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名著、げすとこらむ。

西谷修
(にしたに・おさむ)
哲学者

プロフィール

1950年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業、東京都立大学フランス文学科修士課程修了。明治学院大学教授、東京外国語大学大学院教授、立教大学大学院特任教授を歴任、東京外国語大学名誉教授、神戸市外国語大学客員教授。フランス文学・思想の研究をはじめ、世界史や戦争、メディア、芸術といった幅広い分野での研究・思索活動で知られる。著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『夜の鼓動にふれる──戦争論講義』(ちくま学芸文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『戦争とは何だろうか』(ちくまプリマー新書)、『アメリカ 異形の制度空間』(講談社選書メチエ)などが、訳書にジョルジュ・バタイユ『非︲知──閉じざる思考』(平凡社ライブラリー)、エマニュエル・レヴィナス『実存から実存者へ』(ちくま学芸文庫)、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』(監修、ちくま学芸文庫)などがある。

◯『戦争論』 ゲスト講師 西谷修
人間にとって戦争とは何か

フランスの人類学者・社会学者であるロジェ・カイヨワの『戦争論』は、第二次世界大戦の直後に書き始められました。まずこの本の第二部にあたる「戦争の眩暈(めまい)」が一九五一年に発表され、それから第一部となる「戦争と国家の発達」が書き継がれて、約十年の月日をかけてまとめられ、一九六三年に刊行されました。その年、カイヨワはこの本により、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の国際平和文学賞を受賞しています。

第二次世界大戦は、破滅的な「世界戦争」で、文字通り世界が一つの戦争に吞み込まれました。各国が戦争に持てる最大の力や物資や人員をつぎ込んで、破壊と殺戮(さつりく)の規模は際限なく広がりました。ついには原子爆弾という殲滅兵器(せんめつへいき)までが開発され、使用されます。兵員も市民も含めて、全世界でおよそ五千万人が亡くなり、アメリカ以外では多くの都市が破壊されました。この二度目の世界戦争終結後には、第一次世界大戦のときにすでに語られていた「文明の没落」が、ついに実現してしまったのではないか、というムードが漂いました。未来の崩壊と引きかえにやっと終わったかのような戦争、それがどうして起こったのか、「文明」を目指していったい人間はこれまで何をやってきたのか、それが深刻に問われたのです。

それと同時に、もう一度この世界に新しい秩序をつくっていこうという、国家を超えた政治の動きも始まります。国際連合(国連)という組織ができ、二度と大きな戦争を引き起こさないための国家間の仕組みをつくろうとします。ただし戦争は先進国だけでなく後発の途上国からも起こるから、それを防ぐためにそれぞれの国の社会も豊かにしていかなければならない。そのためにはまず教育が必要だということで、世界の国々の教育を振興し文化を豊かにする目的で、ユネスコという国連の機関もつくられます。

カイヨワは、もともと二十世紀初頭におこったシュルレアリスム(超現実主義)の芸術運動から出発して、「遊び」や「祭り」といった、それまで人間に役立つとは思われていなかった、むしろ無駄だとさえ思われていたことの重要さに注目し、そこを立脚点としてさまざまな考察を続けた人です。第二次世界大戦中、カイヨワは南米のアルゼンチンにいました。大西洋の反対側からヨーロッパの戦禍を見ていたのです。そして戦後の四八年から、世界の平和づくりの拠点として発足したばかりのユネスコに勤めます。そこで思索を重ねながら、ユネスコの教育・文化振興にそれまでとは違う新しい考えを注入していこうとしたのでしょう。

というのも、「戦争の終わり」は純然たる平和の回復になったのではなく、その「平和」は破滅の核戦争の予兆に曇った、「棚上げされた平和」だったからです。あるいは、恐怖で「凍結された戦争」だったのかもしれません。「戦後」はすぐに「冷戦」の状況に入ります。人間は懲りずにまた戦争をする姿勢を崩さない。これはほとんど人間の性(さが)なのではないか。カイヨワは、一般的な政治的考察や歴史的考察ではなく、人間とその社会の本質に、どうしようもない「戦争への傾き」があると考え、それを見つめて、人類の行方を考えようとしました。

戦争を全般的に考察し、それについて論じる本は、クラウゼヴィッツの『戦争論』(一八三二〜三四)という古典をはじめとして、西洋近代以降、つまりフランス革命以降の近代国家体制が成立してから、折あるごとに書かれるようになりました。それらは国家間戦争という枠組みを前提にして、戦争をする国家や軍人の立場から、技術的にいかにそれを成功させるか、またなぜ失敗したか、あるいは政治的にいかに回避するか、といった議論が一般的でした。ところがカイヨワは、それとは違った形で、「人間にとって戦争とは何か」という問題に真正面から取り組みました。なぜなら、二十世紀の戦争は「世界戦争」であり、あらゆる人びとの生存を巻き込む人類的な体験だったからです。もはや戦争は単に国家の問題でもなく、また軍人や政治家だけの問題でもなく、われわれ万人にとっての、あるいは人類にとっての問題だと考えたのです。

ですからカイヨワは、軍事的な戦略や国家の政策の善し悪し、あるいは人間の善悪の問題としてではなく、人類学者・社会学者の視点から戦争を考えました。集団としての人間の「あり方の問題」として、人間とはこういうものなのだと、いったん受け止める。そして戦争を、総じて人間の文明そのものと不可分の事象として扱います。そのようにして書かれた本が『戦争論』なのです。

よく考えてみると、そもそもあらゆる物語は戦争から生まれたと言っても過言ではないでしょう。古代メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』や、古代ギリシアのトロイ戦争を題材にしたホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』からしてそうです。戦争という破滅的な体験から、それを語り出そうとする止みがたい営みが生まれます。勝った者たちはそこから英雄譚や武勲詩をつくり出すでしょう。敗れた者たちは、命があれば自分たちの運命を哀歌に託し、仲間を悼み、自らを悲しみ、そのことを生きてゆく糧にします。人びとの運命を翻弄する戦いが、そのようにして共同の語りを生み出したのでしょう。それが時間の秩序に従って整理され、因果関係を語るようになると、「歴史」になるわけです。「物語」と「歴史」は、ギリシア語ではどちらも historia(ヒストリア)です。それは戦争から生まれた。それくらい、戦争とは人間にとって根本的な体験だったのです。

カイヨワは、若い頃にジョルジュ・バタイユという作家・思想家から決定的な影響を受けています。そのバタイユが著した『内的体験』(一九四三)や『有罪者』(四四)は一種の戦争手記であり、特異な経済学を理論的に展開した『呪われた部分』(四九)も、じつはみな戦争の考察といってもよいものです。
若い頃のわたしは、ベトナム戦争や日米安保問題などで、社会が全般的にざわつく空気の中でものを考え、本を読みながら、たぶん相当混乱していたと思います。ただ、その当時はいまと違って、本を読むことが若者にとっての糧だった時代でした。

いろいろな本を読みましたが、わたしが特に惹かれたのが、二十世紀フランスのバタイユやモーリス・ブランショといった作家です。彼らは自分たちが置かれている「西洋」というものの限界を直視し、「世界戦争」時代の人間の生存の条件を突き詰めて考えた人たちでした。彼らの作品には、思考と文学の表現の境がなくなっていくという特徴があります。それは極限体験について書こうとしているからです。そこにはもはや生死の境すらもなく、知的な経験の限界領域において人は何を言うことができるのか、という課題との格闘がありました。真っ暗闇の中で、それでもこの世界にはトクトクと脈打つ何かがある。それは見ようとしても見えず、触れてみなければ分からない。そうした極限の思考体験を、わたしはかつて「夜の鼓動にふれる」という言葉で表現しました。

そのときに、こういう作家たちを生み出した「世界戦争」とは何なのだろうと、改めて本格的に考えるようになったのです。その頃読んだ戦争に関するさまざまな本の中に、もちろんカイヨワの『戦争論』もありました。この本は、戦争を人類学的な概念である「聖なるもの」と結びつけて考えるという際立った特徴を持っていると同時に、直接語られてはいませんが、背後にバタイユの巨大な影があります。そういう意味でも、わたしにとって特別な意味のある本なのです。

この機会に、カイヨワの『戦争論』を読み解きながら、同時にバタイユのことやわたし自身の考えもお伝えしたいと思っています。そして「人間にとって戦争とは何か」について、カイヨワの時代には存在しなかった戦争、つまり現在進行形の「テロとの戦争」に至るまでを、みなさんと一緒に考えていくことにしましょう。

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