もどる→

名著、げすとこらむ。

若松英輔
(わかまつ・えいすけ)
批評家

プロフィール

1968年、新潟県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007 年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。著書に『神秘の夜の旅』(トランスビュー)、『魂 にふれる 大震災と、生きている死者』(トランスビュー)、『霊性の哲学』(KADOKAWA /角川学芸出版)、『生きる哲学』(文春新書)、『叡知の詩学小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)、和合亮一との共著に『往復書簡悲しみが言葉をつむぐとき』(岩波書店)など。

◯『代表的日本人』 ゲスト講師 若松英輔
内村鑑三とは誰か

『代表的日本人』は、内村鑑三の主著といってよい一冊です。刊行から百年以上が経過していますが、今も多くの人の心を動かし続けています。
しかし、今日、内村の名前を知る人が少なくなっているように思われます。この本を皆さんと読み解くにあたって、まず、内村鑑三とは誰か、この人物を何と呼ぶべきか、どんな使命を背負って生涯を送ったのかを考えてみたいと思います。
一般に、内村鑑三が紹介されるとき、よく「キリスト教思想家」と書かれています。誤りではないのですが、彼が考えていたキリスト教と、世に知られているキリスト教が、少し異なることは理解しておかなくてはならないように思います。彼は、従来のキリスト教のあり方にとても大きな疑問を投げかけました。教会は不要なのではないか、教会で行われる儀式、それを執り行う聖職者も不要なのではないかと語ったのです。すべての人間は、個であるままキリストと結びつくことができる、といい、「無教会」という立場を説いたのでした。
内村鑑三は、一八六一年、高崎藩の下級武士の子として生まれました。札幌農学校でキリスト教に出会い、洗礼を受けます。同級生には『武士道』の著者で思想家の新渡戸稲造、植物学者宮部金吾らがいました。卒業後、彼はアメリカにわたります。そして、それまでのことを書いたのが英文の自伝『余は如何にして基督信徒となりし乎』で、この本は内村の生前から世界各国で広く読まれました。彼は、自分にとってのキリスト教は、西洋からもたらされた外来の宗教ではなく、日本人の心の求めとして結実したものであると語りました。
『代表的日本人』は、その希求する働きが、古くは日蓮に発したもので、西郷隆盛まで脈々とつながり、ついに自分に到達したということを述べた本でもあります。
帰国後、第一高等中学校の教師をしていたとき、教育勅語への礼拝を十分にしなかったことが不遜とされ、社会から厳しく弾圧されることになります。これはのちに「不敬事件」と呼ばれます。この出来事により、教職を追われ、同志だと思っていたキリスト教会からも追われることになります。さらに彼は、病を背負い、生死の境をさまようところまで行きます。このとき、世に見捨てられた内村を支え、献身的に看病したのが、妻かずでした。内村は回復しますが、妻が亡くなります。このとき、彼は『基督信徒のなぐさめ』と題する本を書きます。この本が、思想家内村鑑三の誕生を告げることになります。この本で彼は、はじめて「無教会」という言葉を用いています。
内村をめぐっては「二つのJ」という表現を聞いたことがあるかもしれません。イエス・キリスト(Jesus)と日本(Japan)です。彼はこの「二つのJ」への献身を誓います。それは神と隣人と言い換えることができるかもしれません。理想と現実とも言えます。『代表的日本人』は、この「二つのJ」を生きた内村の境涯を知るにもとても重要な一冊です。
『代表的日本人』(一九〇八年)は、日本が近代化を推し進めていた明治時代、英語で出版されました。この本は、同時期に、同じく英語で書かれた新渡戸稲造の『武士道』(一八九九年)、岡倉天心の『茶の本』(一九〇六年)とともに、日本人の精神性を世界にむけて発信した名著のひとつとして知られています。
この本が取り上げているのは、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の五人の生涯です。しかし、実際に読んでみると、彼らの歴史的業績や名言を連ねた、いわゆる偉人伝とは違うものであることに、すぐ気が付くと思います。じつは、この本の本当の主役は五人の人間ではなく、彼らを超えたものの存在なのです。
それを内村は「天」と書いています。人は、「天」に導かれるとき、どのように人生を切り拓き、苦悩や試練と向き合うことができるのか。また、そこで他者と時代と、どのように関係を作り上げてゆくことができるのかが、この本には活き活きと語られています。また、ここに登場する五人は、内村の先達であり、彼の鏡のような存在です。この本は他者の伝記のかたちをした内村鑑三の精神的自叙伝でもあるのです。
『代表的日本人』は、西郷から日蓮へとおおよそ時代をさかのぼるように書かれていますが、逆に、精神的にはどんどん内村に近づいていくという構造になっています。武士の家に生まれても時代が変わって武士としては生きなかった内村にとって、西郷は時代や生まれは近いけれども、立場的には遠い人でした。鷹山、尊徳、藤樹は、内村がなり得た人物です。内村は、鷹山のように無教会という精神的共同体を率い「聖書之研究」という雑誌を長く刊行し、全国に勉強会の集まりをつくってゆくなど尊徳を思わせる実践家としても優れていました。藤樹のような教育者として生きた時代もありました。広い意味でいえば、内村は、時代の教師でもあったのです。そして、キリスト教徒である内村にとって、心情的にいちばん近しい人は、いちばん時代の離れている、異教徒の日蓮だったのです。
五人の生涯は、内村のなかにある可能性であり、生きる力の象徴でもあります。私たちは必ずしも内村のように西郷を、日蓮を読む必要はありません。本に「正しい」読み方などないのです。私たちは内村の言葉をたよりに「私の西郷」「私の日蓮」を見つけてよいのです。さらにいえば、私たちはそれぞれ、内村とは全く別な「私の代表的日本人」を書くことすらできるはずです。
また、『代表的日本人』のような古典は、人生のさまざまなときの、別々な語りかけをしてきます。良書は、読まれることによっていっそう豊かになっていきます。それは読者とともに育ち、読者によって完成されるものです。五人すべてに関心が持てなくてもよいのです。今の「私」にとっての「代表的日本人」を見つけるような心持ちで、この小さな、しかし、力強い言葉に満ちた本を読み進めていただけたらと思います。

ページ先頭へ
Topへ