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名著、げすとこらむ。

松永美穂
(まつなが・みほ)
早稲田大学教授・ドイツ文学者

プロフィール

愛知県生まれ。東京大学文学部独文科卒業、同大学大学院人文社会研究科博士課程満期単位取得。同大学助手、フェリス女学院大学国際交流学部助教授を経て、早稲田大学文学学術院教授。専攻はドイツ語圏の現代文学。翻訳家。主な著書に『ドイツ北方紀行』(NTT出版)、『誤解でございます』(清流出版)が、主な訳書にシュリンク『朗読者』(毎日出版文化賞特別賞)、『階段を下りる女』( 共に新潮社)、ヘッセ『車輪の下で』、リルケ『マルテの手記』(共に光文社古典新訳文庫)、メルケル『わたしの信仰キリスト者として行動する』( 新教出版社)、メッシェンモーザー『リスとお月さま』(コンセル)、ウーヴェ・ティム『ぼくの兄の場合』(白水社)など、編訳書にヨハンナ・シュピリ作『10歳までに読ませたい世界名作9 アルプスの少女ハイジ』(学研プラス)などがある。

◯『アルプスの少女ハイジ』 ゲスト講師 松永美穂
子どもも大人も味わえる
魅力的な原作

『アルプスの少女ハイジ』と聞けば、おそらく多くの方が、あの有名なテレビアニメを思い浮かべることと思います。高畑勲監督のもと、宮崎駿さんをはじめとする、のちに日本のアニメーション界を牽引することになるスタッフによって制作された作品です。一九七四年に最初に放送され、のちのスタジオジブリ作品にもつながるアニメシリーズです。

スイスの作家ヨハンナ・シュピリの原作小説を丁寧に読み込み、物語の舞台であるスイス高地でのロケハンまで敢行したという力作ですが、一年間で全五十二話というテレビ放送のためでもあるのでしょう、脚色によって原作を大いに膨らませていて、実はシュピリの小説とは異なる部分がたくさんあります。

例えば、アニメでハイジのおじいさんが飼っているセントバーナード犬のヨーゼフは、原作にはまったく出てきません。アニメでは親切で人当たりのいい男の子のペーターは、原作ではちょっと欲張りだったり嫉妬深い一面を持っています。また、あとで詳しく見ますが、クララの車椅子が壊れてしまうエピソードも、原作とアニメとではまるで違います。口うるさい家政婦のロッテンマイヤーさんは、原作ではアニメのようにクララと一緒に山にはやって来ませんし、クララを診るお医者さんはアニメでは影の薄い存在ですが、原作の後半では重要な役割を担っています。

おじいさんの過去についても、アニメでは「大きな声じゃ言えないけど、若いときには人を殺したっていうじゃないか……」と、第一話に村人の噂話で一言触れられるだけで、あまり印象には残りません。ところが原作では、おじいさんの暗い過去が、冒頭から詳しく語られているのです。さらに、原作では大切な主題となっている宗教的なテーマ、暴力的なシーンは、ともにアニメからは周到に排除されています。

そして、アニメを見てわたしが何よりギャップを感じるのは、ハイジもペーターも最後まで外見がまったく変化しないところです。原作では五年の月日が経って、ハイジは五歳から十歳になり、ペーターも十一歳から十六歳まで成長するのに、アニメではずっと同じ服を着て、背は全然伸びないし、相変わらず裸足で歩いている(テレビアニメでは致し方ないところなのでしょうけれど……)。

とはいえこのアニメは日本のみならず、ヨーロッパをはじめ世界各国で放送され、海外でも大変な人気を博しました。外国で最初に放送されたスペインでまず大ヒットし、放送時間を大人も見やすい時間帯に変えてくれという抗議デモまで起こったそうです。また物語の舞台のひとつとなるドイツでも繰り返し放送され、ドイツ人の多くは日本のアニメだとは知らずに見ていたというくらいです。しかし、肝心のスイスではこのアニメは放送されませんでした。「スイスインフォ」というインターネット・サイトの記事によると、長年スイス国営テレビでドイツ語放送局の文化部門を率いた人が、その理由をこう語っています。「日本アニメでは現実が美化されており、スイスの視聴者が持つイメージや習慣、体験からずいぶんかけ離れていたため、このシリーズは拒否されるかもしれないと考えた」。また、いかにも「スイスの典型的なイメージ」であるセントバーナード犬の登場や、「大きな目をした、いつも同じ表情のハイジも批判の対象」となったといいます。

視点を変えれば、もし日本を舞台にしたアニメをスイス人が作ったとしたら、おそらくは日本人も、そこで描かれる日本のイメージに対して違和感を覚えることでしょう。外国映画などでしばしばエキゾチックに美化され、あるいは誇張された日本や日本人に、ギョッとすることがありますよね。そう考えると、先の意見もわかる気がします。

ところで、「ハイジ」という名前は、ドイツ語の発音だと「ハイディ」なのですが、日本では「ハイジ」としてすっかり定着しています。アニメ化されるずっと以前から、『ハイジ』の物語は日本でも親しまれてきました。

日本で最初にこの作品を翻訳したのは、作家の野上弥生子です。一九二〇年(大正九)に家庭讀物刊行會から『ハイヂ』という題で刊行されました。英語からの重訳でしたが、一九三四年(昭和九)には『アルプスの山の娘(ハイヂ)』と改題され、岩波文庫から再刊されて多くの読者を得ます。

ちなみに、そのころに出版されたちょっと変わった翻訳に、一九二五年(大正十四)の山本憲美訳『楓物語』があります。野上訳と同様に英語からの重訳ですが、この本では舞台はヨーロッパのまま、登場人物の名前だけが日本風に変えられているのです。なんとハイジは楓、ペーターは辨太、クララは本間久良子、ロッテンマイヤーさんは古井さん、デーテ叔母さんは伊達さん……といった具合。面白いですね。

その後、『ビルマの竪琴』の作者としても有名な竹山道雄により、ドイツ語原文からの初の完訳が一九五二年(昭和二十七)に刊行されたほか、短縮版やリライト、絵本をふくめて実に数多くの翻訳本が出版され、その数はおよそ百五十種類にのぼるそうです。なかでも矢川澄子さんや上田真而子さんによる新訳は現在の定番ですし、また池田香代子さんや、かく言うわたしも『ハイジ』の翻訳者の列に名を連ねています。ハイジ人気は今もなお衰えるところを知らず、いまだに日本をふくめ、世界中の人々の心をとらえ続けているのです。

わたし自身は子どものころ、たぶんリライト版で『ハイジ』を読んではいましたが、そのときはおおよそストーリーの印象が残っただけで、むしろバーネットの『小公女』に夢中でした。『ハイジ』のアニメが放送されブームになった当時も、有名な主題歌こそ知っていて歌えましたが、もう中学生になっていたので、熱心に見るという感じではありませんでした。

わたしが『ハイジ』に強く興味をそそられるようになったのは、大学の教員になってからです。以前勤めていた大学の卒業論文で『ハイジ』を取り上げた女子学生がいました。その指導のために初めて原作を丁寧に読んでみたら、読み応えがあって面白かったのです。それから『ハイジ』の抄訳を二年間雑誌(「百万人の福音」いのちのことば社、二〇一三~一四)に連載する機会もあり、また短縮版のリライトの仕事(『アルプスの少女ハイジ(10歳までに読みたい世界名作⑨)』学研プラス、二〇一五)もふくめ、『ハイジ』を扱うきっかけが何度かあったので、ますますこの作品に惹かれていきました。

さて、みなさんはシュピリの原作を完訳版でお読みになったことがあるでしょうか? アニメや絵本もいいけれど、原作を読めば、新鮮な感動を味わえるはずです。故郷や家族の喪失からの人間回復の物語は、子どものみならず大人の読者の心も慰め、希望を感じさせてくれることでしょう。普遍的で古びることのない優れた文学作品としての『ハイジ』の魅力を味わい、その秘密を一緒に探っていきましょう。

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