「良寛 詩歌集」
日本の僧侶の中で、お年寄りから子供まで誰もが知っている最も著名な人といえば、多くの人が良寛の名を挙げるでしょう。「子供たちと手まりをついて遊ぶ良寛」「粗末な草庵で自由気ままに暮らした良寛」といったイメージは誰しもの心の中に浮かび、「日本人の心のふるさと」と称える人もいます。しかし、いったい良寛がどのような思想を残したかとなると、ほとんど知られていないのが実情です。そこで「100分de名著」では、良寛が生前に遺した約500種の漢詩、約1400種の和歌の中から珠玉の名品を厳選し、そこから現代に通じるメッセージを読み解いていきます。
良寛は、越後出雲崎に町名主の長男として生まれ、後継ぎとして育てられました。しかし、見習いとして始めた仕事はことごとく失敗。大きな挫折を経験した良寛は家出し、やがて仏門に入ってしまいます。備中玉島の円通寺での厳しい修行を経て僧侶の資格も得ますが、寺の住職となることをよしとせず、七十四歳で生涯を終えるまで托鉢行脚の乞食僧として過ごしました。
いかなる組織にも所属せずホームレスにも似た質素な暮らしを続けた良寛でしたが、その人柄を慕い、悩み事を相談する人や心を通わせたいと訪ねる人は絶えませんでした。そんな人々に対して良寛は一切お説教をしないし仏教書を書くわけでもありません。良寛は、ただただ淡々となすべきことをなし徳の力を示しました。そして折にふれてその思いを託すように漢詩を作り和歌を詠むだけでした。
こんな良寛が多くの人々の心をとらえて離さなかったのはなぜなのでしょうか? 一見自由気ままに作られたようにみえる漢詩や和歌を深く読み解いていくと、その理由がわかってきます。「透徹した自己への洞察」「すがすがしいまでの清貧さ」「人や自然への温かいまなざし」「老いや死に向き合う強さ」等々……良寛の漢詩や和歌からは、全てをことごとく言葉で書き尽くすことで人生全体を修行の場にしていこうという生き方が伝わってくるのです。その生き方こそが人々の心を揺り動かしてやまなかったのです。
厳しい競争社会、経済至上主義の風潮の中で、気がつけば、身も心も何かに追われ、自分自身を見失いがちな現代。良寛の漢詩や和歌を通して、「命」や「自然」、「老い」「死」といった普遍的なテーマをもう一度見つめ直し、人生をより豊かに味わう方法を学んでいきます。
第1回 ありのままの自己を見つめて
- 【放送時間】
- 2015年12月2日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
- 【再放送】
- 2015年12月9日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
- 2015年12月9日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
- ※放送時間は変更される場合があります
- 【ゲスト講師】
- 中野東禅
- …龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
- 【朗読】
- 升毅
- …連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
良寛ほど「ありのままの自分」を見つめぬいた人はいない。ときに厳しく、ときに笑い飛ばすような批評眼を通して見つめた人間洞察からは、肩書きや名誉、金銭などは、本来の自己には何の役にもたたないのだ、という良寛のメッセージが伝わってくる。そして、ごまかしようのない自己を認めた時、何ものにも惑わされない「自由な生き方」も自ずと見えてくる。第一回は、自分自身を見つめる方法や何ものにも惑わされず伸びやかに生きるヒントを、良寛の漢詩と和歌に学ぶ。
第2回 清貧に生きる
- 【放送時間】
- 2015年12月9日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
- 【再放送】
- 2015年12月16日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
- 2015年12月16日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
- ※放送時間は変更される場合があります
- 【ゲスト講師】
- 中野東禅
- …龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
- 【朗読】
- 升毅
- …連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
「たくほどは風がもてくる落ち葉かな」。貧しく厳しい暮らしの中にこそ、奥深い楽しみや味わいがある……そんな良寛の心が見えてくるような和歌だ。良寛は、徹底して「もたない暮らし」を貫いた。だがそれは決してやせ我慢などではない。ともするとマイナスにもみえる「貧しさ」や「孤独」は、時に自分を見失わないための座標軸を与えてくれるのだ。そこにはモノや情報にあふれた現代人が忘れてしまった洞察がある。第二回は、良寛の清貧な暮らしの中に、私たちが生きる原点を見つけていく。
第3回 「人」や「自然」と心を通わす
- 【放送時間】
- 2015年12月16日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
- 【再放送】
- 2015年12月23日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
- 2015年12月23日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
- ※放送時間は変更される場合があります
- 【ゲスト講師】
- 中野東禅
- …龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
- 【朗読】
- 升毅
- …連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
清貧を貫いたからといって、良寛は決して超俗の人ではない。良寛の漢詩や和歌には、人々や自然への温かいまなざしが常に横溢している。子供と一緒に毬をつくことに没頭する幸せ、友人と酒をくみかわす楽しさ、質素な暮らしの中でこそみえてくる自然の美しさ。良寛の漢詩や和歌を読み解いていくと、人や自然と心を通わせ、全てを豊かに味わい尽くす達人の境地がみえてくる。第三回は、世俗とつかず離れずの批評眼に貫かれた、良寛の風流の真髄に迫る。
第4回 「老い」と「死」に向き合う
- 【放送時間】
- 2015年12月23日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
- 【再放送】
- 2015年12月30日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
- 2015年12月30日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
- 2015年12月30日(水)午後10:00~10:25/Eテレ(教育)
- 2016年1月6日(水)午前6:00~6:25/Eテレ(教育)
- 2016年1月6日(水)午後0:00~0:25/Eテレ(教育)
- ※放送時間は変更される場合があります
- 【ゲスト講師】
- 中野東禅
- …龍宝寺住職。「良寛 日本人のこころと言葉」等良寛に関する著作多数。
- 【朗読】
- 升毅
- …連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・あさの父親、今井忠興役で出演中。
良寛は晩年、老いや病に苦しめられた。彼の漢詩や和歌にはその克明な状況すら描かれている。そこには、全てを言葉で表現し尽くすことで、「老い」や「病」「死」と対峙し、それを人生修行の場としようという良寛の強靭な精神がみえてくる。どんな苦境にあっても、自らを見つめ言葉で表現し尽くすこと。こうした並の表現者には真似できない旺盛な批評精神こそ、良寛の漢詩や和歌の真髄なのである。第四回は、良寛の表現活動を通して、「老い」や「病」「死」との向き合い方を学ぶ。
- ○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
- 「良寛 詩歌集」2015年12月
- 2015年11月25日発売
- →詳しくはこちら(NHKサイトをはなれます)
「言語化」の先にあるもの
良寛の和歌や漢詩、手紙などを読んで一番感じたことは、よくぞまあこんなことまで言葉に表現しているなあということ。私にとって良寛のイメージは、飄々と自由気ままに物事を楽しんでいる……というものだったので、老いについての嘆き、体の痛みについての訴え、病状のこまごまとした描写等々、負の部分も含めて、およそ表現していないことがないというくらい全てを表現しく尽くしていることに驚きました。伊集院光さんは、このことを「自分自身についての観察日記」と表現してくれました。講師の中野東禅さんは「実によい表現をなさいますね」としみじみおっしゃっていました。
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良寛が出家して仏教を学んでいた時期は、禅宗の世界では、散逸していた道元の原稿などが収集・編纂され研究が旺盛に行われていた時期と重なり、先人たちの著作がまとまって読めるようになっていたと、中野東禅さんはいいます。いわば、「言語化」というものが大きな注目を集めていた時代。その渦中にいた良寛は、修行中に、この「言語化」というものに目を開かれていったのではないでしょうか? 約500の漢詩、約1400首の和歌という数多くの作品を遺した背景にはそんなこともあるのではないかと思います。
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良寛は、「嘆き」や「愚痴」のようなものも含めて、まるで「観察日記」でもつけるように、一つ一つをありのままに書き留めています。そうすることで、「悲しみ」や「老い」、「病」、「死」までも冷静に受け止め、あたかも人生全てを修行の場としようとしていたようにも思えます。では、そうした「言語化」を通じて、良寛は何をしようとしたのか? 実はそれが一番大事だと思うのです。そこにあるのは、「自分自身」や「自分とは異なるもの」との徹底的な対話と、それらをより深く理解しようとする強靭な意志ではないかと思います。
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今の世の中、インターネットやSNSの発達で、どんな人でも容易に表現活動ができる時代となってきました。ちまたには「自分自身」や「自分の意見」を語る言説であふれています。でも良寛のような「言語化」ができているのかというと、必ずしもそうでもないように思えます。全てを敵と味方だけに分けてしまう図式的な思考。自分とは少しでも異なる意見に対して「決めつけ」「レッテル貼り」をして排除してしまい、そこで思考停止してしまう態度。さまざまな意見に耳を澄まし、より深くその真意を知ろうとする意志をもたない怠慢さ……私自身の反省も含めて思うのですが、このような態度には、良寛のように「言語化」の先にみえてくるものがないように思えるのです。
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良寛はこれらの態度とは真逆でした。どんな小さな声も聴き逃さない繊細さ、自分とは異なる人々への赦しと限りない慈愛、自然から豊かなものを汲み取ろうとする意志……良寛の漢詩や和歌からみえてくるのは、全てをありのままに受け入れながらも自分を決して見失わない「しなやかさ」です。それこそが、私たち現代人が学ぶべき「良寛の精神」ではないでしょうか?