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もっと「茶の本」

私は宇宙と全くうまくやっており、宇宙からこの頃与えられるものに対して感謝、そう大変感謝しております。私は本当に満足しており、暴れだしたいくらい幸せです。この部屋まで入り込んできて、枕のまわりで渦巻いている雲に向かって笑いかけるほどです。
(岡倉天心の手紙より)

「もっと『茶の本』」のコーナーではありますが、今回は「茶の本」からではなく、岡倉天心の手紙からの引用にさせていただきました。どうしてかというと、まさに「茶の本」で描かれた精神をそのまま貫いたような生き方を、天心が最晩年生き切ったと思うからです。この手紙は、死の直前、天心が大恋愛に陥った、インドのバネルジー夫人に宛てたもの。ここに、天心の晩年の境地が象徴されているように思うのです。

番組でお伝えしているように、天心が東洋及び日本の伝統精神を凝縮した「茶」から読み解いたものは、禅や老荘から受け継いだ「自他一体の境地」「人間と自然との究極的な合一」というエッセンスでした。天心はこの「茶の精神」に、「主」と「客」を截然と立て分け二元論的な世界観を構築してきた西欧近代文明を乗り越えるヒントがあると繰り返し訴えたわけです。そして、天心はそれを思想として展開しただけでなく、自らの生き方としても生き切った。この手紙で天心は、そのことを「宇宙と全くうまくやっている」と表現しているのです。時間の都合でどうしても番組に収められなかった部分で、大久保喬樹先生は、そんなことにも触れられていました。

天心の思想は、おそらく出てくるのが100年ほど早すぎたのでしょう。ときあたかも、「西欧に追いつき追い越せ」の掛け声のもと、近代化の道をまっしぐらに走り続けていた明治時代。天心の思想は、それに水をさす反動的なものとしてとらえられたのかもしれません。天心の晩年は決して幸せなものではありませんでした。かつて日本の美術運動をになった思想的リーダーは批判にさらされ、国内では隠遁を余儀なくされました。

ですが、天心の凄いところは、全くそれにめげないところです。海外に活躍の場を広げ、日本の文化をわかりやすく伝える啓蒙者としてむしろ海外でこそ大きな注目を集めました。その流れで著されたのが「茶の本」だったわけです。この本は、現代でも多くの人たちに影響を与え続けています。番組第四回に登場する世界的建築家・隈研吾さんの言葉にぜひ耳を傾けてください。隈さんの近代建築批判の根の一つには、「茶の本」の存在があるのです。天心の思想は、現代にこそ、生かされていると感じます。

「私は宇宙と全くうまくやっており、宇宙からこの頃与えられるものに対して感謝、そう大変感謝しております」という死の直前の言葉には、隠遁者の弱弱しさなど微塵もなく、むしろ清清しいまでの雄大な境地が感じられます。司会の伊集院光さんは、いみじくもこの箇所について「『そう大変感謝しております』という風に、「そう」って付け加えて自分自身に言い聞かせるじゃないですか。で、言い聞かせた跡をちゃんと文章に残すじゃないですか。書き直すこともできるのに。なんかここの文章、プライベートな文章にも関わらず、すごく説得力があるというか、ぐっときますね」とおっしゃっていました。

晩年、天心が瞑想にふけり、自らの思想を練り上げた場所といわれている茨城県五浦の六角堂をみると、その境地の一端を感じられます。わずか六畳ほどの、天心が愛した茶室を思わせる空間。三面ガラス張りの窓を通して目の前にいっぱいに広がる空と海の動き。天心はこの大自然と向き合いながら思索していたんですね。ここには今も「人間と自然との究極的な合一」を目指した天心の精神が息づいているように思えます。

最近、とかく「強い日本」ということが声高に叫ばれます。暗い世相の中で、元気を出す……という意味ではそういうこともあってもよいとは思いますが、天心の「茶の本」を読んで、単に自分を強く押し出すだけでなく、異なる他者をやわらかく受け入れ、自在に生かしていく「しなやかな日本」という日本のもう一つの側面を、きちんと見つめなおしていかなければならない、と痛切に感じました。

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