おもわく。
おもわく。

1974年に日本でアニメーション化され、今なお圧倒的な人気を誇る「アルプスの少女ハイジ」。スイスの作家、ヨハンナ・シュピリ(1827 – 1901)が1880年に執筆した児童文学の傑作ですが、日本ではアニメ作品があまりにも有名であるが故に、原作に触れる機会が著しく少ないといわれています。ところが、原作には、かつて傭兵として殺人も犯したことがあるおじいさんの心の闇、成長したハイジが発する宗教的ともいえる奥深い思想、クララの医師クラッセンの深い喪失体験と再生など、アニメ作品では割愛された、優れて文学的な要素がたくさん盛り込まれています。そこで、「100分de名著」では、瑞々しい人物描写、生き生きとした心理描写を通して「人間の生き方」や「心のあり方」を見事に描き出したこの作品から、大人をもうならせる奥深いテーマを読み解いていきます。

 孤児となり叔母デーテに育てられたハイジは、やっかいばらいのようにしてアルムの山小屋にひきこもるおじいさんの元へあずけられます。暗い過去をもち人間嫌いとなり果てていたおじいさんは、当初こそ心を閉ざしていましたが、天真爛漫に明るさをふりまくハイジに魅了され心をほどいていきます。しかし蜜月は長くは続きませんでした。デーテの身勝手によってハイジはフランクフルトに連れ去られ、おじいさんから引き離されてしまいます。足の不自由な良家の少女クララ・ゼーゼマンの話し相手を申しつかるハイジは、彼女と友情を育んでいきますが、執事ロッテンマイヤーの厳しい躾やアルムの大自然とはかけ離れた過酷な都市の環境は、やがてハイジを心の病へと追い込んでいきます。果たしてハイジの運命は?

近年「アルプスの少女ハイジ」の新訳に取り組んできたドイツ文学者の松永美穂さんは、この作品が巷間いわれているような単なる「児童文学」ではなく、深い思想的な背景をもった、人生への洞察を読み取ることができる、大人にも読んでほしい作品だといいます。人は「心の闇」とどう向き合っていけばよいのか、人間にとって本当の豊かさとは何か、真の家族のあり方とはどんなものなのか……といった人間誰しもがぶつかる問題を、あらためて深く考えさせてくれるのがこの作品なのです。松永さんにシュピリの名著「アルプスの少女ハイジ」を新しい視点から読み解いてもらい、「文明と自然は和解することができるのか」「人はどうしたら幸福になれるか」といった普遍的な問題を考えていきます。

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第1回 山の上に住む幸せ

【放送時間】
2019年6月3日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年6月5日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年6月5日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
松永美穂…早稲田大学教授。ベストセラー「朗読者」の翻訳で知られるドイツ文学者
【朗読】
安達祐実(俳優)
【語り】
目黒泉

心の中に深い闇を抱え、アルムの山小屋にひきこもるおじいさんの元にあずけられることになったハイジ。最初は心を閉ざしていたおじいさんだったが、ハイジの天真爛漫さに触れ少しずつ心をほどいていく。ハイジ自身も大自然の中で、瑞々しい感受性を育んでいく。その成長物語には、「子どもの眼を失ってしまった大人たち」に対するメッセージとして、子どもがもつ豊かな可能性やそれを育む大自然の豊かさを訴えるシュピリの深い思想性がうかがえる。第一回は、作者ヨハンナ・シュピリの人となりや思想性なども交えながら、私たち大人が見失いがちな「子どもの眼」をもつことの豊かさや可能性を考えていく。

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第2回 試練が人にもたらすもの

【放送時間】
2019年6月10日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年6月12日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年6月12日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
松永美穂…早稲田大学教授。ベストセラー「朗読者」の翻訳で知られるドイツ文学者
【朗読】
安達祐実(俳優)
【語り】
目黒泉

山で幸せに暮らしていたハイジだが、叔母デーテの身勝手さからフランクフルトに連れ去られてしまう。ハイジを待っていたのは足が不自由なお金持ちの娘クララ。病弱な彼女のよき友人となるよう申しつけられるハイジだったが、執事の厳しい躾や都市の過酷な環境は、豊かな心をもったハイジをがんじがらめにし、追い詰めていく。その一方でハイジはクララのおばあさんに文字や文化の素晴らしさを教えてもらう。ハイジは、都市文明から、厳しい抑圧と新たな豊かさという二つの影響を被る。そこには文明と自然がもつ光と影を見つめぬいたシュピリの深い思索が反映している。第二回は、ハイジが直面した試練が彼女に何をもたらしたかを読み解き、人間にとって本当の豊かさとは何かを問い直す。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:松永美穂
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第3回 小さな伝道者

【放送時間】
2019年6月17日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年6月19日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年6月19日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
松永美穂…早稲田大学教授。ベストセラー「朗読者」の翻訳で知られるドイツ文学者
【朗読】
安達祐実(俳優)
【語り】
目黒泉

心の病へと追い込まれたハイジ。その症状を見抜いたのはクララの医師クラッセンだった。これ以上、都市文明の檻に彼女を閉じ込めておけば取り返しのつかないことになる。医師の助言により山へ帰れることなるハイジ。厳しい試練を乗り越えたハイジは、自分が大自然から学んだこと、そして文明から学んだことを見事に自分の中に融和させ、心の闇をかかえたおじいさんや、喪失感を抱えて山を訪れた医師クラッセン、ペーターのおばあさんらを再生へと導いていく。第三回は、試練を乗り越えたハイジの境地を読み解き、文明と自然をどう融和、和解させていけばよいかを考えていく。

安部みちこのみちこ's EYEアニメと違いすぎ!
アニメ職人たちの凄技アニメ職人たちの凄技
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第4回 再生していく人びと

【放送時間】
2019年6月24日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2019年6月26日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2019年6月26日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
松永美穂…早稲田大学教授。ベストセラー「朗読者」の翻訳で知られるドイツ文学者
【朗読】
安達祐実(俳優)
【語り】
目黒泉

医師クラッセンの助言により、健康を取り戻すためアルムの山を訪れることになるクララ。大自然とハイジに導かれるように彼女は再び歩く力を取り戻していく。だが、その一方でハイジの友人ペーターの嫉妬心や暴力性も描かれていく。人間が再生していくためには一筋縄ではいかないプロセスがあるのだ。そして、やがて老いや死を迎えねばならないおじいさんに対して、医師は、自分もハイジの養父になり一緒に育ていこうと呼びかける。ここには、作者シュピリが提示する新たな家族像も込められている。第四回は「人が再生していくには何が必要か?」「本当の家族の形とは?」といった普遍的テーマを考える。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『アルプスの少女ハイジ』 2019年6月
2019年5月25日発売
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こぼれ話。

解説の中にある「優しさ」

ドイツ語圏の文学を久々にやってみたい。そう思ったのは、カフカ「変身」を取り上げてから5年も歳月がたっていたからでした。ゲーテ、トーマス・マン等々、まだまだ取り上げていない魅力的なドイツ語圏の文学はたくさんあります。まずはドイツ文学に詳しい研究者に相談をすることから始めようと思い、考えを巡らせてみました。

日頃から魅力的な語り口をもつ研究者がいないか確認するために、各所で行われるトークイベントをまめにチェックするようにしています。過去の記憶の中から、真っ先に思い出したのは、シュリンク「朗読者」の翻訳者で知られる松永美穂さんのことでした。最初にお会いしたのは、作家の小野正嗣さんとの翻訳文学に関するトークショー。松永さんの言語に関する細やかな感性に大変感銘を受けました。続いて、東京外国語大学で開催された翻訳史に関するシンポジウム。こちらはゲーテ「ファウスト」の翻訳史に関するとても興味深い発表でした。

もともとヘッセ「車輪の下で」やリルケ「マルテの手記」など、松永さんの翻訳を愛読していた私は、実際にイベントを拝見しての語り口も魅力的な松永さんに、まずはいろいろとドイツ文学について聞いてみようと考えて、昨年末、研究室を訪ねました。

もちろん候補としては、ヘッセやリルケが念頭にあったのですが、ヘッセで一番有名な「車輪の下で」は4回やるには少しサイズが短すぎる。リルケについては、魅力的だと思ったのですが、果たして詩人のリルケの代表作として「マルテの手記」でよいのだろうか? 「ドゥイノの悲歌」といった詩のほうがよいのではないか?という迷いが私の中にありました。

考えあぐねいた私に「『アルプスの少女ハイジ』はどうでしょうか?」と提案してくださったのが松永美穂さんご本人でした。最近、雑誌の連載で「アルプスの少女ハイジ」第一部をずっと翻訳してこられたといいます。そのコピーもいただいて読んだのですが、これが実に瑞々しい翻訳でした。実際に、安達祐実さんが朗読した翻訳はこちらがベースになっています(残念ながらまだ書籍化はしていませんが)。

たまたま別件でメールのやりとりをしていた小野正嗣さんからも「松永さんでやるならば『アルプスの少女ハイジ』がいいと思いますよ」というメールを同時期にいただいていました。かつて私もアニメーションの「アルプスの少女ハイジ」を少年時代に夢中になって観ていた一人。原作がアニメとは違った魅力をもっているとしたらチャレンジする価値は高いかも、と心が傾き始めていました。

松永さんと打ち合わせを続ける中で、実はハイジのおじいさんは過去に賭け事やお酒で全財産を使い果たし傭兵になって姿をくらましたという暗い過去をもっていること、クララの医師であるクラッセンさんが実は後半の物語の鍵を握っていること、ペーターの中に深い心の闇があり嫉妬に駆られて暴力性を発動することなど、アニメでは描かれない意外な事実が描かれていることをお聞きし、私自身ますます原作の物語にのめりこむようになりました。松永さんから丁寧な解説を受ける中で「この物語は、大人にこそ読んでほしい豊かな文学性にあふれている」と直観し、番組で取り上げることを決意したのです。

番組制作を通して、個人的に最も印象に残ったのは、やはり医師のクラッセン先生でした。妻や子供を亡くして深い喪失感を抱いているクラッセン先生の姿が、山でのハイジとの対話で浮かび上がってくるシーンは胸がしめつけられるようでした。そのクラッセン先生が、山の美しい自然、おじいさんとの友情、ハイジの優しさに触れながら再生していく姿は、アニメーションだけでは感じることができなかった深い感動を与えてくれました。更には、ラストで幼いハイジのこれからを支えるために、自分自身が養父になることを告げるクラッセン先生の姿には、血がつながらなくても築くことができる新しい家族像をかいまみることもできます。今、現代人の私たちが生きるうえで学ぶべきヒントがたくさん込められていると感じました。

またドイツ語の専門家でもある松永さんから飛び出す、ドイツ語の意外な魅力にも目を開かされました。子ヤギの「ユキちゃん」と訳される元々のドイツ語の固有名詞が、実は「雪」という言葉以外に、「飛び跳ねる」というニュアンスをもった言葉との組み合わせから成り立っていることから、「ユキピョン」と翻訳された松永さんのセンスには脱帽でした。こんな魅力的な松永さんの新訳で書籍が出版されることを願ってやみません。

松永さんの解説の言葉のはしばしに、にじみ出ているのは、一言でいうと「優しさ」「包容力」ではないかと思います。私自身、研究室にお邪魔するたびに、海外からお土産の紅茶をいれてくださったり、ヨーゼフ(原作には出てこないハイジの友達の犬)のハンカチーフのプレゼントをいただいたり(たぶん私のイメージにぴったりだったのでしょう笑)、たまたま訪ねてきたドイツ人の学生さんをご紹介いただき楽しく語らったりと、毎回、松永さんの優しさ、包容力に包まれました。

そんな松永さんならではのお人柄が、番組の解説にはあふれていたと思います。お人柄と名解説は実は底のところでつながっているのだなあと、しみじみ実感するシリーズでした。

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