おもわく。
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今なお世界中の子供たちに人気が高い「ピノッキオの冒険」。イタリアの作家、カルロ・コッローディ(1826 – 1890)が1881年に執筆した児童文学の傑作ですが、ディズニー映画の影響で「嘘をつく悪い子がよい子に生まれ変わる物語」というマイルドなイメージが定着しています。ところが「ピノッキオは愛らしいキャラクターどころか筋金入りの悪童だった」「鼻が伸びるという逸話は嘘をつくことをそれほど戒めていない」など意外な事実が数多く描かれており、大人が読んでも楽しめる豊かなメタファーの数々が仕込まれています。そこで、「100分de名著」では、瑞々しい人間描写、辛辣な社会風刺を通して、「人間の心のあり方」「社会の矛盾」な見事に描き出したこの作品から、大人をもうならせる奥深いテーマを読み解いていきます。

一本の棒きれがジェペットさんによってあやつり人形に。ところが制作の途中から暴れ出すこの人形は人間のコントロールを全く受け付けません。ジェッペットさんにピノッキオと名付けられかわいがられるも、束縛は嫌だとばかりに逃げ出してしまいます。自由を得たものの数々の試練につきあたるピノッキオは、やがて自分の導き手たる青い髪の仙女に出会います。しかし、彼女の助言もむなしく、何度も自らの欲望に負けてしまい、とうとう一匹のロバになってしまうのです。果たしてピノッキオの運命は?

近年「ピノッキオの冒険」の新訳に取り組んできたイタリア文学者の和田忠彦さんは、この作品が巷間いわれているような単なる「児童文学」ではなく、深い思想的な背景をもった、人生への洞察を読み取ることができる、大人にも読んでほしい作品だといいます。人は自分の欲望とどう向き合えばよいのか、不条理に直面したときどうすればよいかといった問題を、あらためて深く考えさせてくれるのがこの作品なのです。和田忠彦さんにイタリア文学の傑作「ピノッキオの冒険」に新たな視点から光を当ててもらい、「子どものあるべき姿」「不条理との向き合い方」といった現代に通じるメッセージを読み解いていきます。

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第1回 統一国家とあやつり人形

【放送時間】
2020年4月6日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年4月8日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年4月8日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
和田忠彦…東京外国語大学名誉教授。エーコの翻訳等で知られるイタリア文学者。
【朗読】
伊藤沙莉(俳優)
【語り】
加藤有生子

一本の丸太がジェッペットさんによってあやつり人形に。ところが制作の途中から暴れ出すこの人形は人間の制御を全く受け付けない。ピノッキオと名付けられかわいがられるも、束縛は嫌だとばかりに逃げ出してしまう。制御不可能な人形が象徴するのは、産声をあげたばかりの統一イタリアに置かれた子どもたち。当時のイタリアは、理想を実現するどころか、横暴な国家権力や流入してくる産業文明に翻弄されていた。破天荒なピノッキオの姿には、賢らに秩序への服従を強要してくる新国家に対する作者の反発も込められていた。第一回は、作者の人となりや思想性なども交え、子どもたちの生命力を象徴するようなピノッキオの破天荒さ、服従を強要するもへの根深い反発などを通して、人間社会にある光と闇を見つめる。

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第2回 嘘からの成長

【放送時間】
2020年4月13日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年4月15日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年4月15日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
和田忠彦…東京外国語大学名誉教授。エーコの翻訳等で知られるイタリア文学者。
【朗読】
伊藤沙莉(俳優)
【語り】
加藤有生子

冒険を続けるピノッキオだが、強盗に化けた猫と狐に追われ、とうとうつるし首に。児童文学の結末とも思えない結末に子どもたちから「物語を続けてほしい」との嘆願書が。そこで作者は強引なやり方で物語を続行。青い髪の仙女に命を助けられたピノッキオは、嘘をつくと鼻が伸びてしまうという事実に直面。だが、それは決して戒めなどではなかった。その一方で無実の罪で禁固刑に処せられるなど数々の不条理がピノッキオを襲う。助けを求めて仙女を訪ねるがそこにあったのは墓石だった。ピノッキオを成長させるのは「嘘」と「死」。そこには権威化するキリスト教会に対する作者の批判も込められていた。第二回は、ピノッキオが直面した試練を読み解き、人間の成長にとって「嘘」や「死」が何をもたらすのかを考える。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:和田忠彦
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第3回 子どもをめぐる労働と不条理

【放送時間】
2020年4月20日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年4月22日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年4月22日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
和田忠彦…東京外国語大学名誉教授。エーコの翻訳等で知られるイタリア文学者。
【朗読】
伊藤沙莉(俳優)
【語り】
藤井彩子(NHKアナウンサー)

旅を続けるピノッキオは「はたらきバチの村」に辿り着く。飢えるピノッキオは、お金や食べ物を恵んでほしいと頼み込むが、人々は「対価が欲しければ働け」と冷たくつきはなす。更に、強欲な大人たちに翻弄されながらもピノッキオは少しずつ自分をコントロールする方法を身についけていく。こうした物語からは、牧歌的だったイタリアが産業文明の急速な流入で翻弄されている様子や子どもを労働の道具としてしかみない当時の大人たちの価値観がうかがえるという。第三回は、混沌の只中に置かれた子どもたちの窮状への作者の告発を通して、本当の教育のあり方や子どもたちの窮状にどう手を差し延べるかといった、現代に通じる作者のメッセージを読み解く。

安部みちこのみちこ's EYE
アニメ職人たちの凄技アニメ職人たちの凄技
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第4回 「帰郷」という冒険

【放送時間】
2020年4月27日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年4月29日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年4月29日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
和田忠彦…東京外国語大学名誉教授。エーコの翻訳等で知られるイタリア文学者。
【朗読】
伊藤沙莉(俳優)
【語り】
藤井彩子(NHKアナウンサー)

ピノッキオは性懲りもなく、悪友「ランプの芯」に誘われて一年中が休みだという「おもちゃの国」へ旅立つ。だが彼らはその罰を受けるかのようにロバの姿に変わり果てる。サーカスに売り飛ばされるも、危ういところで海に逃げ出すピノッキオだが、彼を待っていたのは産業文明を象徴するかのような巨大ザメ。あえなく飲み込まれてしまうが、胃袋の中で愛するジェッペットさんと再会する。ピノッキオは脱出に成功後、自らを犠牲にしてジェッペットさんや仙女を助けようと奮闘。その結果、ピノッキオは? 一見、教訓話にみえる結末だが、いたずらや悪行の限りを尽くしたピノッキオの人生を温かく肯定的に見つめる視点も示される。いたずら好きでだらしないところも含めて子どもをまるごと肯定しているのだ。第四回は、光も闇も含めて人間を肯定する作者の深い人間観に迫っていく。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『ピノッキオの冒険』 2020年4月
2020年3月25日発売
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こぼれ話。

「ピノッキオの冒険」は私たち自身の物語だ!

小学生の頃、夢中になった「樫の木モック」というアニメーションがありました。今でもテーマ音楽を口ずさめるくらいに親しんだアニメーションでしたが、この作品がイタリア児童文学の名作「ピノッキオの冒険」の翻案だと知ったのは、それから数年後、NHKで放送された同名の海外ドラマを観たときでした。「樫の木モック」の快活さとは打って変わって、ドラマ版「ピノッキオの冒険」は、独特の哀愁が通奏低音のようにドラマ全体を貫いていたのを今でも記憶しています。

同じ作品がベースなのにこうも印象が違うのはどういうことなのだろう。子ども心にそう思ったものですが、その記憶はどこかに封じ込められたままでした。その記憶が鮮やかに思い出されたのは、今回の講師、和田忠彦さんと再会したことがきっかけでした。和田さんが「ピノッキオの冒険」の新訳をすすめられているとお聞きし、一度お話を聞いてみようと思ったのです。

和田さんからお聞きしたピノッキオ像は驚くべきものでした。アニメーションから思い描いていた愛らしいキャラはどこへやら。忠告をしてくれるコオロギをいきなり殺してしまう暴力性、何度も懲りずに誘惑に負けてしまう奔放な欲望、しまいには「ぼくは生まれつき働くのに向いていないんだ」と言い出す始末。筋金入りの悪童であるピノッキオは、既存のイメージを粉々に破壊してしまいました。

にもかかわらず、このキャラクター、どうにも憎めないのです。こんなにいい加減なやつなのに、びっくりするくらい素直ですぐに騙されてしまうし、自分を犠牲にしても友達を守ろうとする心の温かさを持ち合わせています。読んでいるうちに、「ああ、人間ってこんな風に矛盾をはらんだ存在なんだよなあ」としみじみ思うようになっていきます。

和田さんとの打合せを終えたあと、最初に述べた疑問が氷塊したような思いがしました。この、なんとも矛盾に満ち溢れたピノッキオは、読む人によっていろいろな顔をみせてくれるのではないか。だからこそ「樫の木モック」のような善良な少年少女のための明るく楽しい物語になったり、名匠ルイジ・コメンチーニ監督の手にかかれば、哀愁漂う、どこか悲劇的な香りのするドラマにもなりうる。「ピノッキオの冒険」の最大の魅力は、こんなに多様な解釈を許容する「ふところの大きさ」だったのだと合点がいったのです。そして、「ここはぜひ、イタリア文学・文化に造詣が深い和田さん流のオリジナルな解説をみてみたい」と思ったのでした。

和田忠彦さんによる愛のこもった「ピノッキオの冒険」解説は、きっと視聴者の皆さんに新鮮な発見の数々をもたらしてくれたことでしょう。私自身もたくさんの発見をさせていただきました。まさに「ピノッキオの冒険」の解釈の幅の広さに驚かされたシリーズでした。そこで、この物語の「ふところの大きさ」に甘えて、私自身が解釈した「ピノッキオの冒険」について、少し書かせていただきます。

ピノッキオという存在は、近代以前に確かに存在していた、古きよきイタリア人の姿ではないか。人がよくって、涙もろくて、マザコンで、困ったときには互いに手を差し延べあう。そのくせ、人一倍欲望に弱く、歌に、踊りに、料理に、ワインに、うつつをぬかす。働くことなんてまっぴらで、できれば朝からおいしいワインを飲んでいたい。実はこれは、かつて知人だったイタリア人の一人から私が勝手に思い描いたイタリア人像です(そんな人ばかりではないことはもちろん存じ上げています!)。わがままで享楽的で、賢らなお説教になど絶対耳を貸したくない。でも人生を心の底から楽しんでいる。そんな存在が、私たち一人ひとりの心の中にも住んでいるのではないでしょうか?

ところが、イタリア統一後に、巨大な産業文明がどっと流れ込んできて、こうした牧歌的で温かくて享楽的なイタリア的なものが、コッローディが生きた時代には、押し流されようとしていた。ピノッキオが出会う、様々な出来事の一つひとつはそのことを象徴しているように思えるのです。物乞いをしても「働くもの食うべからず」といって絶対に恵んでくれない「働きバチの村」の人々、ルール無用で無実の人たちを引っ立てていく憲兵たち、怪しい金儲け話をもちかける悪辣な詐欺師の猫や狐。これらは当時のイタリアに渦巻いていた暗黒面を象徴しているようにみえます。相互扶助によって支えられ、人々の温かさによって包まれていた社会が、近代のもつ暗黒面に蹂躙されていく。こうした状況に対して、もちまえの想像力で大人社会の欺瞞に痛烈な一撃をくらわす。そんなコッローディーの隠された意図が、私にはぐいぐいと伝わってきました。

翻って、この時代を生きる私たちは、こうした状況を他人事だと笑っていられるでしょうか? 子どもたちの貧困や経済的弱者たちに何ら有効な対策を打てない政治、法律やルールを自分たちの都合でいいように捻じ曲げる大人たち、嘘をついてもなんら恥じることのない厚顔無恥な人々……今、世界を見渡すと、実はピノッキオに出てきたような悪辣な登場人物は至るところにいるのではないでしょうか? 「ピノッキオの冒険」は、私たちの物語でもあるのです。

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