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もっと「アンネの日記」

わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること!
                 (1944年4月5日)

じっさい自分でも不思議なのは、わたしがいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。(中略)いまでも信じているからです。———たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。
                (1944年7月15日)

なおも模索しつづけるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるのかを。きっとそうなれるはずなんです。
           (1944年8月1日 最後の日記)

これまで「悲劇の少女」「ホロコーストに関する貴重な証言」といった視点が強調されすぎて、私自身、重々しくてなかなか手に取りにくいといった印象をもっていた「アンネの日記」。しかし、実は「思春期の少女が瑞々しい感性と言葉で、日常のかけがえのない瞬間を描いた文学作品」として読めるということを、番組制作を通じて再発見しました。
読み始めると止まらなくなるほどの面白さ。アンネ・フランクはまさに「言葉の達人」です。不思議なことに読んでいるとどんどん元気になっていく。そして、いつの間にか「悲劇の少女」というイメージが消えていました。
「悲劇」という言葉が再び頭をもたげたのが、最後のページで日記が突然寸断しているのに出くわしたとき。いいようのない喪失感に襲われました。この直後、アンネたちはナチスによって連行されたのです。
そこであらためて気づきました。日記が書き続けている間、どんなに過酷な状況にありながらも、アンネは決して希望を失わず、未来を見つめ続けていたのだということを。だからこそ、言葉の一つ一つが輝いているのだということを。上記の引用はそのことを凝縮した言葉たち。皆さんはどう読まれるでしょうか?
日記の突然の寸断……その場所にたどり着くたび、私は、二度とこのようなことが繰り返されてはいけないという思いを深くします。

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