おもわく。
おもわく。

「愛と孤独」「美への妄執」「心に巣食うエロティシズム」……私たち人間が逃れようとしても決して逃れない宿業を見つめ、自らの五感を総動員して、その悲喜劇を真っ向から描き続けた作家・谷崎潤一郎(1886-1965)。耽美的で、官能退廃を極めた絢爛豪華な作品群は、今も多くの人たちに読み継がれています。谷崎の代表作「痴人の愛」「吉野葛」「春琴抄」「陰翳礼賛」などの作品を通して、「性とは?」「美とは?」そして「人間とは?」…といった奥深いテーマをあらためて見つめなおします。

谷崎のデビュー作「刺青」は1910年、24歳のとき。性的倒錯を凝視した耽美的な作風が文壇で絶賛され一躍時代の寵児となりました。漢語や雅語から俗語までを使いこなす華麗な文体、作品ごとに自在に変幻する作風は他の追随を許さず、近代日本文学を代表する作家のひとりに数えられるまでに。人間は、どんなに偉そぶったところで、誰一人として、欲望や性的倒錯、愛するものへの妄執を避けては通れません。それらに翻弄されることが人間の宿命ならば、それをじっと凝視し、その正体を見極めていくこと。谷崎は、小説という方法で、欲望に翻弄される人生の悲喜劇を描き切り、人間存在の浅ましさ、愚かさ、滑稽さを浮かび上がらせていったのでえす。

谷崎作品の魅力はそれだけではありません。人生には、そうした愚かさを突き抜けて、美しいものが確かに存在すると谷崎はいいます。近代化によって失われようとしていた、日本ならではの「闇」をじっと見つめることで、我々が忘れかけていた美を再発見していく。ぎらぎらした直射日光ではなく、庇や障子に濾過された淡く微妙な間接光によって、朦朧と澱むように現れる暗がりにこそ、幽玄な美があると谷崎はいうのです。谷崎が救い出した、日本ならではの陰翳の美は、今も、多くのクリエイターや芸術家、文学者たちに影響を与え続けています。

番組では、作家の島田雅彦さんを指南役として招き、谷崎潤一郎の文学を分り易く解説。代表作4冊に現代の視点から光を当て直し、そこにこめられた【人間論】や【美学】【小説表現の奥深い可能性】など、現代の私達にも通じる普遍的なテーマを読み解いていきます。

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第1回 エロティシズムを凝視する ~「痴人の愛」~

【放送時間】
2020年10月5日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年10月7日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年10月7日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
島田雅彦(作家・法政大学教授)…「君が異端だった頃」で読売文学賞受賞。
【朗読】
吹越満(俳優)
【語り】
小口貴子

人間の業ともいうべきエロティシズムを描き切った作品「痴人の愛」。カフェーの女給だった15歳のナオミを育て、いずれは自分の妻にしようと思った真面目な男が、次第にナオミに心身ともに溺れ、破滅するまでを描く物語だ。自らの五感を総動員しモダニズムの手法を駆使したこの作品を執筆することで谷崎は、愛への妄執や性的倒錯に翻弄される人間の悲喜劇に真っ向から向き合った。第一回は、谷崎潤一郎の人となりや小説執筆の背景を掘り下げながら、「痴人の愛」という小説に描かれた「エロティシズムという業」を読み解いていく。

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第2回 「母なるもの」を探す旅 ~「吉野葛」~

【放送時間】
2020年10月12日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年10月14日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年10月14日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
島田雅彦(作家・法政大学教授)…「君が異端だった頃」で読売文学賞受賞。
【朗読】
吹越満(俳優)
【語り】
小口貴子

谷崎は、それまで磨き上げてきたモダニズムをいったん手放すように、日本の伝統や古典を素材とした文章を書き連ねていく。異界への旅ともいえる吉野への道行きの中で、主人公やその友人・津村が、伝説・歴史・伝統芸能を通してかいまみることになる「母なるもの」への限りなき憧憬を描く「吉野葛」。そこには、期せずにして、谷崎が幼い頃から追い求めていた母の存在が立ち現れてくる。果たして、人間にとって「母なるもの」とは何か? そして、それが人間を魅惑し続けるのはなぜか? 第二回は、「吉野葛」を読み解くことで、人間を深いところで縛り続ける「母なるもの」がどんなものなのかに迫っていく。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:島田雅彦
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第3回 闇が生み出す物語 ~「春琴抄」~

【放送時間】
2020年10月19日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年10月21日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年10月21日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
島田雅彦(作家・法政大学教授)…「君が異端だった頃」で読売文学賞受賞。
【朗読】
吹越満(俳優)
【語り】
小口貴子

ある感覚を突出させることで感覚を純化し、誰も見たことのない世界を現出させる。谷崎はその方法として、「春琴抄」という作品の中で主人公から光を奪った。美貌の師匠・春琴に仕える佐助は、春琴が何者かに煮え湯を浴びせられてその美貌が台無しにされたことを知ると、自らの目を突いて、春琴と同様の盲者になる。そこには、音や触覚による、めくるめく世界があった。直接的、物質的な光を断ち闇の世界に入った佐助の姿には、現実の日本社会に幻滅して、文学の世界の中に理想の美を実現しようとする谷崎の姿が重なる。第三回は、感覚を研ぎ澄ますことで、全く新しい世界を現出させる、文学の豊かな可能性に迫る。

安部みちこのみちこ's EYE
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第4回 光と影が織りなす美 ~「陰翳礼讃」~

【放送時間】
2020年10月26日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年10月28日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年10月28日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
島田雅彦(作家・法政大学教授)…「君が異端だった頃」で読売文学賞受賞。
【朗読】
吹越満(俳優)
【語り】
小口貴子

「厠」「庇」「障子」「金屏風」…日本ならではの建築や調度品に現れる「陰翳の美」に迫ったエッセイ「陰翳礼賛」。ぎらぎらした直射日光ではなく、庇や障子に濾過された淡く微妙な間接光によって、朦朧と澱むように現れる暗がり。そこにこそ「幽玄の美」があると考えた谷崎は、能や文楽といった古典芸能にも同様の美が現れているという。闇の中にほの白く浮かび上がる顔や手。そのくすみや翳りを帯びた白にこそ、現実と非現実の区別をたやすく呑み込む真の美があるというのだ。それは、近代化・西欧化がもたらした人工光によって失われようとしていた、日本ならではの美の再発見だった。第四回は、谷崎が追い求めた究極の美ともいうべき「陰翳の美」とは何かに迫っていく。

アニメ職人たちの凄技アニメ職人たちの凄技
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○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『谷崎潤一郎スペシャル』 2020年10月
2020年9月25日発売
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こぼれ話。

「絶対的な他者」として屹立する谷崎潤一郎

こんにちは。プロデューサーAです。今回も「谷崎潤一郎スペシャル」をご覧いただきありがとうございました。SNS等でのご感想・ご意見はほぼすべて拝見しています。今回は、とりわけ、敢えて感情を抑えた、いぶし銀のような吹越満さんの朗読と、高橋昴也さんによる、作品ごとにぴったりの、多様かつ絶妙なアニメーションへの数多くの賞賛をいただきました。彼らをディレクションしたHディレクターの演出も含め、企画者として深く感謝します。

谷崎潤一郎という作家は、ずっと気になる存在でしたが、私にとっては、理解を絶する部分が多い作家でした。「陰翳礼讃」こそ愛読していたのですが、小説作品については、どうしても共感しがたいところも多く、ある意味、谷崎という存在は私にとって「絶対的他者」ともいうべき存在だったのです。

そんな谷崎の作品をなぜ取り上げようと思ったのか? 実は昨年末に大きなきっかけをいただきました。思想家の内田樹さんと雑誌誌上で対談をさせていただいた折、以下の言葉に電撃に打たれたような衝撃を受けたのです。

「自分の手持ちの知的枠組みにうまく収まらない『異物』が入力されたときに、『お、なんだこれは』と言っておもしろがる人と、『異物』を嫌って、既知に還元したり、『なかったことにする』人の二種類の人間がいるような気がします。本当の読書体験は『異物』を自分のなかにねじ込んでゆくときに、自分の枠組みが解体し、自分自身が別人に変貌してゆくことを『快感』とすることだと思います」(内田樹)

この言葉を聞いたときに、一番最初に思い浮かんだのが「谷崎潤一郎」という存在でした。私にとって、長らく谷崎は「自分の手持ちの知的枠組みにうまく収まらない『異物』」でした。だから、この言葉を聞いて、私自身心のどこかで、谷崎の小説作品を「なかったこと」にしていたのではないか、と痛烈に反省したのです。

この機会に、谷崎という存在と真っ向から向き合い、これまで積み上げてきた既存の知的な枠組みを解体してみるのも、「100分de名著」という番組の懐を大きく広げるという意味で大きな価値があると思ったのです。実は、解説していただく講師候補には想定がありました。「深読み日本文学」という著書で、ユニークな谷崎論を展開している作家・島田雅彦さんです。「100分deナショナリズム」の収録現場の楽屋で、早速、いくつかの作品候補をもってご相談したところ、快くお受けいただきました。

谷崎作品との向き合いは、まさに「異物」を自分の中にねじ込んでいくような体験でした。視聴者の方の中にも、眉をひそめられる人もいらしたかもしれません。私自身は、内田さんから教えていただいた通り、今回は谷崎作品を自分と異るものとして排除しようという気持ちはもたないように取り組みました。その結果、多くのことが腑に落ちていきました。

谷崎が描く人間の本性に対して、単に「変態性」とレッテル貼りして切り捨てることなく、なぜここまで谷崎は、この本性にこだわるのかということを、島田さんとともに読み進めながら深く考えました。その結果、わかったのは、「変態性」というものは、どんな人間であっても、程度の差はあれ、誰もが持ち合わせているということです。普通は、恥ずかしいこととして、そういう自分の側面は、覆い隠し、抑圧しようとします。しかし、そうすればするほど、その「変態性」は、不健全な形で、ねじくれ、いびつな形で噴出してしまいます。

谷崎がとった戦略は、いびつなものとしてねじくれてしまうものならば、隠さずにとことん向きあおう、というものだったのではないか。良識派という人たちに眉をひそめられたりしたってかまわない。それは、自分のもっている本性なのだから、とことんつきあってみよう。その結果、立ち現れたのは、島田雅彦さんが番組でも語ってくれた「変態だけどフェア」「男尊女卑教の敗北」といったワードに代表される、谷崎的な「公正さ」です。私たちは、こうした谷崎の姿勢の中に、人間の本性を見つめぬく真摯さを学ぶこともできそうです。

何度も「不謹慎だ」「俗悪だ」という悪罵を投げつけられながらも、谷崎は、この姿勢をつらぬき続けました。その結果、谷崎は、誰もなしえなかった独自の文学世界を築き上げていったのです。

谷崎は、戦中にも、全く政治や社会とは関係ない「細雪」のような風俗小説を書き続けた、といって批判をされることもあります。軍靴の足音が聞こえてきたときにさえ「春琴抄」のような、非社会的な作品を描いた彼は終始ノンポリだったといわれることもあります。しかし、今回、島田さんとともに行った稀有な読書体験が教えてくれたのは、こうした作風は、実は、谷崎流の「抵抗戦略」だったのではないかということです。

自らの目を突いて、春琴と同様の盲者になる佐助。そこには、音や触覚による、めくるめく世界がありました。直接的、物質的な光を断ち闇の世界に入った佐助の姿には、軍靴迫る現実の日本社会に幻滅して、文学の世界の中に理想の美を実現しようとする谷崎の姿が重なります。そして、マッチョな国粋主義が声高に叫ばれる戦時下、大阪の旧家を舞台に、4姉妹の日常生活の悲喜こもごもをひたすらに綴った風俗カタログともいうべき「細雪」を執筆し続ける谷崎の執拗さ。ノンポリとも思えたこれらの作品の鋭い政治性が浮かび上がってきました。

庇や障子に濾過された淡く微妙な間接光によって、朦朧と澱むように現れる暗がりにこそ、近代化・西欧化がもたらした人工光によって失われようとしていた、さまざまな差異をたやすく呑み込む日本ならではの美があるとした「陰翳礼讃」の言説にすら、すべてを白か黒か、愛国か非国民か…で塗り分けるような無粋な分断主義に対する静かな警告すら聞き取れます。

「絶対的な他者」として屹立してきた谷崎潤一郎という存在を、自分の中にねじ込んでいく体験…それは、私たちの既存の知的枠組みを解体し、今まで見たこともないような光景を現出させてくれる稀有な体験でした。学問や文学という分野が著しく軽視される昨今、私たちが谷崎文学から学ぶことは、まだまだ数多くあるのではないでしょうか?

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