ひろさちや
仏教思想家
1936年大阪生まれ。本名、増原良彦。東京大学文学部印度哲学科卒業。同大学院博士課程修了。気象大学校教授を経て、現在、仏教を中心とした宗教問題の啓蒙家として、多くの人々の支持を得る。該博な知識と上質のユーモアを駆使し、難解な専門用語を避けて宗教をわかりやすく語る切り口には定評がある。『仏教の歴史』(全10巻、春秋社)をはじめ、『仏教初歩』『「宗教」の読み方』(ともに鈴木出版)、『ひろさちやの般若心経88講』(新潮社)、『「狂い」のすすめ』(集英社)、『すらすら読める正法眼蔵』(講談社)、『[新訳]正法眼蔵――迷いのなかに悟りがあり、悟りのなかに迷いがある』(PHP研究所)、『道元――仏道を生きる』(春秋社)など、宗教啓蒙書や人生論に関する著書多数。
『正法眼蔵』は、鎌倉時代の曹洞宗の開祖・道元の主著であり、未完の大著です。
『正法眼蔵』というタイトルの「正法」は、正しい教えという意味です。釈迦が説いた教え、つまり「仏教」そのものにほかなりません。それが経典となって「蔵」に納められている。つまり「正法蔵」です。では、お経さえ読めば釈迦の教えが分かるでしょうか。そうではありませんね。それを正しく理解するには、読む者に経典を解釈する力、すなわち「智慧」が必要です。
たとえば、仏教は不殺生戒において生き物を殺してはいけないと教えています。でも、生き物を殺すとは本当はどういうことなのか。たとえば生き物のなかに植物まで含めれば、わたしたち人間は生きていくことができません。ですから、わたしたちはこの教えを解釈しないといけない。解釈するには「智慧」が必要なわけです。
そして、そのような「智慧」を禅者たちは〝眼〟と表現しました。曇りのない眼でもって対象を見たとき、わたしたちは対象を正しく捉えることができる。蔵に納められた経典も、そのような「眼」でもって読み取れば、仏の教えを正しく理解できるのです。それを「正法眼蔵」と呼びます。
道元は、釈迦の正法を正しく読み取る智慧を、弟子たちや後世のわれわれに教えようとしました。それが『正法眼蔵』という書物です。
ご存じのとおり、道元は禅宗の僧侶です。それでは、禅とは何でしょうか。これはいろいろに定義ができると思いますが、ここでは、仏教の真理を言葉によらずに師から弟子へと伝えていく営み、と定義しておきます。禅の特色を示すものとして、
―― 不立文字・以心伝心――
がよく知られていますが、まさに文字(言葉)を立てずに、心から心へと真理を伝えていくのが禅なのです。
だとすると、釈迦の教えを正しく読み取る力を、書物、すなわち言葉をとおして伝えようとした道元の行為は、矛盾になりはしないでしょうか。
たしかにそうかもしれません。しかし彼は、その矛盾にあえて取り組んだのです。その背景には、道元の生きた鎌倉時代に広まっていた末法思想がありました。
末法とは、釈迦の正しい教えが廃れてしまうとされる時代のこと。鎌倉時代の日本において、人々は「いまが末法の世だ」という意識を持っていました。そのなかで、「南無阿弥陀仏」を称えるだけで極楽往生できるという念仏宗の信仰が盛んになります。しかし、道元はそれに反対しました。釈迦の教えを正しく伝える者、つまり正法眼蔵を持っている者さえいれば、釈迦の教えが廃れることなどない。それはいつの世にも残っていくものだ。それが道元の信念でした。
このように考えた道元は禅僧ですが、同時に偉大な哲学者でもあるといえるでしょう。
哲学とは何か。それは、人間の理性、つまり言葉でもって、人類普遍の真理を構築する営みです。道元は、たとえ末法の世になったとしても、仏教の真理を正しく読み取る眼が後世に伝わるよう、自らの智慧――それは、釈迦が菩提樹の下で開いた悟りと同じものである、と彼は信じていました――を言語化して残そうとしたのです。
禅の修行をする人のなかには、『正法眼蔵』を坐禅の方法を教えている指南書だと捉えている人がいます。「坐禅をしない者に『正法眼蔵』が理解できるわけがない」という人もいます。でも、道元が残したかったのは、坐禅のマニュアル本ではなかったとわたしは思います。仏教を正しく理解する眼を、禅の修行をする人にも、しない人にも、広く、そして永く伝えるために『正法眼蔵』を残そうとしたのではないでしょうか。
ですからわたしたちは、この『正法眼蔵』を、一般的な禅の書物としてではなく、仏教を理解する智慧をなんとか言語化しようと試みた道元の、その哲学的思索の跡として読むことにしたいと思います。