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名著、げすとこらむ。

小野正嗣
(おの・まさつぐ)
作家・仏語文学研究者、
早稲田大学教授

プロフィール

1970年、大分県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。パリ第8大学文学博士。立教大学教授を経て2019年より早稲田大学文化構想学部教授。「水に埋もれる墓」(2001)で朝日新人文学賞、『にぎやかな湾に背負われた船』(2002 )で三島由紀夫賞、『九年前の祈り』(2014)で芥川賞を受賞。近著に『踏み跡にたたずんで』『ヨロコビ・ムカエル?』など。主な訳書にマリー・ンディアイ『ロジー・カルプ』『三人の逞しい女』、アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』、アキール・シャルマ『ファミリー・ライフ』など。2018年よりNHK「日曜美術館」のキャスターを務める。

◯『黒い皮膚・白い仮面』 ゲスト講師 小野正嗣
問い続ける勇気を与える書

人種差別はどうして起こるのか。それはどのように個々人の心と身体、 その生き方に、そして集団の振る舞いに影響を与えるのか。どうして黒 人は劣等感を抱かされ、白人はその優越を疑わないのか。どうすれば黒 人は人種差別から解放されるのか。どうすれば黒人と白人はともにたが いを尊重し、わかりあうことができるのか。どうすれば人間は人種差別 のない世界を実現できるのか。

そうした問いを、まだ二十代の半ばの医学生フランツ・ファノンは、 みずからの差別体験を出発点に、精神医学の知見を支えに、哲学や精神 分析を参照し、例としてふんだんに文学作品を引用しながら考察しまし た。それが一九五二年に刊行された『黒い皮膚・白い仮面』です。

それから七十年近くが経った現在、世界から人種差別はなくなったで しょうか。何という愚問、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。 僕自身もそう思います。そして、こうした問いが誰にとっても明白な愚 問であり続ける現実に愕然とせざるを得ません。

たしかに、現在にいたるまで世界のさまざまな地域で人種差別撤廃 のための努力がなされてきました。『黒い皮膚・白い仮面』のなかで、 ファノンはみずからの受けた差別のみならず、植民地における人種差別 について、アメリカ南部や南アフリカ共和国の人種差別について語りま した。ファノンが民族解放のために短い人生の後半生を捧げたアルジェ リアも、その他のアフリカの国々も独立し、植民地支配から解放されま した。アメリカ合衆国では一九六四年に公民権法が制定され、黒人と白 人の法的な平等は実現されました。南アフリカ共和国では一九九四年に アパルトヘイトが撤廃されました。

しかし、この世界から人種差別はいっこうになくなりません。
そのことを痛感させる出来事が二〇二〇年にも起きました。
五月二十五日、アメリカのミネソタ州ミネアポリス郊外で、アメリカ の黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官に窒息死させられました。 背中にまわされた両手には手錠がかけられたまま地面にうつぶせに横た わり、警官の膝で首を押さえつけられ、顔も上げることができず、助け を求めるフロイドさんの姿を映した映像はSNSを通じてたちまち世界 中に拡散され、多くの人々に衝撃を与え、そしてアメリカにおける人種 差別の根深さ、おぞましさを痛感させることになりました。近年、アメ リカでは丸腰の黒人が白人警官によって殺害される事件が立て続けに起 こっていました。フロイドさんの事件をきっかけにして、黒人の命の 尊重と人種差別の是正を訴える「Black Lives Matter ブラック・ライヴ ズ・マター」(二〇一二年にフロリダ州で起きた、十七歳の黒人少年ト レイヴォン・マーティン射殺事件がSNSで拡散されたときのハッシュ タグ#BlackLivesMatter が、この抗議運動の呼称になりました)がア メリカの各地で、そして世界のさまざまな地域で展開されることになり ました。

そしてもちろん、人種差別は、アメリカだけの問題ではありません。 残念ながら僕たちとも無関係ではありません。無関係どころか、僕たち の問題そのものです。日常生活のあらゆるところに人種差別はあります。さまざまなちがい──肌の色をはじめとする身体的特徴のちがい、出身 地のちがい、言語のちがい、宗教のちがい、文化・慣習のちがい──が、 僕たちの生きるこの世界の驚くべき〈多様性〉を物語る喜ばしき徴として 言祝がれ尊重されるどころか、他者を貶め辱めるスティグマとなって 人種差別を正当化しています。現実の生活において人種差別的な 振る舞いを目にしたことがないという人でも、ネット空間──それも人 間が作り出している現実です──では、人種差別的な現実が、表現の自 由の名のもとに、溢れかえっていることは知っているはずです。

ときに目を覆い、耳を塞ぎたくなります。しかし現実から逃げること はできませんし、逃げてはいけません。ファノンはみずからが体験した、 そして彼が目撃した人種差別から目を背けませんでした。そして差別さ れる人々、多くの場合、公共空間において発言する権利すら持てなかっ たそうした人々の言葉にならない苦悩の叫び、呻き、ささやき、沈黙を 聞き届けようとしたのです。

無抵抗のジョージ・フロイドさんは、身体の自由を奪われ、顔を地面 に押さえつけられていました。僕たちがその姿を見て激しく動揺するの はどうしてでしょうか。それは他人事ではないと僕たちが感じるからで す。白人警官の膝によって首をきつく押さえつけられ、息をすることが できず、呻き声を漏らし、「殺さないでくれ」と懇願し、「ママ!」と叫 ぶその姿に、人種差別の犠牲者と同時に、虐げられ辱められた人間の 姿を見るからです。僕たちのなかにある〈人間〉が虐げられ辱められて いると感じるからです。

そのことをファノンは自身の肌身を通して理解していました。差別と いうものが、差別される人のうちにある〈人間〉を否定し殺すことにほ かならないとしたら、〈人間〉は誰のうちにもあるのですから、他者を 差別することによって、差別を見過ごすことによって僕たちは自分自身 の人間性を否定し殺すことになる──そうファノンは『黒い皮膚・白い 仮面』のなかで主張しています。

この世界に人種差別が存在する以上、そして人種差別は決して他人事 ではない以上、僕たちは「どうすれば人種差別をなくすことができる か?」と絶えず問わなければなりません。それは「どうすれば僕たちは 〈人間〉の名に値する存在となれるか」と言い換えることができるかも しれません。『黒い皮膚・白い仮面』から聞こえてくる若きファノンの 声は、ときに抑えきれず発せられる怒りに満ちたその叫びとともに、僕 たちが世界に向かって、自分自身に向かって問いを投げかけ続ける勇気 を与えてくれるのです。

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