おもわく。

「ハムレット」

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」。
この名台詞で知られ、悩める人たちのシンボルともいえる「ハムレット」。12月の「100分de名著」は、「人はなぜ悩むのか」「愛する人とどう向き合うのか」「迷いを超えてどう決断するのか」等、悩み多き現代人にも通じるテーマが描かれたシェイクスピア作「ハムレット」を取り上げます。
伯父クローディアスに王位と母親を奪われたハムレットは、やがてそれがクローディアスの謀略だったことに気づき、復讐を決意します。しかし、ハムレットはなかなか決断できず行動に踏み切れません。熱情に身をまかせ死をも厭わず復讐を成し遂げるべきか、理性によって感情を抑え耐え忍ぶべきか?……悩み続けたハムレットは様々な試練を乗り越え、やがて「弱き人間としての己の限界」を自覚し、真に気高い人間がなすべきことに思い至ります。
シェイクスピア研究の第一人者、河合祥一郎教授(東京大学)は、「ハムレット」の物語が巷間いわれているような単なる「復讐劇」ではなく、「正義を行うにふさわしい真に気高い人間の生き方とは何か」を追求するドラマであるといいます。
今年はシェイクスピア生誕450年。河合教授にシェイクスピアの傑作「ハムレット」を新しい視点から読み解いてもらい、「自らの悩みとどう向き合い、どう乗り越えていくか」という現代人にも通じる普遍的な問題を考えていきます。

ページ先頭へ

第1回 「理性」と「熱情」のはざまで

【放送時間】
2014年12月3日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2014年12月10日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2014年12月10日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
河合祥一郎(東京大学大学院教授)

「ぐずぐずして決断を先送りする優柔不断な青年」と見られがちなハムレット。しかし、行動をためらうのには、大きな原因があった。そこには、中世から近代へ向かうに際し、近代人としてのアイデンティティを確立しようとする人たちが不可避的にぶつかる問題があった。ハムレットの躊躇は、優柔不断な性格からではなく、「理性」と「感情」の相克という近代人の宿命に根ざしていると河合教授は指摘する。第一回は、ハムレットが行動を躊躇する場面を詳細に振り返りながら、「ハムレットの悩み」の真実に迫る。

ページ先頭へ

第2回 「生きるべきか、死ぬべきか」

【放送時間】
2014年12月10日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2014年12月17日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2014年12月17日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
河合祥一郎(東京大学大学院教授)

「ハムレット」の登場人物には、それぞれ人間の特質が象徴されている。物事を冷静に見つめることができず激情に流されてしまうレアーティーズ、逆に思慮深く冷静だが行動に出るのには慎重すぎるホレイシオ、そして、理性と熱情を見事に調和させ崇高な使命に邁進するフォーティンブラス。主人公ハムレットは、それぞれの行動を見つめ、自分の身に当てながら、自分がどう生きるべきかを考えていく。真に正しい生き方をするためには、自分の短所とどう向き合い、どう克服していけばよいのか。「生きるべきか、死ぬべきか」という台詞には、人間としてあるべき生き方を問う普遍的な問題が含まれているのだ。第二回は、それぞれの登場人物から見えてくるシェイクスピアの人間観や「生きるべきか、死ぬべきか」に込められた深い意味に迫る。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:河合祥一郎「謎めいた最高峰」
ページ先頭へ

第3回 「弱き者、汝の名は女」

【放送時間】
2014年12月17日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2014年12月24日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2014年12月24日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
河合祥一郎(東京大学大学院教授)

「ハムレット」には、母ガートルードや恋人オフィーリアなどを通して、「愛する人との向き合い方」についてのさまざまな問いが描かれている。たとえば、「尼寺へ行け!」という有名な台詞は、愛する人に対してあまりにも冷酷な言葉であり、なぜここまでハムレットが冷酷に豹変したのかは、大きな議論を呼んできた。従来は、オフィーリアの裏切りに気づいたハムレットが、女性に対する憎悪を燃やして吐いた言葉だとされてきた。だがテキストを仔細に検討すると、むしろこの言葉は、自分も含めた醜い世界と縁を切らせ、オフィーリアを守ろうとした「愛の言葉」ではないかという解釈が浮かび上がる。第三回は、ハムレットが女性たちとかかわるシーンを振り返りながら、「愛する人との向き合い方」を考える。

もっと「ハムレット」
ページ先頭へ

第4回 悩みをつきぬけて「悟り」へ

【放送時間】
2014年12月24日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2015年1月7日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2015年1月7日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
河合祥一郎(東京大学大学院教授)
【ゲスト】
野村萬斎(狂言師)

「生きるべきか、死ぬべきか」。近代人としての悩みを真正面から引き受けて悩み続けたハムレットは、第五幕でついに最後の決断を行う。その決断の裏には、自力のみを頼ってあれかこれかと悩むのではなく、「もう一つ高い次元で、神の導きのまま自力の全てを出し切って最善の生き方をしようという悟り」があると河合教授は指摘する。ハムレットは、最終的には、なすべきことを全てやりきった後は、全て運命にまかせようという悟りの境地に至ったのだ。第四回は、狂言師・野村萬斎氏と一緒に、「ハムレット最後の決断」の意味や、狂言等日本の古典とシェイクスピア劇との共通性を読み解き、「ハムレット」に秘められた普遍的なメッセージを明らかにする。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
「ハムレット」2014年12月
2014年11月25日発売
ページ先頭へ

こぼれ話。

『ハムレット』は哲学である。

今回の講師、河合祥一郎さんが掲げたテーゼ。これまで「ハムレット」という作品は、優柔不断な青年が悩み続ける悲劇…というイメージしかなかった私にとって衝撃的なテーゼでした。ハムレットは実は「人はいかに生きるのがもっとも高貴で正しいのか」という問いを最後まで問い続けたのであり、その結果として「悟りの境地」に至る。その筋がみえたとき、「ハムレット」の見方が180度変わりました。この作品は、まさに普遍的な生き方を問う哲学だと思いました。今回の番組で、同じ感触を感じていただけたらうれしいです。
さらに、今回、河合さんと伊集院光さんのトークが化学変化を起こし、さらに新しい扉が開きました。「もっとハムレット」にもそのあたりは触れさせていただきましたが、番組では全て語りつくせなかったので、ここでご紹介させていただきましょう。

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」というセリフ。これを伊集院さんは、「サラリーマン人生」に見事にたとえくれました。
「勤めている会社が嫌でもう耐えられない。いっそここで辞めてしまって、自分が本当にやりたい夢にかけてみる…そんな手もあるぞ。だが、待てよ、ここで耐え忍ぶことで、自分の家族を養うことができるんだ。我慢して堅実に働き続けサラリーマン人生を続けるのか、夢にかけてサラリーマン人生を終わらせるのか、それが問題だ」と。こんな風にたとえてくれると、ハムレットの悩みが、遠い世界のものではなく、一気に身近なものになりますね。「売れないお笑い芸人生活をやめて堅実な仕事につくか、それともあくまで夢を追いかけ続けるか」といった問いもあるだろうし、もう本当に誰にだってあてはまります。河合先生はこのたとえを「おっしゃった解釈はこのセリフをとても丁寧に読み取っていると思います」と、とても評価されていました。「生きるべきか、死ぬべきか」と大仰な言葉でいわれるとぴんときませんが、エリザベス朝時代のキリスト教的世界観に生きている人にとっては、全くもって伊集院さんのたとえに近い感覚で、この問題を問うていたのだと思います。

もう一つ、第四回の野村萬斎さんのお話には、本当に感銘を受けました。シェイクスピアがお芝居をやっていたグローブ座と能舞台が、洋の東西を超えて構造や仕立てが酷似しているというお話は番組にも出てきましたが、番組ではご紹介できなかったお話がもう一つありました。シェイクスピア劇と能狂言は、その内容自体にも非常に通底するものがあったのです。
シェイクスピアの時代と、能が戦国武将に保護され盛んになった時代はほぼ重なります。この時代は、中世と呼ばれる時代の後半。洋の東西を超えたこの時代の共通性を野村萬斎さんは次のようにいいます。

「同じ中世の演劇として、シェイクスピアと能狂言に共通するキーポイントは、人知を超えた存在が出てくるところだと思うんです。マクベスなら魔女、ハムレットなら亡霊。そして、あの世や亡霊を出すのは実はお能の専売特許みたいなところがあるんです」 「グローブ座の天井には、天球のような宇宙観を示すものがあって、能舞台の背景には『松羽目』と呼ばれる神の憑代(よりしろ)がある。いわば、人間を超えた大いなる存在っていうものがちゃんと組み込まれているんです」

近代化の中で私達が失ってしまった、人間を超えた大いなる存在に対する畏敬の念や、人知を超えた存在をなんとか表現しようとする意思が、洋の東西を超えて中世の演劇にはありました。むしろ、そういうものを感じさせるのが演劇だったのかもしれません。
そして、萬斎さんは、自分がシェイクスピア劇を演出するとしたら、ぜひ「能面」を効果的に使ってみたいといいます。

「現代劇で、生身の人間がそのままで亡霊を演じると、たいてい観客はがっかりしてしまう。亡霊とはどうしても思えないんですよ。亡霊とはなんぞやっていうことがはっきりしないシーンになってしまって。でも、いきなりそこに能役者のような能面がふっと出てきたときの違和感ってすごいんです。具体的でないというころが、かえって余白を生んで、いろんなことを観客が考え始める」

野村萬斎さんは、ハムレット役を演じるだけでなく、いつか演出も手がけてみたいと夢を語っていらっしゃいました。能面をつけた亡霊が幽玄にたち現れてくる「ハムレット」。想像しただけでぞくぞくしてきます。日本の古典と西洋の古典がクロスオーバーする萬斎さんの演出、ぜひみてみたいですね。

ページ先頭へ