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もっと「歎異抄」もっと「歎異抄」

今回のキー・フレーズ

今生に、いかにいとほし不便とおもうふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし

【現代語訳】
この世に生きている間は、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。

(歎異抄 第四条より)

大学時代に読んでさっぱり理解することができなかった「歎異抄」ですが、数年前に再読して心を揺さぶられたのがこの一節でした。「どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできない」。これは、東日本大震災や911同時多発テロといった未曾有の出来事に出会ったとき、ただただたちすくことしかできなかった自分の心境と重なりました。なすすべもない苦悩や悲嘆に直面したとき、人はどうしたらよいのか? この一説がそんな根源的な問いを発しているように思えたのです。

以前は全くぴんとこなかったこの一説がリアルな言葉として浮き上がってきました。私は、幸運にも自分の愛する人を奪われることはありませんでした。が、東日本大震災で被害を受けた千葉県旭市を取材させていただいた折、「かけがえのない日常を根こそぎにされた人々」「たまたまその場にいあわせなかったために愛する人と二度と会えなくなった人々」と対面し、ずっと続くと信じた日常がいかに儚く消え去るものなのか、自分はたまたま助かっただけなのだ、いつ同じことが自分におこってもおかしくないのだ、との思いを深くしました。そして、この人たちのために、何かできないかと真剣に考えれば考えるほど、自分自身がいかに無力で、何もできないかということも思い知らされました。

そんなときにふと思い出されたのがこの言葉でした。「どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません」。自分のちっぽけな慈悲など完全なものであるはずがない……とすれば、何もしなくてもよいのか? いや、そうではないのではないか。かなり個人的な解釈が入るかもしれませんが、この条は「思い通りにならないこの現実を、そのまま受け止めて生きていけ」と訴えているような気がします。

もう一つ、これは、釈徹宗さんとお会いしたときに教えていただいたのですが、「この慈悲始終なし」には、どんなに善いことをしているつもりでも、そこには必ず自分の都合が混じってしまっている、そのことを自覚せよ、という意味が込められているというのです。釈さんご自身も認知症や発達障害の方々を支援するNPOの活動に関わっていらっしゃいますが、無条件に、正しいこと、いいことをやっているという気分に陥りがちなときがあるそうです。そんなときに、この第四条が「自分が立派なことをしている気になっていないか?」「よくよく考えると、自分の都合を振り回しているだけだろう?」と囁きかけてくるのだといいます。それに気付かされて、逆に力をいただくとおっしゃっていました。このエピソードをお聞きして、胸を衝かれるような思いがしました。

世の中には今、自分とは反対の意見や、過ちを犯してしまった人に対して、徹底的に糾弾し、つるし上げることが正しいとされるような風潮があります。しかし、本当に絶対的な正義など存在するのでしょうか? 自分自身を振り返るとき、こんな自分だって、いろいろな縁によって過ちを犯すこともあるだろうし、悪を犯してしてしまうかもしれません。そんな「弱さ」を誰だってもっているはずです。そのことを自覚せず、自分だけが正しいと思った瞬間に、見えなくなることがたくさんあると思います。

親鸞の言葉を、そんな戒めとして心に刻みたいと思います。

※このコラムを書き終えた直後に「熊本地震」が起こりました。犠牲者の方々の冥福を心よりお祈りするとともに、一日も早い復興を深く祈念します。私自身も「何ができるか」をしっかりと考え、支援の一助となるような行動をしていきたいと思います。

アニメ職人たちの凄技

【第13回目】
アダチ マサヒコ

プロフィール

プロフィール
アダチ マサヒコ 1983 大阪生まれ
2010 東京芸術大学大学院デザイン科修了
「BS歴史館」「NHKスペシャル・故宮」「シャキーン!」のアニメーションを担当。
2015年12月~2016年1月放送分の「みんなのうた」では、「ぼくのそらとぶじゅうたん」 のアニメーションを制作した。
100分de名著では、「遠野物語」「枕草子」「ハムレット」「茶の本」「荘子」などを手がける。筆の質感などを生かした繊細なタッチが持ち味。

アダチマサヒコさんに「歎異抄」のアニメ制作でこだわったポイントをお聞きしました。

今回の「歎異抄」については、前回の司馬さんの回も担当したこともあり、テイストをガラリと変えたいねと、ディレクターと話していました。

そしてほぼ線画のテイストで行くことになりましたが、これは名著の中でも珍しいのではと思います。

この手の絵で難しいのは、線がシンプルな分沢山の魅力を、他から補ってあげないといけないことです。

魅力が欠けているとただの下手な絵、または可愛さがくどい絵に見えてしまいますので、登場人物の表情や形の歪み具合、アニメの動きなど、ちょうどいいバランスを探すのが大変でもあり、楽しくもありました。

結果的に難しい表現の多い宗教書に対して、良いアクセントになれたかなと思います。

ぜひアダチマサヒコさんの凄技にご注目ください!

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