


男性・40代
カムパネルラの死と、モデルになっているという賢治の妹の死との関係が、いまひとつ分かりませんでした。「永訣の朝」では、妹の死が何が原因であったかは語られていませんが誰かを救うために妹のトシが亡くなり、それをカムパネルラの死で表現した、ということなのでしょうか。
男性・60代
「銀河鉄道の夜」は、若い頃に読み切れずに投げ出してしまった、私にとって因縁の名著でした。番組を拝見しても、宮沢賢治の世界は凡才にはやはりハードルが高いように思われます。登場人物を少年にするなど童話の形をとってはいますが、大人にも容易には理解できない現実を超越した作品のように思われます。
(男性・70代)童話の本として世に出ていますが、童話のレベルをはるかに超えて存在する本だと思っています。
ポコニャンさん(女性・30代)
銀河鉄道の夜には、キリスト教的な背景が感じられるエピソードがいくつも でてきますが、なぜ宮澤賢治はそのような設定にしたのでしょうか?
他にも、作品自体がキリスト教の宗教観がずいぶん入っているからかなんだか共感できません。
ポコニャン さま
『銀河鉄道の夜』にはキリスト教の精神が確かに感じられます。キリスト教と仏教における犠牲の心や限りない献身は、賢治のとても大事なメッセージだったからです。賢治は、キリスト教に深い関心を持っていました。盛岡高等農林学校1年生の賢治は、あるアメリカ人宣教師から聖書の教えを習いました。その宣教師の名は、ヘンリー・トッピング(1857−1942)でした。(なぜか、日本のサイトなどには、「タッピング」となっています。)
賢治は、このトッピング師を「タピング」と改名し、彼や奥さんや息子のウイラード(1899−1959)を描く文語詩「岩手公園」を書きました。
蛇足ですが、わたしは最近、トッピング夫妻に興味を持つようになり、ちょっと調べています。彼らは1895年に初めて日本の土を踏み、盛岡へ行って、盛岡バプティスト教会で聖書を教えたり、日曜学校を開いたり、当時日本にあまりなかった幼稚園を開園しました。主人のHenryも奥さんのGenevieve(1863−1953)も日本語を自由自在に使いこなせるようになりましたが、ヘンリーは、盛岡の市民が「なかなかキリスト教に改宗せず」、だいぶ悩んだようです。晩年、二人とも自己信念の貫く平和主義者となり、戦時中日本に残った数少ないアメリカ人でした。東京の築地にも神戸にも住みました。一人の娘メーリは、1893年に一歳でなくなりましたが、日本育ちの娘ヘレンと息子のウイラードは、両親の仕事のあとを継いで、宣教師となりました。ウイラードのほうですが、戦時中、アメリカに戻り、米海軍日本語/東洋言語学校で日本語を教えました。
話は賢治に戻りますが、賢治にとっては、トッピング師との出会いはきっと大切だったと思いますが、長生きしたトッピング夫妻は一度も賢治のことにはふれませんでした。改宗なんかはまっぴらごめんだった賢治は、一生日本人の魂を釣り出すトッピング師には、賢治のような日本人は雑魚だったに違いありません。