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名著、げすとこらむ。

◯『風姿花伝』ゲスト講師 土屋惠一郎
「マーケットを生き抜く戦略論」

二〇一三年は世阿弥生誕六百五十年でした。世阿弥は、室町時代に能を大成した人物として知られていますが、具体的には何を行ったのでしょうか。世阿弥が、能や、それ以後の日本の芸能に与えたインパクトは計り知れないものがあります。まず、世阿弥は能の世界にさまざまなイノベーションを巻き起こし、演技、物語の形式、内容などあらゆる面において、今日私たちが「能」とするものの形を確立しました。また、世阿弥は生涯で多くの能の作品を書き、さらには、理想の能とは何か、その実践方法を含めて語った能楽論を書き遺しました。世界の演劇史を代表する劇作家と言えばシェイクスピアですが、彼が活躍する実に二百年ほど前に、多くの数の作品と、シェイクスピアすら書かなかった演劇論まで書いていたのです。これは実に驚くべきことです。
世阿弥は、それまで芸能に関する理論というものが存在しなかった中、約二十もの能楽論を書き遺しました。そのうちもっとも初期に書かれたのが、今回取り上げる『風姿花伝』です。
『風姿花伝』は、世阿弥が父から受け継いだ能の奥義を、子孫に伝えるために書いたものです。秘伝として代々伝えられ、明治時代に入ってはじめて多くの人の目に触れるものとなって、現代においては文庫版などで容易に手に入れて読むことができる古典となっています。
ここで、みなさんの中には一つの疑問が湧いてくるかもしれません。能の家に生きる者のために書かれた秘伝の書が、なぜ、能に関わる人以外にも、時代を超えて広く読み継がれる古典となっているのか。『風姿花伝』に対する私の一番大きな関心も、実はここにあります。
『風姿花伝』は、能役者にとってのみ役立つ演技論や、視野の狭い芸術論にとどまってはいません。世阿弥は、能を語る時に世界を一つのマーケットとしてとらえ、その中でどう振る舞い、どう勝って生き残るかを語っています。つまり、『風姿花伝』は、芸術という市場をどう勝ち抜いていくかを記した戦略論でもあるのです。 私は大学で法哲学を専門に教えていますが、能の世界にも三十年以上関わっています。私が能にのめりこむ大きなきっかけになったのは、今から約四十年前の一九七二年に、観世寿夫さんという能楽師の舞台を見たことでした。この時に聴いた観世寿夫さんの謡に、私は大変大きな衝撃を受けました。本当に体に電流が走るような衝撃で、今まで自分が持っていた謡の観念を完全に変えられる体験でした。今でも観世寿夫さんの声はすぐにわかります。パバロッティの声や美空ひばりの声がすぐわかるのと同じです。
観世寿夫さんは一九七八年、五十三歳の若さで亡くなってしまいます。私は、観世寿夫さんの能がもう見られないという空白を埋めるために、その二年後に仲間と一緒に「橋の会」という能楽の会をつくりました。観世寿夫さんとともに舞台に立っていた第一級の役者や囃子方を集め、ここに来ればその時の最高級の能が観られるという場所をつくったのです。それから二十四年間、私は能のプロデューサーとして「橋の会」を続けました。幸い多くのお客さんに来ていただき、最後の数年は切符も軒並み完売でした。このように、私は能の研究者や批評家ではなく、「能の興行師」として能に関わった期間が長いのです。
そんな私が世阿弥の『風姿花伝』に注目したのは、これまた少しイレギュラーかもしれませんが、現代経営学の発明者と言われるピーター・F・ドラッカーのイノベーション理論との共通点を見出したことにあります。
ドラッカーはその代表作『マネジメント』の中で、イノベーションとは単なる技術革新ではなく、物事の新しい切り口や活用法を創造することだと語っています。私は、その抽象的な言葉の意味をなかなかつかむことができず、難しさを感じていました。一方世阿弥は、人々を感動させる仕組みとして新しいものや珍しいものこそ花である、すなわち「珍しきが花」ということを語っています。これは文字通り、珍しいものに人々は感動する、ということです。これは実にわかりやすい言葉です。この「珍しきが花」が腑に落ちた時、そうか、これこそがドラッカーの語るイノベーション理論なのではないか、と気づいたのです。
世阿弥の言葉は、現代の競争社会を生きる私たちにとっても有効なメッセージを伝えてくれる。私はそう感じています。世阿弥が生きた室町時代も、のちに戦国時代へと突入する不安定な時代でした。能を取り巻く環境も、安定した秩序を重んじるものから、「人気」という不安定なものに左右される競争へと移っていった時代です。そのような時代を生きた世阿弥の言葉は、同じように不安定な現代を生きる私たちに、たくさんのヒントを与えてくれます。しかも、世阿弥の言葉は驚くほどわかりやすいのです。注釈や現代語訳がなくとも、大意はそのままつかむことができます。
これからみなさんと『風姿花伝』を読んでいくにあたってのキーワードとして、私は「関係的」という言葉を挙げたいと思います。『風姿花伝』の中で世阿弥が語ることは、観客との関係、人気との関係、組織との関係、なによりも自分自身の人生との関係、すべてにわたって関係的です。決して個人の内面にとどまることなく、能に生きる人生のあらゆる場面で、自分と周りとの関係の取り方について語りながら、不安定な世界を生き抜く術を示しています。
そんな『風姿花伝』は、現代に生きる私たちにどんなことを語りかけてくれるのでしょうか。さらには、今から六百年以上前に完成した能は、なぜ現代まで脈々と続く力を持っているのでしょうか──。
その答えを、これからみなさんとともに紐解いていきたいと思います。

土屋惠一郎
(つちや・けいいちろう)
明治大学法学部教授

プロフィール 1946年、東京都生まれ。明治大学法学部卒業、同大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。専攻は法哲学。中村雄二郎のもとでハンス・ケルゼン、ジェレミ・ベンサムなどの研究をするかたわら、能を中心とした演劇研究・上演の「橋の会」を立ち上げ、身体論とりわけ能楽・ダンスについての評論でも知られる。1990年『能――現在の芸術のために』(岩波現代文庫)で芸術選奨新人賞受賞。芸術選奨選考委員(古典芸能部門)、芸術祭審査委員(演劇部門)を歴任した。北京大学日本文化研究所顧問。主な著書に『正義論/自由論――寛容の時代へ』『元禄俳優伝』『世阿弥の言葉――心の糧、創造の糧』(以上、岩波現代文庫)、『幻視の座――能楽師・宝生閑聞き書き』(岩波書店)など。

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