おもわく。

チェーホフ『かもめ』

その昔、仕事がめちゃくちゃ出来る不良中年風の上司がいました。野次馬精神丸出しで、熱しやすくてさめやすい私に、実に魅力的な言葉をかけてくれました。
「いいか、ディレクターっていうのは飽きるのも大事な素養だ。」
ふーん、そうか。
この言葉には、マンネリを戒め、常に新たな企画や演出を求めよ、という意味が込められていたのではないか?今になってそんな気がします。
2011年に始まった「100分 de 名著」では、誰しもが認める名著に正面から向き合ってきました。が、今回は少し趣向を変えました。
初めて取り扱うロシア文学。でもドストエフスキーでもトルストイでもない、チェーホフの戯曲「かもめ」が今回の主役です。
演劇通の方ならば「かもめ」が世界演劇史に画期をなす作品であること、モスクワ芸術座には「かもめ」のオブジェが据えられていることなど、ご存じでしょう。
しかし、多くのかたにとってはなぜ戯曲が、それもシェークスピアではない、チェーホフの「かもめ」が当番組で取り上げられるのか、不思議に思われることでしょう。
確かに番組で紹介しきれない名著が山のようにあるのに、なぜ今「かもめ」なのか。
しかし、そこには、意外な現代性が秘められていました。その続きは番組をご覧になってのお楽しみとしましょう。
さて、今回私たちはマンネリを打破すべく、新たな演出を試み、「100分 de 名著」の世界をもっと広げようと意気込みました。
いつもの収録スタジオを飛び出して都内の小さな劇場で対談を収録しました。また俳優・女優による朗読劇の撮影もしました。チェーホフの短編の世界も織り込みながら見えてきた、「かもめ」の持つ喜劇性・・・。
「この作品を笑って読めるようになったら、人生が楽になる」、そんな言葉が残されているそうです。皆さんが少しでも笑って「かもめ」を読める、そんな番組にしていきたいと思います。

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第1回 たくさんの恋

【放送時間】
2012年9月5日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2012年9月12日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2012年9月12日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
沼野充義(ロシア東欧文学者・東京大学大学院教授)

チェーホフは、『かもめ』の構想として「5プードの恋」という言葉を使っています。これは「たくさんの恋」という意味。その言葉通り、作品の中では様々な恋が描かれていきます。古典的な文学の世界なら、そうした恋の多くは、様々な障壁を乗り越えながら成就していくものですが、『かもめ』で描かれる「たくさんの恋」はそうした様相をとっていくものではありません。ほとんどが片思いの一方通行です。なぜチェーホフは、そうした恋のありようを描いたのでしょうか。



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第2回 すれちがい

【放送時間】
2012年9月12日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2012年9月19日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2012年9月19日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
沼野充義(ロシア東欧文学者・東京大学大学院教授)

『かもめ』には多くの人物が登場し、多くの人間関係が描かれていきますが、そこで繰り広げられるのが「すれちがい」。交わされる会話はかみ合わず、それぞれの思いは相手には届いていないのではないかという世界です。現代社会に通じるコミュニケーション不全や人間の孤独、そして人間は本当にわかりあえるのかというテーマを、チェーホフはすでに描き出していたのです。その背景にあるチェーホフの人生観とは一体どのようなものだったのでしょうか。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:沼野充義「宇宙を飛んだカモメ」
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第3回 自分をさがして

【放送時間】
2012年9月19日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2012年9月26日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2012年9月26日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
沼野充義(ロシア東欧文学者・東京大学大学院教授)

『かもめ』に登場する文学青年は、作家になるという夢を果たしながらも迷い続け、かつて恋人だった女優志望の少女は、リアルな人生でボロボロになりながらも生きる道を求め続けます。19世紀末、革命前夜のロシアでは、それまでの価値観が崩れ、おおくの若者たちが自分がなすべきことをさがし続けていました。それは現代の日本にも似ているのではないでしょうか。人生において、自分が本当にすべきことは何か。チェーホフの投げかけた問いを、今の私たちに重ねながら、考えていきます。

もっとチェーホフ
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第4回 人生は悲劇か 喜劇か

【放送時間】
2012年9月26日(水)午後11:00~11:25/Eテレ(教育)
【再放送】
2012年10月3日(水)午前5:30~5:55/Eテレ(教育)
2012年10月3日(水)午後0:25~0:50/Eテレ(教育)
※放送時間は変更される場合があります
【ゲスト講師】
沼野充義(ロシア東欧文学者・東京大学大学院教授)
【特別ゲスト】
柄本明(俳優)

文学青年トレープレフの自殺の知らせで、『かもめ』は終わります。いっけん唐突な終わり方です。どうみても悲劇にしか思えない結末。しかし、チェーホフは友人への手紙に『かもめ』は喜劇である、と記しています。はたして『かもめ』は悲劇なのか、喜劇なのか。人生を扱いながら答えを言わず、問いかけのみをするチェーホフ。沼野さんが「チェーホフの喜劇問題」と名づけた問題を、チェーホフの一人芝居を演じてきた俳優の柄本明さんを交えながら語り合います。『かもめ』を、私たちの「人生」と置き換えた時、この問いは私たちの人生観に深く関わるものです。・・・私たちの人生がたとえどんな悲劇に見舞われようとも、それをいつか笑える力が、人にはあるのだと読み取ることもできるかもしれません。

NHKテレビテキスト「100分 de 名著」はこちら
○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
チェーホフ『かもめ』2012年9月
2012年8月25日発売
定価550円(本体524円)
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こぼれ話。

「かもめ」こぼれ話

チェーホフは、芸術家の仕事は「問題の正しい提示」であって、その「解決」ではない、と考えていました。「かもめ」をはじめとする戯曲と短篇を中心とした作品で、平凡な人々の小さな世界を冷徹に見つめ続けていました。
思うに、私たちがこれまでに作り続けてきた「テレビ番組」と、これほどそぐわない題材はないのではないか・・・・・・。
なぜならば、テレビ番組では「解決」を目指そうとするし、平凡な人々の小さな物語よりは、有名な人々の起伏に満ちた物語の方が描きやすいし、視聴者に好まれる、と
考えられるからです。

今回、チェーホフに私たちは問われました。「なぜ人間はすれ違うのか」、「自分とは何者なのか」、「人生は悲劇か 喜劇か」。当然、チェーホフは答えを、そのヒントさえも出しません。それは受け取り手がそれぞれ、決めることなのです。
だとして、百人百様の答えがある世界を、私たちはテレビ番組で、何を答えとして描こうとするのか、あるいは答えはないということを伝えるのか。
それならば、チェーホフの仕事をただなぞるだけではないか。「名著」としてどう提示するのか。

制作を終えた今も、答えが見つかりません。朗読劇で、短篇アニメで、沼野さんの豊穣な言葉でかもめの、チェーホフの世界と「格闘」をしたものの、皆さんに何をお伝えできたでしょうか。

そして、こんな私たちを、柄本さんの言葉を借りるなら「チェーホフは、山の上から双眼鏡で眺めて、ケラケラ笑っている」に違いありません。

名著の旅はかくも深く、終わりがありません・・・。

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