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名著、げすとこらむ。

◯「かもめ」ゲスト講師 沼野充義
宇宙を飛んだカモメ

一九六三年、人類史上初めて宇宙に飛び出した女性ヴァレンチナ・テレシコワは、ソ連の宇宙船ヴォストーク六号から、「ヤー・チャイカ」(わたしはカモメ)という声を地球に向けて響かせました。これは当時の流行語ともなったので、ご存じの方も少なくないでしょう。彼女のコール・サインが「チャイカ」(カモメ)だったため、地球の応答を求めてそう呼びかけたようですが、じつはこの台詞は、これからご紹介するチェーホフの戯曲『かもめ』の登場人物ニーナの台詞そのままなのです(これは微妙にニュアンスの解釈が分かれる台詞で、それについてはのちほど詳しくお話ししましょう)。もっとも、当のテレシコワ女史がこのときどのくらいそのことを意識していたかは、よくわかりませんけれど……。
十九世紀末ロシアでの初演以来、ついに宇宙空間にまで飛んだ『かもめ』は、二十世紀のソ連時代を経て、現代のロシアでも群れ飛んでいます。多様な解釈を施されて、さかんに上演されていますし、むろん、その人気はロシアにだけ留まるものではありません。
チェーホフを敬愛した後進の作家イワン・ブーニンの回想によれば、チェーホフは晩年、こんな予言をしたそうです。「ぼくはやっぱりあと七年だけしか読まれないだろうな。でも生きられるのはもっと短くて、六年くらいのものだろう」。チェーホフという作家は世界のものごとや人間を冷静に観察する天才でした。けれどもそんな彼でさえ、自分と自分の作品については判断が鈍ったのか、この「予言」は、二重に間違っていました。
まず第一に、結核に深く冒されていた彼は、こう言ったあと六年どころか、わずか一年ほどしか生きられませんでした。そして第二に、彼の作品は七年どころか、その死後百年以上たったいまでも読まれ続けているのです。
また、生前のチェーホフはなぜか翻訳の可能性については懐疑的で、自分の作品が外国語に訳されて理解されることをあまり期待していなかったようです。しかし現実には、厖大な数の短篇小説も含め、彼の作品は世界の主要言語に訳されて、世界中の読者に読まれています。そして彼の戯曲は、『かもめ』をはじめとするいわゆる「四大戯曲」(ほかは『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』)を中心に、いまも世界中の舞台で、様々な言語で、また様々な手法で——古典的にも、あるいは前衛的にも——頻繁に上演されています。
日本でもチェーホフ演劇の人気は依然として高く、外国演劇のレパートリーとしては、シェイクスピアにこそ負けるとしても、常に二位の座を占め、上演回数ではそれ以外の外国の劇作家を断然引き離しています。
私がこの『かもめ』を新訳したのも、二〇〇八年の舞台上演がきっかけでした。演出家の栗山民也さんから、上演を手がけるので新たに翻訳しないか、と言われたのはその前年の夏のことで、これはじつに意外な申し出でした。というのも、私は演劇の仕事とはほとんど縁がなく、亡命ロシア詩人ヨシフ・ブロツキーの異色のSF詩劇ともいうべき『大理石』を別にすれば、戯曲を訳した経験もなかったからです。私はむしろ、「芝居がかった」ことが正直なところ苦手で、だから頼むほうも大胆だったし、引き受けたほうも大胆だったと思います。しかし、あまり悩みもしないで引き受けてしまったのは、浮気性で新しいことをやるのが好きだからというだけではなく、チェーホフの戯曲がいわゆる「芝居がかった」伝統的なものとはだいぶ趣を異にする、斬新な演劇美学に基づくもので、たぶん私の性分に合っていたからでしょう。
『かもめ』は日本でもことのほか人気の高い戯曲の一つですから、これまで繰り返し何度も日本語に訳されてきました。出版されていない台本まで含めれば、翻訳はかなりの数にのぼるでしょう。優れた先人たちの訳業を知りながら、おこがましくもあえて新訳を試みたのはわれながらいい度胸でしたが、私は美辞麗句や不要の説明を避けて台詞をなるべく「短く」し、精確かつ大胆に、あくまでもリズムのよい現代的な台本にすることを心がけて訳しました。それがおそらく、一八九八年にモスクワ芸術座で『かもめ』が上演されたとき、芝居があまりにゆっくりすぎると言って、いたく不満だったらしいチェーホフの精神にもかなうだろうと思ったのです。
それにしても、いまから百年以上も昔のロシアという時空間に設定されたチェーホフの作品が、なぜいまでもこれほど人気があるのでしょうか? それはチェーホフが非常に先駆的な作家だから、彼の描いた世界は本質的に現代のわれわれの世界を先取りしたものだ——といった説明は時折耳にしますが、それでは彼の「現代性」とはいったい何なのでしょうか? 私はこのところ、チェーホフの「生きのよさ」をなるべくそのまま伝えようと思って一連の短篇を新訳してきたのですが、今回はそういった短篇小説のいくつかにも少し寄り道しながら、これからご一緒に『かもめ』の舞台を観ていきましょう。

沼野充義(ぬまの・みつよし)
ロシア東欧文学者
東京大学大学院教授

プロフィール 1954年東京生まれ。東京大学教養学部教養学科卒業、ハーヴァード大学大学院に学ぶ。ワルシャワ大学講師、東京大学助教授などを経て、現職。専門はロシア東欧文学。2002年に『徹夜の塊—亡命文学論』(作品社)でサントリー学芸賞、04年に『徹夜の塊—ユートピア文学論』(作品社)で読売文学賞を受賞。ほかの主な著書に『永遠の一駅手前—現代ロシア文学案内』(作品社)、『屋根の上のバイリンガル』(白水社)など、主な訳書に『新訳 チェーホフ短篇集』(集英社)、ヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』(未知谷)、スタニスワフ・レム『ソラリス』(国書刊行会)、ウラジーミル・ナボコフ『賜物』(河出書房新社〈世界文学全集〉)など多数。08年7月には文芸誌「すばる」にチェーホフ「かもめ」の新訳を掲載、それをもとにした訳本『かもめ』を12年8月に集英社文庫として刊行。

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