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ユリナ ノ 目

「幸福論」をふりかえって。

《ユリナ ノ メ》連載第7回目となりました。

さて、年の瀬も迫る中で、日本ではブータン国王の“来日フィーバー”が巻き起こりました。そのブータンは、GNH(=「国民総幸福量」)の成長を国家の目標に掲げている国として国際社会でも注目されています。

「国民総幸福量」?!
GDP、GNPを指標に、経済発展の度合いで国の成長を測ることが当たり前となっている私たちからすると、
なるほど!これは、今閉塞感に覆われている日本を救う新しい考え方かもしれない!と、目の覚めるような思いがします。

「幸福」という極めて主観的な概念を国家の成長の指標として用いることには限界があるのではないか?という疑問はありながらも、
それでもなお、それ以上に、「幸福」という言葉には私たちが惹き付けられてやまない、優しく包み込むような甘い響きがあります。

そう、私たちはいつだって幸せになりたいんです!!


…と前置きは長くなりましたが!

今回取り上げた『幸福論』には、その幸せになるためのエッセンスがギュギュっと凝縮されていました!!

ちょっと疲れたときに、ほっと一息、心を休める「アメ玉」のように、いつでも持っておきたい!
そんな言葉に出会うことができて本当に嬉しいです!

私の心の「アメ玉」となった言葉を3つご紹介します!

1つ目は
“悲観主義は感情で、楽観主義は意志の力による” という言葉。

もともと一晩寝れば、嫌なことがあっても忘れてしまうような性格なので
私自身がとりわけ悲観主義的というわけではないですが、
どうしても落ち込んでしまうようなことがあった時には、
「楽観的な人はいいなぁ。こんなことがあってもそんな人だったらきっとすぐに立ち直れるのかな。」と思うことが私にはありました。
《きっと「楽観主義」は天性のもので、そう生まれた人たちが「楽観主義者」になれるのだ》と、どこか信じてしまっていたのです。

しかし、このアランの言葉でハッとさせられました。
「楽観的」と言われる人の多くも、そこには意志の力があってそうなっているのだとアランは教えてくれました。

私もちょっとした意志の持ちようで、変わることができるのかもしれない!と、アランの言葉で、とても気持ちが軽くなり、救われました。


そして2つ目は、
“自分のことを考えるな。遠くを見よ。” という言葉。

たしかに、遠い空に浮かぶ星を見ると、自分なんてち〜っぽけな存在に思えて、私の悩みなんてとっても些細なことの様に思えます。

忘れられない友人の言葉があります。
「ちょうど一年後の自分が、今の自分の悩みを覚えていると思う?
もし覚えていないなら、きっとこの悩みは大したことではないんだよね。」

遠くを見れば、今の悩みなんてちっぽけ。
その位の悩みは、一種の自意識の過多が招いている不幸だと言えるかもしれません。


そして、3つ目は大好きな言葉!
“幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。”

まさに、笑う門には福来たる!!
楽しい顔をして、暗い気持ちにはなれません!
楽しい顔をしている人には、もっともっと楽しく、幸せになってほしい!と周りも思いますよね!


以上、私が特に好きな「アメ玉」を3つご紹介しました。
いかがでしたか?



私が『幸福論』を通して、アランから特に感銘を受けた考え方があります。

それは、「幸福」そのものを「徳」と見なし、それ故、「幸福になることは義務」でもあり、人間が市民社会で生きて行くからには「幸福になることを誓わねばならぬ」という考え方です。
(ただし、アランは、『幸福論』では、事故・病気・死といった「本当の不幸」の場合については述べていません。)

「幸福になることを誓う」
そんな気持ちでみんなが生きている社会になったら‥本当に素敵です。
街中や電車の中で時折見かける、イライラの衝突もなくなるでしょうし、
ちょっとした瞬間にでも、お互いに優しい気持ちで過ごせそうです。

始めにお話した、ブータン発の「国民総幸福量」という考え方。
この指標の確かさは私にはわかりませんが、
この指標を掲げることによって、私たち国民全員が「幸福になることを誓う」きっかけになるならば
この上なく素敵な考え方だと思います!

みんなで幸せになろう!
今、日本が混迷の時代だからこそ、日本国民みんなでそんな風に誓い合うことができたら‥と心から思います。


さて、次回はあの宮沢賢治の名著『銀河鉄道の夜』を読み解いていきます。
どうぞお楽しみに!!

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