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もっと「苦海浄土」もっと「苦海浄土」

今回のキー・フレーズ

僻村といえども、われわれの風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業とはどのような人格としてとらえなければならないか。

石牟礼道子「苦海浄土」より

今回ほどどこを引用するかを悩んだ回はありませんでした。それほどまでに「苦海浄土」は重要なフレーズに満ちていて、どの部分をとっても心を揺さぶられます。悩んだ末にこの部分を選んだのは、現在進行中の出来事に対して、とても鋭い問いかけを含んだ文章だと思ったからです。

石牟礼さんが「近代産業の所業」を「人格」としてとらえなければならないとして、「人格」という言葉にこだわったのはなぜか? そのことを深く考えていくとき、私達が普段見逃している問題につきあたります。石牟礼さんは、何か大きな問題が起こったときに必ずといって生じる「みんながやったんです」「私の責任じゃないんです」といった責任回避の論理を徹底して否定するために、「人格」という言葉を使ったのではないか。若松英輔さんの解説を聞きながらそんなことを思いました。「責任主体」をきちんと考えず、曖昧な捉え方をしていては今起こっている出来事の正体を見過ごしてしまう。そう石牟礼さんが訴えるように思えるのです。

水俣病患者たちは、闘争のさなか東京に行ったときに次のような感慨をもらしています。

「東京にゆけば、国の在るち思うとったが、東京にゃ、国はなかったなあ。あれが国ならば国ちゅうもんは、おとろしか。(中略)どこに行けば、俺家の国のあるじゃろか」(「苦海浄土」より)

訴えても訴えても誰も責任の所在を明らかにしてくれない……そんな絶望感がひしひしと伝わってきます。しかし、これは他人事でもなければ遠い過去のことでもありません。たとえば、現在、世を騒がしている「築地市場移転問題」にしてもそうです。移転先の豊洲にあれだけ重大な問題があったにもかかわらず、いまだに責任の所在が明らかになりません。少し前の「新国立競技場」の総工費の問題もそうです。企業によって繰り返し行われる不正やその隠蔽が後を絶たないのも全く同じ構造でしょう。戦後の日本は、実は、ずっと同じことを繰り返してきたのではないかとすら思えてきます。

この構造は、誰一人として免れるものではありません。この石牟礼さんの言葉に接して、私自身も問われていると感じ、胸を貫かれるような思いをしました。私も組織人の一人として、周囲の人から「あなたの会社はこんなところに問題がある」「この問題はどうにかならないのか」といった質問や意見をお聞きすることがあります。そんなときに、「それは他の部署のことで」とか「一部の人が問題を起こしているだけです」といった言葉をつい口にしがちです。しかし、同じ組織に属している以上、その責任の一端は免れないのではないか。そうした状況を変えるべく、問題と向き合わなければならないのではないか。「苦海浄土」を読んでいくと、そんなことを痛切に感じさせられます。
これは責める側にとっても全く同じです。私自身も、何かを告発しようとしたとき、常にさらされる問題だと思います。果たして、自分自身は何かを責めたり告発したりする資格があるのか、自分はその罪を果たして免れているのか。それを問い続けなければならないとあらためて思います。

「公害に第三者はいない」。石牟礼さんと同じく、水俣病問題に関わり続けた公害学者・宇井純さんの言葉です。水俣病は、私たちから遠い問題では決してありません。豊かさを追い求め高度成長をひた走り、その恩恵を蒙った全ての日本人がその責任の一端を担っています。そして、豊かさのために一部の地域が犠牲になるといった構造が、今もこの日本に残っている以上、私たちが水俣病問題や「苦海浄土」から学ぶべきことは、今なおたくさんあるのです。

アニメ職人たちの凄技

【第18回】
今回、スポットを当てるのは、
川口恵里(ブリュッケ)

プロフィール

1989年神奈川県生まれ。2011年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。2013年東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻修了。2016年より株式会社ブリュッケに所属。アニメーション作家/イラストレーターとして、TV番組、企業CM、音楽PV、ワークショップ等、幅広く手掛ける。直近では、ETV特集「名前を失くした父~人間爆弾"桜花"発案者の素顔~」アニメパートの背景美術を担当。線画台を用いた、空間と光を活かした画づくりが得意。

川口恵里さんに「苦海浄土」のアニメ制作でこだわったポイントをお聞きしました。

アニメーションパートでは、資料映像等に収められていない、水俣病患者さんとご家族達の普段の生活の営みや、抱いている想い、深い愛情と温度が、伝わってくるものを目指しました。
それには、より人々の心を想像し、それをそのまま 絵にぶつけていかなくてはいけないので、あえてシンプルに、紙に鉛筆を用いて描きました。(本来はこの手法は、アニメーションには適さないのですが・・・)

この湯呑みを持っているシーンでは、水俣病を、現代の人にも他人事でなく捉えて頂きたいという思いで、敢えて、ゆきさん本人目線で描いています。また、ゆきさんを支える夫・茂平さんの愛情の深さが伝わるように、ゆきさんの手の揺れを茂平さんの手がやさしくおさえるという表現にしてみました。

次に、このシーンでは、縁側から落ちてまでも一枚の花びらをつかもうとする娘の姿が、びっくりして駆け寄る母親の目にどのように映ったかを感じられるように、きよこさんのポーズや、カメラの角度にこだわりました。このシーンについては、もちろん写真等はないので、自分達でこのシーンを何度も演じて再現しながら制作を行いました。

川口恵里(ブリュッケ)さんの凄技にご注目ください!

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