若き球団社長 茨城への思い
沼田亮輔(ディレクター)
2022年12月28日 (水)

仕事をするのって楽しい雰囲気でやりたいですし、楽しい雰囲気じゃないと楽しいアイデアって湧いてこないなって思います。
こう語るのは今回の主人公、山根将大さん(35歳)です。
プロ野球独立リーグの球団「茨城アストロプラネッツ」の社長を務めています。一から球団を立ち上げ、シーズン4年目となる2022年に初の地区優勝を果たしました。山根さんは球団を運営する会社のほかに福祉事業を営む会社や飲食業、農業などを営む会社も経営しています。球団設立はあくまで地域課題解決の手段であるとして、地域から日本を盛り上げたいという強い思いを持つ山根さんの仕事を取材しました。
野球の力を実感
山根さんは大学まで野球に打ち込み、大学を卒業後、物流会社に就職しました。順風満帆な会社員生活を送っていましたが、すぐに転機となる出来事がありました。
ちょうど社会人1年目が終わるころ2011年3月11日に東日本大震災があって、それをきっかけに地域から日本を良くしたいなという思いが芽生え始めました。
震災に苦しむ地域に何が必要なのかを考えていた山根さんは2013年にその手がかりを発見します。東北楽天ゴールデンイーグルスの優勝・日本一です。テレビでその様子を見ていた山根さんは野球をとおして多くの人が勇気づけられるということを強く実感し、地元を野球で盛り上げる決意を固めました。
球団設立の背景
当初は自分で球団を始めることを考えていなかったといいます。
僕は一サラリーマンだったので誰かが球団をつくってくれたらそこに転職したいと思っていました。自分で会社を立ち上げるとはこれっぽっちも思っていなくて、僕にはそんな能力もないと思っていたので誰かがつくってくれるのを待とうとしました。
まず、山根さんは独立リーグの運営団体に問い合わせて、茨城に球団が設立される予定があるかどうかを確認しましたが、その予定はないとの返事を受けます。あきらめなかった山根さんは事業計画書を作成し、地元の企業に球団設立を依頼しました。そこで出会ったある企業の社長から、自分でやってみればいいのではないか、と背中を押されます。山根さんは自ら球団社長になることを決心しました。
起業と球団創設
2015年、会社を辞めて、さまざまな事業を始めます。その一つが障害のある人が働ける場所を広げる福祉事業です。会社員時代、福祉事業について学ぶ機会があり、地域のスポーツチームと福祉事業を掛けあわせることで何か新しい挑戦ができるのではないかと考えたのです。当時、茨城県内に福祉事業所が少なかったことも決め手の一つとなりました。
その後、地元企業からの支援もあり、球団を創設します。2019年、BCリーグへの参加を果たしました。4年目となった2022年シーズンはリーグで地区優勝を果たし、NPBドラフト会議での育成ドラフト指名も3年連続で達成しました。着実に実績を積み重ねる山根さんは球団事業や福祉事業、その他の事業を通して地域の課題を解決しようと日々奔走しています。

地域の拠点づくり
今年の10月、ファン感謝イベントを笠間市の廃校になった中学校で行い、選手たちと来場者が交流する運動会を開催しました。山根さんはこの中学校をさまざまな事業を連携させた複合型の施設にしようとしています。体育館は一般利用が可能でフットサルや野球を楽しむことができます。さらに職員室だった場所を改装し、カフェをオープンさせました。このカフェでは山根さんたちの福祉事業と農業事業を連携させて栽培しているくりを使ったお菓子を提供しています。今後、フィットネスジムもオープンする予定です。
地域の方々にあってよかったなと思ってもらえるようにしたいです。球団のファンの方々や地域の方々が交流できたり、選手がより成長できる環境だったり、いろいろなものがあわさった施設にしていきたいと思っています。

山根さんの仕事場
地域の課題を解決するため、さまざまな事業を行っている山根さんにとって仕事場とはどんな場所かを聞いてみました。
僕にとっての仕事場は仲間と出会える場所です。地域の課題を解決して日本のために働きたいという思いがあるなかで、何をやるにしても僕は1人でできないと思っています。思いを共感し、一緒に活動できる仲間と出会って人生を豊かにしていく、そんな場所が仕事場です。
取材後記
山根さんの明るさと笑顔の裏には茨城を盛り上げたいという熱い思いが秘められていました。球団の選手やスタッフの人選と管理、試合を初めとしたイベントの準備、球団の動画チャンネルのカメラ撮影や機材の調整にいたるまで山根さんはさまざまな仕事をしています。どんなことにも手を抜かず自ら取り組む姿勢がとても印象的で、熱意ある山根さんの周りには自然にたくさんの人が集まり、何事も常に全力投球の姿勢に感銘を受けました。今後も山根さんの取材を続けていきたいです。