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名著、げすとこらむ。

原 武史
(はら・たけし)
放送大学教授、政治学者

プロフィール

1962年東京都生まれ。放送大学教授、明治学院大学名誉教授。早稲田大学政治経済学部卒業、東京大学大学院博士課程中退。専攻は日本政治思想史。『〈出雲〉という思想』『皇后考』(講談社学術文庫)、『「民都」大阪対「帝都」東京』(講談社選書メチエ)、『大正天皇』(朝日文庫)、『可視化された帝国』(みすず書房)、『完本 皇居前広場』(文春学藝ライブラリー)、『滝山コミューン一九七四』(講談社文庫)、『昭和天皇』『「昭和天皇実録」を読む』(岩波新書)、『知の訓練』(新潮新書)、『団地の空間政治学』(NHKブックス)、『〈女帝〉の日本史』(NHK出版新書)、『松本清張の「遺言」』(文春文庫)など著書多数。

◯『松本清張スぺシャル』 ゲスト講師 原 武史
昭和史の闇を照らす

松本清張が作家デビューしたのは一九五〇(昭和二十五)年、四十一歳のときです。以来、八十二歳で亡くなるまでの四十余年に、長篇小説、短篇小説、ノンフィクション、評伝、日記など、あわせて約千篇の作品を残しました。昭和を代表する国民作家です。
戸籍によれば福岡県郡村(現・北九州市小倉北区)に生まれ、現在松本清張記念館が建っている小倉市(同)で育った清張は、高等小学校卒業後、給仕、印刷所の版下工を経て、一九三九(昭和十四)年から朝日新聞九州支社(のち西部本社)広告部に意匠係として勤務しました。五〇(昭和二十五)年、はじめて書いた小説『西郷札』が『週刊朝日』の懸賞小説三等に入選。五三(昭和二十八)年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞、その三年後に朝日新聞を退社し、専業作家となりました。 清張のように九州で新聞社に勤め、その後作家になった人に大西巨人がいます。清張より七歳年下の大西は九州帝国大学(現在の九州大学)を中退後、毎日新聞の記者になっていますが、清張は花形の記者にはなれず、いまでいうところの広告デザインの部署で長い下積み生活を送りました。
大西の作品には、舞台として対馬を含む九州地方がよく登場します。清張の場合、作品の舞台は九州に限らず全国に広がるのですが、しかし、古代史の舞台としての九州、特に故郷の福岡県を中心とする北部九州が常に意識されていた点は共通しているように思います。「地方から中央を相対化する視線」と言えるのかもしれません。
北部九州は単なる地方ではありません。そこはもともと畿内とともに邪馬台国があったとされる土地ですし、第十四代とされる天皇の皇后・皇后による朝鮮半島への出兵(「三韓征伐」)の拠点であったと『日本書紀』に記されるような土地です。かつての王権の影や、その歴史的な痕跡が神社や民間伝承、祭りなどの形で数多く残っている。神功皇后にちなんだ地名も少なくありません。そうした風土に育ったことが、清張の作品を生み出す一つの原動力になっているという印象を受けます。
清張のもう一つの原動力は、やはり彼自身の生い立ちでしょう。清張の作品には、エリートや富裕層に対する皮肉めいた視線が非常に強く感じられます。彼の推理小説で活躍するのは、しばしば下っ端の刑事たちです。少ない捜査費用をやりくりし、出張で乗るのは、いつも普通車に該当する二等車。旅館でも一番安い部屋にしか泊まれないような人たちが、執念の捜査で事件を解決していく。このようなストーリーには、幼少期以来の清張自身の経験が反映していると思います。
私が松本清張という作家にかれる理由は、大きく二つあります。
一つは、清張の作品が戦後史の縮図であるという点です。作品そのものが、高度経済成長期という時代の証言になっているのです。この時期、日本は農村主体の社会から急速な勢いで成長し、都市が膨張していきました。大学への進学率も高まり、交通網でいえば鉄道がどんどん電化され、新幹線ができ、特急も増えていった時代でした。この、一九五〇年代後半から七〇年代初頭にかけての高度成長期は、清張自身が一番脂が乗って活躍した時代に重なると思います。その頃に書かれた彼の小説を読むと、たとえば当時の鉄道網や、人々の旅行の仕方、あるいは都市と地方の格差などが如実にわかります。東京という街に絞ってみても、当時はまだ地下鉄が少なかった反面、都電が縦横無尽に走っていて都民の足として定着していたこと、一方で少し郊外に行けばたちまち畑と雑木林ばかりになることもわかる。こうした何気ない描写の一つひとつが、現在から見ると、当時の東京なり地方なりの風景を理解するための貴重な資料になっている。そこに大きな価値があると思います。
もう一つは、タブーをつくらないという点です。清張は小説やノンフィクションの中で、天皇制、被差別部落、ハンセン病といったテーマに取り組んでいます。これらはしばしばタブー視され、私たちは正面から向き合うことを避けがちですが、清張はそうではなく、あくまでも自分が発掘した史料や関係者へのインタビューをもとに、そこに忠実に向き合おうとする姿勢を一貫してとっています。たとえば、ノンフィクション長篇『昭和史発掘』では、新史料をもとにそれまでとは全く違う二・二六事件の見方を提示していますし、未完の遺作『神々の乱心』では、宮中の見えざる確執について、史料を存分に使いながら非常に大胆なストーリーを描いている。ほかの作家にはないところだと思います。
二〇一九年の春には今上天皇が退位することが決まり、平成が終わりを迎えます。この節目を迎えるにあたり、タブーをつくらずに時代と歴史に向き合い続け、それを実に具体的かつ平易な言葉で書き残した清張作品を読むことで、時代の刻印とは何か、そして時代を超えて残り続けるものとは何かを見つめてみたいと思います。
取り上げる作品は四つです。第1回は、列車時刻表を駆使し、推理小説界に〝社会派〟の新風を吹き込んだベストセラー『点と線』。第2回は、殺人事件の謎解きとともに、父子の宿命を浮き彫りにする『砂の器』。第3回は、膨大な未公開史料と綿密な取材によって、昭和初期の埋もれた事実を発掘した『昭和史発掘』。第4回は、天皇制と昭和史というテーマを接合した壮大な歴史小説にして未完の遺作『神々の乱心』。
私たちは、平成の前の時代に当たる昭和史というものを、何となく知っているつもりでいます。しかし清張の作品を読むと、比較的近い過去ですら、実は何もわかっていなかったことに気づかされる。その意味で、松本清張は小説家にとどまらない、ひとりの歴史家ないしは思想家として読みなおされる存在なのではないかと私は考えています。

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