おもわく。
おもわく。

「歎異抄」ほど一宗派の壁を超えて、多くの人たちに読み継がれている宗教書はありません。西田幾多郎、司馬遼太郎、吉本隆明、遠藤周作等々……数多くの知識人や文学者たちが深い影響を受け、自らの思想の糧としてきました。また、信徒であるないに関わらず、膨大な数の市井の人々の人生の指針となってきました。なぜ「歎異抄」はここまで強く人々の心を惹きつけてきたのでしょうか?「100分de名著」では、「歎異抄」から一宗教書にはとどまらない普遍的なテーマを読み解き、現代人にも通じるメッセージを引き出していきたいと思います。
日本がかつてないほど大きな社会変動に直面した鎌倉初期。宗教界にも大きな革命が進行していました。それまで貴族階級や知識階級の独占物だった仏教を庶民のもとへひきもどし、苦悩に沈む全ての人に救済をもたらそうと、法然によって開かれた「浄土宗」。その思想を深く体得し、継承・展開させたのが「浄土真宗」の開祖・親鸞です。善人よりも悪人こそが救われるという「悪人正機」、自力による修行を否定し阿弥陀如来の本願力にひたすら身をゆだねることを説く「他力本願」の思想……これまでの常識を覆す革新的な親鸞の教えは、その新しさゆえに死後大きな誤解にさらされました。同じ信徒の中からも多くの「異義」が出され混迷を深めていた状況を嘆いた門弟の一人、唯円が、師・親鸞から直接聞いた言葉と、信徒たちによる異義への唯円自身の反論を記したのが「歎異抄」です。
生前ほとんど自身のことを記さなかった親鸞ですが、唯円との赤裸々で真剣きわまる問答が記録された「歎異抄」からは、等身大の親鸞の姿が鮮烈に浮かびあがってきます。宗教者としての覚悟、罪深き我が身への冷徹なまなざし、絶望にあえぐ人々への限りなき慈愛、信仰への確信と懐疑の間でゆらぐ苦悩……。「歎異抄」を深く読み解いていくと、「人間にとって宗教とは何か」「本当に何もできない無力感を自覚したとき人は何をなすべきなのか」等々、私達現代人の心を揺さぶる問いをつきつけられます。比較宗教学者の釈徹宗さんは、「歎異抄」の最大の魅力は、「常識的な日本人の宗教観や倫理観とは相容れない表現が続出し、読む者をなかなか着地させてくれない」ところだといいます。
ままならぬ東日本大震災からの復興、世界各地で頻発するテロ、拡大し続ける格差社会……なすすべもない苦悩や悲嘆に直面せざるを得ない現代、「歎異抄」を現代的な視点から読み直しながら、「自分自身の闇に向き合うというのはどういうことか」「思い通りにならない現実とどう向き合えばよいのか」といった実存的な問いを掘り下げ、「人間はどう生きていけばよいのか」という根源的なテーマを考えていきます。

親鸞の声を担当した志賀廣太郎さんからのメッセージ

  • 煩悩だらけの身として、親鸞聖人の声をやらせていただくのはいささか面映ゆかったです。無宗教ですが、仏像やお寺などを見て回るのは好きで、これからはもう少し開祖のことも考えようと思います。

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第1回 人間の影を見つめて

【放送時間】
2016年4月4日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)
【再放送】
2016年4月6日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年4月6日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【講師】
釈徹宗
…相愛大学人文学部教授。比較宗教学者。
【出演】
かもめんたる(お笑いコンビ)
【親鸞の声】
志賀廣太郎(俳優)
【語り】
小口貴子

阿弥陀仏の本願により念仏するだけで浄土へ往生できるという「浄土仏教」。誰もが簡単に実践できるわかりやすさから多くの人たちの心をとらえた。しかし、その革新性ゆえに、大きな誤解にさらされていた。「念仏さえしていればどんな悪事をはたらいても往生できる」「もっと他に極楽往生できる秘法があるのではないか」等々。人々から寄せられる異義に対して、親鸞は「念仏が浄土に生まれる種なのか地獄へ落ちる所業なのか私は知らない」「念仏を信じるも捨てるもそれぞれが決めなさい」と冷徹にいい放つ。そこには、自分の都合で教えの意味を歪め、自身の中にある「影」の部分を見つめようとしない人々への嘆きがあった。親鸞は、死後に救われるかどうかといった利己的な目的ではなく、己の罪深さを徹底して見つめぬき「そんな自分が救われるのはもはやこの道しかない」というぎりぎりの決断の中でこそ、真の信仰が開かれると考えたのだ。第一回は、親鸞の人となりや弟子・唯円が「歎異抄」が執筆した背景を紹介しながら、人間の「影」を見つめ続けた親鸞の教えに迫っていく。

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第2回 悪人こそが救われる!

【放送時間】
2016年4月11日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)
【再放送】
2016年4月13日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年4月13日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【講師】
釈徹宗
…相愛大学人文学部教授。比較宗教学者。
【出演】
かもめんたる(お笑いコンビ)
【親鸞の声】
志賀廣太郎(俳優)
【語り】
小口貴子

「歎異抄」の中で最も有名な一節、「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」。普通に考えれば「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない」というのが筋のはずだが、親鸞は「善人よりも悪人こそが救われる」と論理を逆転させる。有名な「悪人正機説」だ。ここでいう「善人」が「自力で修めた善によって往生しようとする人」を意味することに注目する必要がある。そこには「仏の目からみれば全てが悪人であるのに、自分自身は善人であると思っている傲慢さはどうなのか」という親鸞の問いがあると釈徹宗さんはいう。また、一般的な社会通念では決して救われないような人々に対して全く異なるものさしを提示することで、弱者や愚者といった社会の底辺に置かれている人々が救われる原理を追求したのが親鸞の「他力本願の思想」なのである。第二回は、親鸞の思想の核心である「悪人正機」と「他力」という言葉に込められた深い意味を読み解き、自らの悪を深く自覚した人、社会の底辺で生きる弱者や愚者こそが救われるという、親鸞の教えの核心に迫っていく。

名著、げすとこらむ。指南役:釈 徹宗(しゃく・てっしゅう) 絶体絶命のときに浮き上がる言葉
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第3回 迷いと救いの間で

【放送時間】
2016年4月18日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)
【再放送】
2016年4月20日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年4月20日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【講師】
釈徹宗
…相愛大学人文学部教授。比較宗教学者。
【出演】
かもめんたる(お笑いコンビ)
【親鸞の声】
志賀廣太郎(俳優)
【語り】
小口貴子

唯円は「歎異抄」で、常識的な倫理や道徳の見方で親鸞の教えを歪め、自分の都合のよいように解釈する人々の異義に一つ一つ反論していく。人が浄土へ往生するためには「学問で学ぶ必要があるのではないか」「犯した罪を消す必要があるのではないか」「お布施をたくさんする必要があるのではないか」等々。こうした自己流の解釈を唯円は「自見の覚悟」と呼び、厳しく批判する。そこにあるのは、何をするにも自分を軸としてしか行動できない、全てに対して自分というフィルターを通してしか考えられない、哀しい人間の性。「歎異抄」はそうした「自己の偽物性」から脱け出し、迷いと救いの間で宙吊りになりながらも、それをあるがままに受け止めていく生き方が示されている。第三回は、唯円の反論を丁寧に読み解き、迷いと救いの間の緊張関係をたじろがずに受け止めていく親鸞の生き方を学んでいく。

もっと「歎異抄」
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第4回 人間にとって宗教とは何か

【放送時間】
2016年4月25日(月)午後10:25~10:50/Eテレ(教育)
【再放送】
2016年4月27日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2016年4月27日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【講師】
釈徹宗
…相愛大学人文学部教授。比較宗教学者。
【出演】
かもめんたる(お笑いコンビ)
【親鸞の声】
志賀廣太郎(俳優)
【語り】
小口貴子

親鸞ほど、人間の「光」と「闇」の間でゆれ動いた信仰者は稀だ。浄土仏教への信仰を貫きながらも、我が身の罪深さ、自分の信仰が偽物ではないかとの懐疑に懊悩し続けた。そんな親鸞を支えていたのが「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに、親鸞一人がためなり」との確信だった。あまりにも有名な親鸞の言葉だが、常識的に考えれば、傲慢ともとれる言葉だ。しかし、深く読み解いていくと、そこには、我が身一身でこの教えを引き受け、その切実さを生き切ろうという親鸞の実存的な決断がある。第四回は、「歎異抄」後序に記された親鸞の信仰人としての生き様を通して、「人間にとって宗教とは何か」を考えていく。

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○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
歎異抄 2016年4月
2016年3月25日発売
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こぼれ話。

「情報」と「物語」

「歎異抄」を取り上げたいと思ったきっかけは、コラム「もっと歎異抄」で書いたとおり、東日本大震災の被災地を取材した折の経験でした。ちょうど今から半年前に書き上げた企画書案には、「ままならぬ東日本大震災からの復興、世界各地で頻発するテロ、拡大し続ける格差社会……なすすべもない苦悩や悲嘆に直面せざるを得ない現代、『本当に何もできない無力感を自覚したとき人は何をなすべきなのか』『思い通りにならない現実とどう向き合えばよいのか』という問いを掘り下げたい」と書かれています。同じ頃、「パリ同時テロ」が発生し、直前の9月にパリ旅行で素晴らしい思い出の数々をいただいたばかりだった私は、この事件にも大きな衝撃を受け、ますますこの思いが深くなっていたことを思い出します。「熊本地震」という今、私たちを襲っている事態のことを考えるにつけても、この書は、現代に読み返されるべき本だということを痛感します。

「歎異抄」には、心を揺さぶられる印象的なフレーズがたくさんあるのですが、トータルとしてどんなことが書かれているのかについてはなかなか理解が及びません。かといって、この名著を訓詁注釈的に解説するだけでは、現代に生きる人々には届かないとも思いました。そう考えていたときに、講師の候補として真っ先に頭をよぎったのが、宗教学者・釈徹宗さんの名前でした。維摩経の大胆な解説本「なりきる すてる ととのえる」や現代思想研究者・内田樹さんとの対談「日本霊性論」を愛読していた私は、この人だったら「歎異抄」の言葉を現代の人たちに届く言葉で解説してくれるのでは、と直観していました。なにしろ、私自身も尊敬する内田樹先生がストライクゾーンすれすれに投げ込んでくる超絶な変化球を、宗教学者の立場から、動ずることなく見事に打ち返し続けているのですから(笑)。

しかし、問題が一つだけありました。釈先生との打ち合わせを前に「歎異抄」を読み返していたときに行き当たった蓮如の言葉です。「仏の教えを聞く機縁が熟していないものには、安易にこの書を見せてはならない」。蓮如本の奥書にある非常に厳しい注意喚起です。私自身、「浄土仏教」なるものを全く信仰していない人間ですし、ある意味全くのど素人。いくら「歎異抄」が魅力的な書だといっても、100分という短い時間で入門者向けの解説などやってもいいものかどうか。心を不安でいっぱいにしながらの釈先生との対面でした。

不安いっぱいの打合せですから、やや弱気なことをいろいろ申し上げたかもしれません。お恥ずかしいかぎりなのですが、釈先生は、私の疑問に一つ一つ丁寧に答えてくれました。その一つに、番組の中でもご紹介した「情報」と「物語」というキーワードがありました。……「情報」は人を救えない。それは消費の対象で、道具として使われるしかないものだ。新しいものが出てきたらすぐに捨てられてしまう。それに対して、「物語」は、「それは私のために準備されたものだ」と受け止めるもの。生き方自体を変え、それに出会うと二度と元に戻れないようなものだ。……当時のメモにそう書かれています。この説明を聞いたとき、視界がぱあーっと開かれるような気持ちになりました。そうか、「物語」こそ宗教の本質なんだ。私たちは普段「情報」とばかり接しているけど、それとは質がまったく異なる経験をすることがある。それを知ってしまった後では、もう決してその前にはもどれないような、一冊の小説、一本の映画との出会いって確かにある。「この作品は私だけのためにある」といった体験が。こうした経験の延長上にあるものととらえることで、「宗教」という、私たちが普段縁遠く感じているものを、現代の人たちにも届く言葉で伝えられるのではないか。「情報」と「物語」という釈先生の言葉が、番組化への大きなヒントを与えてくれました。

第四回が「人間にとって宗教とは何か」という、一見「歎異抄」から離れているかにみえるタイトルになったのには、こうした思いが背景になります。そして、ご覧いただくとわかっていただけたと思いますが、この回は、「親鸞一人がためなりけり」という言葉の、極めて現代的な読み解きになっているのです。信仰している、していないにかかわらず、「歎異抄」がもっている、普遍的な「思想書」としての側面を、番組を通して感じていただけたらうれしいです。

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