おもわく。

鴨長明『方丈記』

今回の「方丈記」シリーズ。実は、京都放送局が制作しています。
2012年は、建暦2年(1212年)に成立した「方丈記」800年目の節目となる年。そんなわけで京都は、各界あげて盛り上がっています。とはいえ、数年前の「源氏物語千年紀」フィーバーぶりとくらべると、かなり控えめな盛り上がりぶりです。その控えめなところがまた、「方丈記」にふさわしい気がしなくもありません。

言うまでもなく「方丈記」を取りあげようと考えたのは、そういう「誕生●周年記念イベント」的発想だけが理由ではありません。作品の内容そのもの、鴨長明がそこに込めたメッセージ自体が、いまの時代を生きる私たちに強くアピールし、多くの示唆や指針を与えてくれる作品だからこそです。
東日本大震災をその頂点に、日本はここ20年ほど、数多くの災害に見舞われてきました。そのたびに私たちは、自然の無慈悲な力の前に立ちすくみ、明日を語ることばを失い、なにげなく日々の生活を送ってきたこの足元の土地が、盤石とはほど遠い存在であることを痛感させられてきました。それでも時間の流れの中で良くも悪くもその痛みを忘れ去ること(あるいは忘れた振りをすること)で、それなりに前進してきたのだと思います。しかし東日本大震災とそれに続く原発事故がもたらした被害はその、忘却による前進という微かな光をも見失わせるに十分すぎるインパクトを、日本社会にもたらしました。
そんな日本のいまに「方丈記」が受け入れられたのはなぜなのか。
その疑問への答えを見つけることを目標地点として、私たちの番組作りは始まったと言えます。

…といいながら、最初「方丈記」と言えば、中学校か高等学校の古文(懐かしい響きですね)の時間に学んだ、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」くらいしか覚えていないのが関の山。「よどみにうかぶうたかたは~」辺りになると、極めてあやしいもの、というのが正直なところでした。まさに第1回の冒頭の伊集院光さんのことばそのものです。そんな地点から歩み始めた私たちが、このごく短い作品に封じ込められ、800年の間日本人に読み継がれ、時に勇気を、時に諦観を、時に安らぎを与えてきた鴨長明の本当のメッセージに果たしてたどり着けたのか。
それはシリーズ4回をご覧になった視聴者のみなさんのご判断にお任せしたいと思います。

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第1回 知られざる災害文学

【放送時間】
2012年10月3日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2012年10月10日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2012年10月10日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
小林一彦(京都産業大学教授)

「方丈記」は前半のほとんどの部分を、長明が若い頃に体験した平安末期の「五大災厄」、大火、辻風(竜巻)、遷都、飢饉、大地震の記録にあてています。その描写力は、東日本大震災が起きたとき多くのメディアが引用するほど、800年の時を経ても色あせないリアルなものです。しかし、長明のすごさはそれだけではありません。災害に対する都会の脆弱さ、庶民を顧みない政治のあり方、そして人々の記憶の風化現象を指摘するなど、いつの時代でも通用する視点で物事を捉えているのです。
第1回は、災害記録文学としての「方丈記」の魅力をひもといていきます。

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第2回 負け組 長明の人生

【放送時間】
2012年10月10日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2012年10月17日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2012年10月17日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
小林一彦(京都産業大学教授)

長明の自分史とも言える「方丈記」。ところが、長明はなぜか自分の過去については多くを語りません。一辺一丈の簡素な庵に住むようになったいきさつも、ただ「いろんな不運が重なった」「居場所がなかった」と語るのみです。長明はなぜ世捨て人となり、「方丈記」を書いたのでしょうか?同時代の貴族の日記や、長明自身が詠んだ歌からは、俗世間を離れたいと願いつつ、同時に栄達をも諦めきれない、普通の人・長明の姿が浮かんできます。
第2回は、「方丈記」に記されなかった長明の人生に迫ります。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:小林一彦「八百年目のツイート」
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第3回 捨ててつかんだ幸せ

【放送時間】
2012年10月17日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2012年10月24日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2012年10月24日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
小林一彦(京都産業大学教授)

「全てを捨ててしまいたい」— 誰しも一度や二度は思ったことがあるのではないでしょうか?しかし悲しい人間の性なのか、人は、生きている限りものを欲し、ものを集め、ものをため込んでいくのが一般的なようです。ところが、「方丈記」の後半、全てを捨てた長明は、まるで人生の憂鬱から解放されたかのように、生き生きと過ごします。そこには、自分の不運を歎き人生を「あきらめる」のではなく、不運を悟った上で「執着」を捨て、それでも満足して生きていけることを発見した、長明のちょっと得意げな顔が見えます。
家を捨て、都会を捨て、栄達を捨て、人間関係を捨てた鴨長明、その先に見えた幸せとはなんだったのか?第3回は、長明が到達した「無常」の境地をみつめます。

もっと方丈記
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第4回 不安の時代をどう生きるか?

【放送時間】
2012年10月24日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2012年10月31日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2012年10月31日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
2012年10月31日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
2012年11月7日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2012年11月7日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
小林一彦(京都産業大学教授)
【特別ゲスト】
玄侑宗久(作家/僧侶)

方丈生活を賛美するかに見えた長明は、最後の最後で突如立ちすくみ考えます。「執着を捨てる」ことに「執着」する自分は悟っていないではないかと。そしてその自問に答える術を知らないまま、念仏を唱えて「方丈記」は終ります。作家で僧侶の玄侑宗久さんは、自分の考えさえも絶対だと決めつけない心のあり方を貫く長明の姿勢こそが、究極の「無常」ではないかと考えています。一見、優柔不断なように見えるが、何が起ころうと悩まず、断定せず、全てを受け入れて揺らぎ続ける。それが自由になることであり強くなることであり、未来を楽しむことではないかと言うのです。
最終回は、福島に暮らし、3.11後の心のありようについて積極的に発言している玄侑さんとともに、長明の残した問いかけを考えます。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
鴨長明『方丈記』2012年10月
2012年9月25日発売
定価550円(本体524円)
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こぼれ話。

「方丈記」こぼれ話

「方丈記」如何でしたでしょうか? 今回のシリーズは京都放送局の制作ということもあり、「方丈記」と鴨長明にゆかりのある場所をいろいろと取材しました。
その中に、本筋とは全く関係ないのですが、平安時代の人々の物の考え方が伺える面白い場所がありました。それは京都市内の紫野というところにある紫式部のお墓です。実はこの墓の隣には、平安時代初期の公卿・小野篁(おののたかむら)の墓が並んでいます。
小野篁といえば、昼間は朝廷に使え、夜は冥土へ入り閻魔大王の元で死者に対する裁判に立ち会っていた、という言い伝えがあり、篁の口利きで甦った人もいたとか... なぜ生きた時代も違う二人の墓が並んでいるのか真偽のほどは定かではありませんが、紫式部は「源氏物語という色恋沙汰のフィクションを描き、人々を惑わせた」ので、必ず地獄に堕ちるといわれていたそうです。そして、それを阻止しようと紫式部の熱心な読者が篁の墓を移した、という説が生まれたんだそうです。
仏教では執着を絶たなければ成仏出来ないことは、番組でも繰り返し述べてきましたが、長明の時代は特に文学や和歌、音楽などの創作活動は、フィクションを生み出すこと、つまり嘘をつくことだという認識だったようです。長明は「方丈記」の後半で“捨てて生きる”ことを強調しましたが、一番の罪である和歌や音楽を捨てることは出来ませんでした。そう考えると「方丈記」の結末は「はい、もう捨てるんだ!なんてくどくど言いません、南無阿弥陀仏。仏さまにおすがりしますから、勘弁してください」と言っているようにも聞こえます。
取材を通してそんな長明の「ダメさ加減」がとても微笑ましく、好きになりました。
そして、時にはフィクションを交え番組を演出するディレクターの仕事も、成仏出来ない因果な商売であることを思い知ったのでありました。

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