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もっと「正法眼蔵」もっと「正法眼蔵」

今回のキー・フレーズ

はなにも月にも今ひとつの光色おもひかさねず、はるはただはるながらの心、あきも又あきながらの美悪にて、のがるべきにあらぬを、われにあらざらんとするには、われなるにても、おもいひしるべし。

(「正法眼蔵」唯仏与仏の巻)

【現代語訳】
花や月を見ても、そこに別の光や色を付け加えず、春はただ春ながらの心、秋は秋ながらの良さ/悪さがあり、それ以外のありようがないのである。いくら自分が自分でないものになろうとしても、結局、自分は自分でしかないことを思い知るべきである。

「正法眼蔵」を「宗教書」としてではなく、「哲学書」として読んでみたい……哲学者の和辻哲郎やIT業界の寵児だったスティーブ・ジョブズが大きな影響を受けた名著だときいて、そういう視点でこの本を読み始めました。初読のときに、とても胸に突き刺さった一節です。

紅葉が美しい季節を迎えはじめたとき、私たちは見事に紅く染まったモミジの風景をみてみたいと旅行のタイミングを綿密にはかりますよね。でもこれがなかなかうまくいかない。タッチの差で紅葉のさかりを逃してしまったり、まだ色づく前で一面の赤とはいかず写真集などでみる美しい風景とのギャップにがっかりしたり……。年によっては、あまり紅葉の色が出ない気候でどこに行ってもあまりきれいな風景がみられないということもあります。

道元ならこういうでしょう。そんなときでも「今ひとつの光色おもひかさねず」と。

今、目の前にあるものを大切にしなさい、ということです。私たちは花を見て、もう少し色が濃いほうが美しいだとか、月を見て「ああ、雲がかかっていなければもっときれいなのに」とか、つい思ってしまいます。そこに「今ひとつの光色」をどうしても重ねようとしてみてしまう。しかし、それではあるがままを大切にしていることにはなりません。紅葉だって、花だって、月だって、今ある、ありのままの姿を愛でなさいというのが道元の教えです。

これは、自分自身のとらえ方についてもいえることです。「いくら自分が自分でないものになろうとしても、結局、自分は自分でしかないことを思い知るべきである」とあるとおり、他人と比べて「自分にはあれもない、これもない」とひがんだりするのではなく、まずはありのままの自分をきちんと見つめてそれを受け止めなさいと道元はいっています。

講師のひろさちやさんは、今、目の前にあるものそのままを大切にするこうした姿勢を「拝む」という言葉で表現されていました。拝むとは、世間の言葉でいうと「尊重する」とか「尊ぶ」といった言葉になるのですが、ひろさちやさんは、それではどうしても世俗の価値観に引きずられてしまうので「拝む」という言葉をあえて使いたいとおっしゃっていました。

あれよりもこれが貴いと思う、それと比べてこれが大切だと思うのではなく、「あるものをあるものとして、しっかりと拝む」。その限りない「肯定の力」。そこに、かけがえのない、この瞬間瞬間を大切に生きる大きなヒントがあるように思えてなりません。

アニメ職人たちの凄技

【第19回】
今回、スポットを当てるのは、
アダチマサヒコ

プロフィール

アダチ マサヒコ 1983 大阪生まれ
2010 東京芸術大学大学院デザイン科修了
「BS歴史館」「NHKスペシャル・故宮」「シャキーン!」のアニメーションを担当。
2015年12月~2016年1月放送分の「みんなのうた」では、「ぼくのそらとぶじゅうたん」 のアニメーションを制作した。
100分de名著では、「遠野物語」「枕草子」「ハムレット」「茶の本」「荘子」などを手がける。筆の質感などを生かした繊細なタッチが持ち味。

アダチマサヒコさんに「正法眼蔵」のアニメ制作でこだわったポイントをお聞きしました。

正法眼蔵含め、道元の教えというものは
一言で説明できるものでもなく、受け手によっても
解釈が変わってくる、とても大きく難しいものだと思いました。

なので視覚としてのアニメーションは難しくならないように
なるべく柔らかく、丸くなるよう努めました。

今回は思い切ってキャラクターをデフォルメして
実際に丸くデザインしました。

シンプルでまん丸の形状になったおかげで
キャラクターへの感情移入がしやすくなったかと思います。

以前担当した歎異抄では線をシンプルにしました。
正法眼蔵ではデザインをシンプルにしました。
この対比もまた面白くなったのではないかと思います。

実際にこの二つの世界観が共存しているカットもありますので
そういうところも楽しんで見て頂ければと思います。

アダチマサヒコさんの凄技にご注目ください!

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