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もっと「五輪書」もっと「五輪書」

今回のキー・フレーズ

目の付け方は、大きく広く付ける目である。
「観・見」二つの目があり、「観の目」を強く、「見の目」を弱く、遠い所を近いように見、近い所を遠いように見ることが兵法では必要不可欠である。
敵の太刀の位置を知っているが、少しも敵の太刀を見ないことが、兵法では大事である。

(宮本武蔵「五輪書」水の巻より)

「五輪書」といえば、剣術の極意が書かれた本で、私たちの生活とは全く関係ないのではないかと思われる方も多いかもしれません。私も最初はそんな先入見をもって読んでいましたが、この一節につきあたり、「これって自分が仕事をする上ですごく大切なことじゃないか!」と気づかされ、驚いたことを今でもよく覚えています。

「敵の太刀の位置を知っているが、少しも敵の太刀を見ない」。すなわち、この一節は、目先のことに目を奪われるのではなく、物事を俯瞰して状況全体をみることの大事さを訴えているのです。「見の目」は、今、動いている敵の太刀自体を見つめる、いわばクローズアップの目。そして「観の目」は、全体状況を俯瞰するロングショットの目。「観の目」を強く、「見の目」を弱く…というのがポイントです。人間はどうしても目先で今動きつつあるものに目を奪われがちだという本質を武蔵は見事に見抜いています。だからあえて「観の目」を強く、なのです。

私たち番組制作スタッフが番組作りで陥りがちなのは、たとえばナレーション原稿を書くときに「このシーンを表現する言い回しはどうしよう」「ここに言葉を当てるなら、どんな形容詞が適切か」などなど、こだわり始めると言葉の一句一句や細部にどんどん注意が集中してしまい、それを直していくことが番組をよくすることだと思い込んでしまうこと。しかし、実際は、そのシーンが番組全体の文脈の中でどんな意味をもつのか、番組の全体の流れの中で、盛り上げていくべきシーンなのか、少し抑え気味にするべきシーンなのか…といったことに常に立ち戻りながら考えていかないと、全くちぐはぐはナレーションができあがってしまうこともあるのです。いわば、常に「観の目」というものを意識していないと、よい番組は作れないわけですね。武蔵の言葉は、このことにあらためて気づかされる指南であり、私自身、この「観の目・見の目」は、仕事をする上で常に心に置いておこうと思いました。

元プロ野球選手の松井秀喜さんが「五輪書」を愛読しているという理由も、読み進めていく中で実感しました。「観の目・見の目」でいえば、今の打席でピッチャーが投げるボールをいかに打つかももちろん大事ですが、この打席がゲーム全体でどんな意味をもっているのかを考え、長打を撃つべきなのか、あるいは何が何でも出塁すべき場面なのか、あえて自分が犠牲になって犠打を打ちランナーを進めることを優先すべきか…といったことを俯瞰する視点、「観の目」が、打者としてはとても大事なんですよね。あるいは、投手の配球を全体の流れとしてみて、次に何がくるかを予測する…というのも「観の目」といえるかもしれません。

もちろん「観の目」だけが重要なのではありません。武蔵は、「観の目」「見の目」の両方を偏りなく使いわけることを指南しているのです。「空の巻」では、「毎朝毎時に怠ることなく、心意二つの心を磨き、観見二つの目を研いで、少しも曇りなく、迷いの雲の晴れたところこそ、真実の空と知るべきである」と書いています。「観見二つの目」を偏りなく両方研ぐことが、迷いの雲を晴らしていく上で大事なのだということです。

「五輪書」を、今では必要がなくなった剣術や兵法を指南する書とのみとらえるのはあまりにももったいないことです。一つの道を極めつくそうと生涯努力し続けた宮本武蔵が見つけた道理には、現代に通じる普遍性が宿っているのです。今の自分にどう役立てていくのか…そんな視点で「五輪書」を読んでもらえるヒントにこの番組がなれたら、と願ってやみません。

アニメ職人たちの凄技

【第14回目】
夏川憲介(qmotri)

プロフィール

キャラクターデザイン・原画・演出・アニメーション 
1975年 北海道生まれ。武蔵野美術大学卒業後、アニメーター、イラストレーターとして活動。NHK Eテレ「みいつけた!/いすのまちのコッシー」立体アニメーション演出他「みんなのうた」「おかあさんといっしょ」「どきどきこどもふどき」などでアニメーションを担当。

夏川憲介さんに「五輪書」のアニメ制作でこだわったポイントをお聞きしました。

宮本武蔵の「五輪書」ということで水墨画のようなアニメーションにできないかと考えました。
少し黄ばんだ和紙のような地の色以外、思い切ってモノクロでいくことにしまして、あまり端正すぎるのも内容にそぐわない気がしたので、勢いや荒々しさを残して画面を成立させることを目指したのですが…うまくいっているでしょうか。

武蔵という人は映画や漫画でたくさん描かれていて造形的には余り既存の物に引っ張られないようには気をつけました。
残っている肖像画や、身長は180cm超えていて、月代を剃らない、お風呂にもあんまり…という言い伝えなどを意識して描いてみたら、ずいぶんむさ苦しいおじさんになったのですが、僕としては、こんな人だったんじゃないかなと考えています。
甲冑姿の武蔵は見たことが無かったので描いていて少しワクワクしました。

武蔵の半生を描くシーン等は良いのですが、五輪書の内容に踏み込んでいくと書かれていることがかなり抽象的で、具象化するのに悩みました。
「弱い心を嫌う」や、「敵を歪ませる」など、「こういうことなのかな??」と思案しつつ描いたのですが観ていただいている方に伝わるものがあれば幸いです。

ぜひ夏川憲介さんの凄技にご注目ください!

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