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名著、げすとこらむ。

◯「古事記」ゲスト講師 三浦佑之
古事記はこんなにおもしろい

古事記は八世紀初めに編纂されたとされる現存最古の歴史書です。神話の要素が強いのですが、いわゆるおとぎ話ではありません。「古事記」という書名を訓で読むと「ふることぶみ」となりますが、「古の出来事を記した書物」という意味のとおり、この国の来し方を知るための手がかりの詰まった貴重な史料です。もちろん、おもしろい話もいっぱい詰まっているので、文学と呼ぶこともできます。
わたしが古事記と初めて出会ったのは大学二年生の時でした。万葉集の研究などで知られる中西進先生の演習で、出雲神話のヤチホコ[八千矛](オホクニヌシ[大国主])の妻求めの歌を読んで驚きました。その頃のわたしは近代文学に進みたいと思っていたのですが、古事記に触れたら、その言葉のなんと魅力的なこと。目からうろこが落ちました。すっかりとりこになって、卒業論文もヤマトタケル[倭建]について書き、そのまま古事記の研究者になってしまいました。それからはや四十五年になります。
古事記研究を続けてきて、二つの理由によって古事記は真の理解を妨げられてきたのではないか、とわたしは考えるようになりました。
一つは、近代に入ってからですが、古事記と日本書紀の両書を指し示す便利な用語として「記紀」という語が使われだしたことです。天皇制を称揚したい近代国家は、自分たちに都合のいい神話や伝承を再現するため、国定教科書などに古事記と日本書紀を混ぜ合わせて創った神話を載せました。それとともに「記紀」という語が使われだし、その結果として古事記は、日本書紀と同じく古代律令国家が編纂した、天皇のための、国家のための歴史書であるという強固な認識を植えつけられてしまったのです。
そのように政治的に利用された背景には、編纂の次第を記した古事記の「序」が大きく働いたと考えられます。この「序」はなんらかの意図によって後世に付け加えられたものであるとわたしは考えますが、その「序」が付いたために、古事記は事実とは異なる来歴をまとわされることになります。それが、古事記の真の理解が妨げられたもう一つの理由です。「序」の謎については、のちほど第1回でくわしくお話ししましょう。
いまから十年ほど前の二〇〇二年、わたしは『口語訳 古事記』という本を出版しました。分厚く、重く、値段もけっして安くないのに、驚くほど多くの方に読んでいただきました。古老が語る古事記という「語りごと」のスタイルにした気軽さがよかったのかもしれません。それから〝古事記ブーム〟が起こり、人気はいまなお続いています。昨二〇一二年は「古事記編纂千三百年」とされ(わたしはそうは考えていませんが)、本年は伊勢神宮と出雲大社がともに式年遷宮の年とあって、お参りの人出もたいへんな数になっています。
十年ほど前に本が売れた時、読者は中高年のビジネスマンが多数を占めていました。当時の日本には、グローバル化に向かって走りつづけてきたことへの疑問が出始めていましたから、逆に日本的なアイデンティティに回帰しようとする気持ちのあらわれで古事記が読まれているのだろうかと思いました。しかし、どうやらそれだけではなかったようです。いちばんの理由は「なんとなく敬遠していたけれど、読んでみたら古事記って意外とおもしろいじゃないか」というシンプルなものでした。そうなのです。古事記はそもそも物語としてとてもおもしろいのです。
これを裏返していえば、古事記は長く「おもしろい物語」とはみなされていなかったわけで、それはやはり、皇国史観的なフィルターを通してとらえられていたせいでしょう。しかし、月日が経って、世代も交代し、色眼鏡も薄くなりました。
本文でも述べますが、古事記で語られているのは、正史として編纂された日本書紀とは異なる物語、つまりヤマトに生まれた王権によって日本列島が統一される以前の、正史からこぼれた生き生きとした豊かな物語です。古事記はむしろ、中央に背いた者や、争いに敗れて消えていった者たちの無念や悲劇のほうに重点が置かれているように読めます。
古代日本の様子を千三百年以上の年月をかけて伝えてきた古事記はまた、わたしたち日本人の起源が思った以上に複雑で、混沌としていて、それゆえに豊かなものであることも教えてくれます。われわれが来た道がまっすぐな一本道ではないこともよくわかります。
この機会に、より多くの方々に古事記のおもしろさを味わっていただけたら幸いです。

三浦佑之(みうら・すけゆき)
立正大学文学部教授

プロフィール 1946年、三重県生まれ。成城大学大学院博士課程単位取得修了。千葉大学文学部教授を経て、立正大学文学部教授。千葉大学名誉教授。専門は古代文学・伝承文学。2003年、『口語訳 古事記』(文藝春秋)で第1回角川財団学芸賞受賞。著書に『古事記講義』『古事記を旅する』『あらすじで読み解く 古事記神話』(以上、文藝春秋)、『古事記を読む』『古事記のひみつ 歴史書の成立』(以上、吉川弘文館)、『古事記を読みなおす』(ちくま新書)などがある。

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