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名著、げすとこらむ。

萱野稔人
(かやの・としひと)
津田塾大学教授

プロフィール

1970年愛知県生まれ。2003年パリ第10大学で哲学博士号を取得。東京大学大学院「共生のための国際哲学交流センター」研究員を経て2007年より津田塾大学学芸学部准教授、13年より同教授。専門は政治哲学、社会理論。著書に『成長なき時代のナショナリズム』(角川新書)、『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)、『闘うための哲学書』(小川仁志との共著、講談社現代新書)など、編書に『NHKブックス別刊 現在知vol.2 日本とは何か』(NHK出版)などがある。

◯『永遠平和のために』 ゲスト講師 萱野稔人
哲学的視点から戦争と平和を考える

今年も八月十五日の終戦記念日がもうすぐやってきます。思い起こせば、日本は戦後七十年以上もの長きにわたり、幸いなことに一度も戦争をせずに済んでいます。しかし、世界に目を移せば、民族間の対立や宗教の違いによる紛争やテロが今もあちこちで頻発していて、とても平和とは言いがたい状況が続いています。一見、平和に思える日本であっても、いつ戦争の火種が降りかかってきても不思議ではないかもしれません。毎年この時期になるとテレビや新聞、雑誌で、戦争や平和をテーマにした特集が多く組まれますが、戦争を過去のものとせず、常に「戦争とは何か」「平和とは何か」と問い続ける姿勢は大切です。

平和や戦争というと政治学の領域の問題ととらえられがちですが、哲学の分野でも戦争の問題は古くから論じられてきて、これまでも多くの哲学者が「人間はなぜ戦争をするのか」「平和な世界をつくるためには何をすべきか」について深く考えを巡らせてきました。十八世紀のヨーロッパを代表するドイツの哲学者イマヌエル・カントもその一人で、そのものズバリの『永遠平和のために』という本を書いています。今回の番組とテキストでは、この本を読み解きながら、この世から戦争を永遠になくすためには何をすべきなのかを、みなさんと一緒に考えていこうと思います。

カントの著書としては『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』が特に有名ですが、正直なところ、この三冊はあまりに抽象的で難解すぎて専門家でさえも手を焼くほどです。おそらくほとんどの人が、いざ手にとって読もうとしても最初の数頁ページを読んだだけで断念してしまうでしょう。
このようにカントの著書には難解なものが多いのですが、今回名著として取り上げる『永遠平和のために』は、抽象的な問題ではなく現実の社会をテーマに書かれているので、他の著書と比べると比較的読みやすい内容となっています。分量的にもコンパクトで、文庫本の日本語訳で一二〇頁足らず。内容をきちんと理解しようとすれば、それなりに時間がかかってしまいますが、文字を追うだけなら一時間もあれば読めてしまいます。現在、数種類の日本語訳が出版されていますが、今回は光文社古典新訳文庫の『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』(中山元訳)に収録されたものをもとに解説していきます。

『永遠平和のために』の原著が出版されたのは一七九五年。そう聞くと「二百年以上も前の古くさい哲学書に今さら読む価値があるの?」と感じられるかもしれません。しかし、この本が書かれたのはヨーロッパが近代社会の幕開けを迎え、民主主義国家の原型がつくられた時代です。それゆえにこの本には、現代にも十分通じる提言が示されています。読み方によっては「戦争と経済の関係」「難民問題との向き合い方」「憎悪の連鎖をどう断ち切るか」といった、現代社会が直面している問題を考えるうえでのヒントもみつかります。
さらに平和や戦争について考察されているだけでなく、カント哲学の核心というべきものが随所にちりばめられているのも、この本の特徴です。ひとことで言えばカントは「人間の理性の可能性」(われわれは何を知りうるか、理性のもとで何をすべきか)というものを考え続けた哲学者ですが、この本を読んでいくと、彼の考えた「理性」、とりわけ「実践理性」というものがどんなものなのかがおのずとわかってきます。つまり、カント哲学の入門書としても読むことができるのです。
ただし、最初に断っておきますが『永遠平和のために』は、〝愛が地球を救う〟といった「ラブ&ピース」的な理想論が書かれている本ではありません。読み終えたからといって、自分が善い人間に生まれ変わった気持ちになれるわけでもないし、未来への希望が湧いてくるわけでもありません。「人間の本質とは何か」「国家・社会とは何か」──そこまで踏み込んだうえで、理論的に永遠平和を実現する方法を考察しているのがこの本なのです。

哲学的な視点から戦争や平和を考えると、これまで気づくことのなかった「人間や社会の本質」がみえてきます。そこにこそ、この『永遠平和のために』を読む本当の意味があります。

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