“ローラ”を弾いた思い出や音を忘れないでほしいと愛生衣さんに呼びかけていました。
私たちの死んだあとも、このピアノには残ってもらって、震災のことを伝えてもらわなきゃいけないなと思って活動しています。
震災後に生まれた新たな2人の絆
コンサートでは高萩さんと愛生衣さんは、一緒にピアノを弾き、大きな拍手をもらいました。
愛生衣はまだ小学校2年生なので、分かっているかどうか難しいところだとは思いますが何か違うっていうのを幼いながらも感じ取っているようですのでそれだけでも良かったかな。
みんなに聞いてもらって楽しかった。普通のピアノとは違うなって思った。
高萩さんは、愛生衣さんとの演奏後、櫻井さんの伴奏で「花は咲く」を歌いました。
きれいで穏やかな海が見える会場で歌を歌いきると、会場は大きな拍手に包まれました。高萩さんはほっとした表情を浮かべて櫻井さんと笑顔を浮かべていました。
これもご縁かな。ありがたいつながりができたと思います。
茨城県も決して他人事ではない。本当に忘れないようにという思いと、鎮魂の意味も込めて歌わせていただきました。
東日本大震災では多くの犠牲があったなか、震災後、被災したピアノを通して新たに生まれた絆。
高萩さんは、ピアノのことを、茨城県の人々に伝えていきたいと考えています。
ピアノを4歳から習っていた私は、2年前に初任地の仙台放送局で“ローラ”と出会い、震災を乗り越えたピアノの優しい音色に惚れ込みました。聖火と“傷だらけのピアノ”から生まれた2人のハーモニーが今後、被災地である東北、そして茨城県にどんな音色を響かせてくれるのでしょうか。