頭を少し持ち上げると、丸っこい茶色の腹が、弓なりの段々に別れているのが見えた。盛りあがった腹からは毛布がずり落ちかけていて、今にも完全に滑り落ちてしまいそうだった。
(「変身」第1章)
彼は多大な労力を払って椅子を窓際に押していき、窓枠に這いのぼり、椅子で身体を支えながら窓辺に寄りかかるのだった。それはただ、かつて窓の外を眺めるときに味わっていた開放感を思い出すためだけにやっているようなものだった。
(「変身」第2章)
今では妹は、何がとくにグレーゴルの好物かは深く考えず、朝と昼に店に走っていく前に大急ぎで、何か適当な食べ物をグレーゴルの部屋に足で押し込んでいくのだった。そして晩には、食べ物を味見くらいはしているか、それとも—大抵こちらなのだが—まったく口もつけていないかには無関係に、ホウキのひと掃きで回収していくのだった。
(「変身」第3章)
ぼくは人生に必要なものを何ひとつ携えてこなかった。あるのはただ、一般的な人間的弱さだけ。弱さ—それは見方によっては巨大な力なのだが、弱さに関してだけは、ぼくはぼくの時代のネガティブな側面をたっぷり受け継いだのだ。ぼくの時代は、ぼくに非常に近い。ぼくには時代に闘いを挑む権利はなく、ある程度は時代を代表する権利がある。
(カフカの「八折り判ノート」)
ぼくは、キルケゴールがやったように、もう凋落しつつあるキリスト教の手に導かれて生命にたどり着いたわけではないし、シオニストたちのように、吹き飛ばされていくユダヤ教の祈祷用マントの裾にすがりついたのでもない。ぼくは終わりか、始まりだ。
(カフカの「八折り判ノート」)