「銀河鉄道の夜」のページへ→

ハテナ?のメール箱の回答。皆さんからお寄せいただいた“ハテナ?”のメール。番組では、代表的な質問や、多かった疑問を、講師の先生にお聞きしました。

第8回「銀河鉄道の夜」編 ロジャー・パルバースさん回答!

Q

男性・40代

カムパネルラの死と、モデルになっているという賢治の妹の死との関係が、いまひとつ分かりませんでした。「永訣の朝」では、妹の死が何が原因であったかは語られていませんが誰かを救うために妹のトシが亡くなり、それをカムパネルラの死で表現した、ということなのでしょうか。

A ロジャー・パルバースさんからの回答。

匿名 さま

妹のトシは、病死しましたので、カムパネルラの死に方とは違います。従って、二人の死を比較することは無理でしょう。しかし、妹の死は、明らかに賢治が『銀河鉄道の夜』を書いたきっかけとなったと思われます。そこで、この小説と「永訣の朝」の詩がつながっています。二つの作品のテーマが一致しているわけです。すなわち、悲しみを乗り越えることやこの世からあの世へ行こうとすることなどです。両方の作品は、「旅」を描いています。

ページ先頭へ

Q

男性・60代

「銀河鉄道の夜」は、若い頃に読み切れずに投げ出してしまった、私にとって因縁の名著でした。番組を拝見しても、宮沢賢治の世界は凡才にはやはりハードルが高いように思われます。登場人物を少年にするなど童話の形をとってはいますが、大人にも容易には理解できない現実を超越した作品のように思われます。

(男性・70代)童話の本として世に出ていますが、童話のレベルをはるかに超えて存在する本だと思っています。

A ロジャー・パルバースさんからの回答。

匿名 さま

わたしは43年にわたって宮沢賢治の作品を読み続けていますが、彼は童話作家だと一度も思ったことがありません。確かに不思議な動物や一見非現実的な存在(山男など)が登場しますが、これらの「人物」は賢治にとっては、あくまでもリアリスティックであって、決して幻想的なものではありません。賢治の作品は、年齢性別問わず読まれていますね。

ページ先頭へ

Q

ポコニャンさん(女性・30代)

銀河鉄道の夜には、キリスト教的な背景が感じられるエピソードがいくつも でてきますが、なぜ宮澤賢治はそのような設定にしたのでしょうか?
他にも、作品自体がキリスト教の宗教観がずいぶん入っているからかなんだか共感できません。

A ロジャー・パルバースさんからの回答。

ポコニャン さま

『銀河鉄道の夜』にはキリスト教の精神が確かに感じられます。キリスト教と仏教における犠牲の心や限りない献身は、賢治のとても大事なメッセージだったからです。賢治は、キリスト教に深い関心を持っていました。盛岡高等農林学校1年生の賢治は、あるアメリカ人宣教師から聖書の教えを習いました。その宣教師の名は、ヘンリー・トッピング(1857−1942)でした。(なぜか、日本のサイトなどには、「タッピング」となっています。)
賢治は、このトッピング師を「タピング」と改名し、彼や奥さんや息子のウイラード(1899−1959)を描く文語詩「岩手公園」を書きました。

蛇足ですが、わたしは最近、トッピング夫妻に興味を持つようになり、ちょっと調べています。彼らは1895年に初めて日本の土を踏み、盛岡へ行って、盛岡バプティスト教会で聖書を教えたり、日曜学校を開いたり、当時日本にあまりなかった幼稚園を開園しました。主人のHenryも奥さんのGenevieve(1863−1953)も日本語を自由自在に使いこなせるようになりましたが、ヘンリーは、盛岡の市民が「なかなかキリスト教に改宗せず」、だいぶ悩んだようです。晩年、二人とも自己信念の貫く平和主義者となり、戦時中日本に残った数少ないアメリカ人でした。東京の築地にも神戸にも住みました。一人の娘メーリは、1893年に一歳でなくなりましたが、日本育ちの娘ヘレンと息子のウイラードは、両親の仕事のあとを継いで、宣教師となりました。ウイラードのほうですが、戦時中、アメリカに戻り、米海軍日本語/東洋言語学校で日本語を教えました。

話は賢治に戻りますが、賢治にとっては、トッピング師との出会いはきっと大切だったと思いますが、長生きしたトッピング夫妻は一度も賢治のことにはふれませんでした。改宗なんかはまっぴらごめんだった賢治は、一生日本人の魂を釣り出すトッピング師には、賢治のような日本人は雑魚だったに違いありません。

ページ先頭へ