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名著、げすとこらむ。

河合俊雄
(かわい・としお)
京都大学教授・臨床心理学者

プロフィール

1957年奈良県生まれ。臨床心理学者、ユング派分析家。京都大学大学院教育学研究科博士課程修了Bチューリッヒ大学にて博士号取得。心理療法家としてスイス・ルガーノのクリニックに2年間勤め、帰国後、京都大学大学院教育学研究科教授等を経て2007年より京都大学こころの未来研究センター教授。2018年4月より同センター長を務める。IAAP(国際分析心理学会)会長。著書に『概念の心理療法──物語から弁証法へ』(日本評論社)、『ユング派心理療法』(ミネルヴァ書房)、『村上春樹の「物語」──夢テキストとして読み解く』(新潮社)、『心理臨床の理論』(岩波書店)などがある。

◯『河合隼雄スペシャル』 ゲスト講師 河合俊雄
こころの物語を読み解く

人生には心躍る日もあれば、どんより曇る日もあります。様々なことに心を砕き、痛め、心が折れてしまうこともあるでしょう。それは時に思わぬ身体症状を伴い、あるいは周囲との軋轢(あつれき)を生んで、私たちを悩ませることになります。
本書で紹介する河合隼雄は、そうした人々の悩みや病に寄り添い、半生をかけて心の深層を見つめ続けた臨床心理学者です。一九六五年、三十七歳の時にスイスのユング研究所で日本人として初めてユング派分析家の資格を取得し、箱庭療法をはじめとする心理療法を日本に導入しました。以来、二〇〇七年に七十九歳でこの世を去るまで、臨床での経験や知見を礎(いしずえ)として、日本人の精神構造や日本の文化を独自の視点で洞察しました。学術書から親しみやすいエッセイまで、実に二百冊を超える著作があります。
今回は、その中から『ユング心理学入門』(培風館/岩波現代文庫)、『昔話と日本人の心』と『神話と日本人の心』、さらに『ユング心理学と仏教』(以上、岩波現代文庫)の四作を取り上げ、その思索の足跡を辿ってみたいと思います。
第1回と第2回で取り上げる『ユング心理学入門』は、河合隼雄が日本語で書いた最初の著作で、西洋で彼が学んだユング心理学を、日本の事情を考慮しつつ解説しています。ユングの手による極めて晦渋な論文をベースとしていますが、それを換骨奪胎し、自身の言葉と事例を用いてわかりやすく論じているのが特徴で、彼の人間観察力や生き生きとした描写には、刊行から半世紀を経た今も読むたびに驚かされます。
第3回は『昔話と日本人の心』を『神話と日本人の心』と併せて紐解いていきます。この二作は、日本人の心にふさわしい心理学を模索していた著者が歳月をかけて書き上げた作品で、『昔話と日本人の心』は学術的にも完成度が高く、一九八二年に大佛次郎賞を受賞しています。最晩年に出版された『神話と日本人の心』はライフワークとも言うべきものです。
日本人の心の深層を探る旅路を描いていると同時に、その到達点ともいえるのが、最終回で取り上げる『ユング心理学と仏教』です。これは心理療法のあり方を仏教との関わりの中から捉え直したもので、河合隼雄の著作における一つの頂点を示しており、今後の可能性を示しているものともいえます。その頂(いただき)に広がる景色を、最初の作品を書いている時点ですでに著者が直感的に展望していたということも、四つの作品を順に読み解いていくとお気づきいただけるでしょう。
興味深いことに、ライフワークとして取り組んだ神話や仏教に対して、実は若い頃の河合隼雄は拒絶反応を示していました。一九二八年に兵庫県の丹波篠山に生まれ、十七歳で敗戦を迎えた、いわゆる「戦中世代」に属する彼は、軍国主義下の非合理な教育を受け、それを正当化するために利用された日本の神話に強い嫌悪感を抱いていたのです。
次第に日本的な、曖昧なもの一切を毛嫌いするようになり、西洋の近代合理主義や科学的思考方法を追求して京都大学理学部数学科に進学。卒業後は高校の数学教師となりました。この頃の彼は科学万能主義で、仏教の教えも非合理なものとして歯牙(しが)にもかけず、高校教師の仕事を「自分の天職とさえ感じていた」(『ユング心理学と仏教』)と綴っています。
しかし人生とは不思議なもので、その仕事が彼を心理学へ、毛嫌いしていたはずの日本的なものへと誘うことになりました。若く熱心な教師は多くの生徒から悩みの相談を受け、彼らに「責任ある対応をするため」(同前)に臨床心理学の勉強を始めたのです。
高校で教鞭をとる傍ら京都大学大学院で心理学を学び、さらにフルブライト留学生としてUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)心理学部の大学院に進学。ロールシャッハ法(*)を学ぶために師事したブルーノ・クロッパー教授がユング派の分析家であったことから、まさに「偶然にユング派に導かれた」(同前)のでした。臨床や研究活動に加え、臨床心理士の資格整備、晩年には文化庁長官(二〇〇二~〇七年)を務めるなど多方面で活躍しましたが、本人にしてみれば、まったく予想もしない人生だったろうと思います。河合隼雄の人生そのものが、意識に対立するものを取り入れていく「個性化」や「自己実現」を中心に置くユング心理学を体現しているともいえます。
河合隼雄の著作を通読すると、一つのキーワードが浮かび上がります。それは「物語」です。人間の心を考える素材として、『古事記』や『源氏物語』、民話から現代的なファンタジー、子どもの本に至るまで、様々な物語を取り上げています。
彼は物語の世界から隠れた原石を掘り出す名手でした。出会った物語の数だけ発見があり、それを「もう一度物語る」というスタイルを持っていたことが多作につながったのではないかと思います。
その一作一作に独特の魅力と説得力があるのは、「構造を読む」ことに優れていたからでしょう。そこには数学者としての才も働いていたと思います。昔話や神話からどのようなイメージの原石を掘り起こし、それらにどのような構造を見出して磨き上げていったかについては、第3回、第4回で詳しくお話しします。
物語から構造を読み解くという作業は、心理療法に通じるところがあります。クライエント(来談者)が紡ぐ物語に耳を傾け、隠されたプロットを共に辿っていくのがセラピストの仕事。大切なのは、そこに勝手な解釈をはさまないことです。河合隼雄の臨床は、繰り返し本人も強調しているように「何もしない」ところに一番の特徴があります。何もしないことで器を提供し、クライエントの自己治癒力や、その結果として起こることに対して、彼は常にオープンであろうとしていました。とはいえ「何もしない」療法は時間を要します。今は、何事においても効率や即効性、経済性、科学主義的なものが重視される時代。心理療法の現場も例外ではありません。河合隼雄が取り組んできたことや考えてきたことは、マイノリティになりつつあります。
しかし経済優先主義や、グローバルスタンダードという型にはめることの限界、あるいは反動が近年、世界各地で顕在化しています。原理主義やナショナリズムは、その最たるものでしょう。それを突き動かしているのも、人間の「心」です。今の物事の進め方、考え方は本当に正しいのか、日本の文化は、世界はどこに向かっているのか、このままで人間は幸せでいられるのか─。河合隼雄の著作を再読することは、そうしたことを考える上でもヒントになるのではないかと思います。
私は期せずして父・河合隼雄と同じ道を歩むことになりました。同じ分野で長く仕事をしてきたとはいえ、自分の父の著作を紹介することに、やりにくさを感じないわけではありません。親子、師弟といった近親者を結び付けるリビドー(心的なエネルギー)は、しばしばネガティブに働きます。それを避けるため、心理療法ではクライエントと一定の距離を保つ訓練や様々な決まりごとを設けています。
その訓練を受け、臨床での経験を重ねてきたという意味で、父やその著作についても、ある種の距離感をもって語ることができるのではと思います。彼が他界した後、遺された大量の著作を編集するために読み直す必要に迫られ、その中で改めて気づいたこともたくさんあります。そうしたことも含めて、父であり、師であり、同志でもある河合隼雄の考えや思いを「もう一度物語」り、皆さんに、そして次の世代に伝えていくことができればと考えています。

*ロールシャッハ法
スイスの精神科医ロールシャッハ(一八八四~一九二二)が考案した投影法による性格診断法。左右対称のインクの染みでできた曖昧な図形を見せて何に見えるかを問い、その答えからその人の性格や思考様式、対人関係など心の構造の特徴を診断する方法。

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