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もっと「代表的日本人」もっと「代表的日本人」

今回のキー・フレーズ

「自然」と歩みを共にする人は急ぎません。
一時しのぎのために、
計画をたて仕事をするようなこともありません。
いわば「自然」の流れのなかに自分を置き、
その流れを助けたり強めたりするのです。
それにより、みずからも助けられ、
前方に進められるのです。

(内村鑑三「代表的日本人」より)

二宮尊徳は、どんな荒んだ民の心にも誠意をもって向き合い、道徳的な力を引き出そうとしました。その結果、途方もない公共事業を次々と成し遂げていったのです。その秘密は、「自然はその法に従うものに豊かに報いる」という尊徳の信念にあったと、内村鑑三はいいます。上記の文章は、そのことを伝えようした一節です。

人は、何かを行おうとするとき、どうしても「自己の利益」や「自分の都合」で物事を進めがちです。ですが、「私」にとらわれすぎてしまうと、往々にして物事は滞ってしまいます。

内村が描く尊徳の姿が、私たちに教えてくれるのは、そうした「自分の望み」をいったん後回しにして、「自分がやりたいこと」ではなく、「自分がやるべきこと」をきちんと見つめて、より大きな目的や、「公」のために自分を使ってみることの大切さです。そうしたときに、自分の中に思ってもみなかったような力が湧き上がってくるというのです。

今、振り返ってみると、私自身も「自分のやりたいこと」だけに固執した仕事はうまくいかなかったことが多かったのを思い出します。それとは全く逆に、より多くの人たちの役立とうとしたり、自分ではなくスタッフ全員や関係者全員が喜び合えるような仕事を……と心を砕こうとしたときに、思わぬ力が発揮できたり、どこからともなく助けの手が差し伸べられたりして、大きな成果をあげることができました。

内村は、誰しもが実感したことがあるこうした真実を「二宮尊徳」の章で、「自然」や「天地の理」という言葉で表現し、そうした自己を超えた大きな存在に身を寄り添わせ、和合していくことこそが、何事かを成し遂げる際にとても大事なことだと繰り返し訴えています。それは、他の章でも、「天」「天の命」「宇宙」「道」「法」といった言葉でも繰り返し表現され、それぞれの人物の偉大さが、こうした自己を超えた大きな存在を座標軸に持ちえたことに起因していることを描き出しています。

厳しい競争社会、経済至上主義の風潮の中で、私たちは、ともすると「私利私欲」だけに目を曇らされ、大事なことを見失いがちです。「代表的日本人」に綴られた内村鑑三の言葉に、もう一度、心の目を凝らし、耳を澄ますことで、私たちの中に眠っている「徳」や「誠実さ」といったものを呼び覚ましていかなければならない……とあらためて痛感しました。

アニメ職人たちの凄技

【第九回目】
今回、スポットを当てるのは、
ケシュ#203

プロフィール

ケシュ#203(ケシュルームニーマルサン)
仲井陽(1979年、石川県生まれ)と仲井希代子(1982年、東京都生まれ)による映像制作ユニット。早稲田大学卒業後、演劇活動を経て2005年に結成。NHK Eテレ『グレーテルのかまど』などの番組でアニメーションを手がける。手描きと切り絵を合わせたようなタッチで、アクションから叙情まで物語性の高い演出を得意とする。100分de名著のアニメを番組立ち上げより担当。
仲井希代子が絵を描き、それを仲井陽がPCで動かすというスタイルで制作し、ともに演出、画コンテを手がける。また仲井陽はラジオドラマの脚本執筆(ex.NHK FMシアター)や、連作短編演劇群『タヒノトシーケンス』を立ち上げるなど、活動は多岐に渡る。

仲井陽さんと仲井希代子さんのお二人に、「代表的日本人」のアニメ制作でこだわったポイントをお聞きしました。

内村鑑三が選んだ5人の人物を描くにあたり、いわゆる偉人としてではなく、 エピソードから受ける“人間らしさ”を前面に押し出したキャラクターにしようと考えました。

威厳のある肖像的なビジュアルではなくたれ目やクリクリとした目に戯画化し、また四股を踏んだり、カエルが跳び跳ねたり、コミカルな動きも取り入れることで、身近な人物として親しみやすさを感じてもらえるよう意識して制作しています。

5人の人物はそれぞれ生きている時代が違うのですが、アニメのタッチとしては、バラバラの時代を描くのではなく、内村の目線から見た日本っぽさを表そうと版画タッチの平面的な構図にしています。

有名な歴史上の人物たちですが、パブリックイメージや先入観で構えず、楽しんで観て頂けると幸いです。

ぜひ仲井陽さんと仲井希代子さんの凄技にご注目ください!

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