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名著、げすとこらむ。

◯「マキャベリ」ゲスト講師 武田好
『君主論』は就職のための論文だった

マキャベリの『君主論』と聞くと、なにやら小難しいことが書かれた分厚い本を想像しがちですが、日本語訳のものは、平易な文章で書かれた、文庫にして150ページ足らずの本です。内容は、その名が示すとおり、君主が国を治めていくために必要と思われるノウハウを簡潔にまとめたもので、君主国や共和国などの種類や成り立ち、それぞれの国の征服・維持の方法、軍事に関する提言、君主に求められる資質などについて書かれています。十五〜十六世紀のヨーロッパで実際に起こった出来事をモチーフに話が展開するため、歴史的知識を持たずに読むと、少々分かりにくく感じる部分もありますが、いわんとしている趣旨は誰にでも理解できるはずです。
(なお、番組では「マキャベリ」の表記で統一しますが、本来のイタリア語読みを正しく表記すれば「マキァヴェッリ」がもっとも近いでしょう) それなのに『君主論』を実際に読んだことがある人が意外に少ないのは、この本には権力にまつわるダークなイメージがつきまとっているからだと思います。『君主論』を象徴する概念として、「マキャベリズム」(権謀術数主義)という言葉がありますが「目的のためには手段を選ばない」という意味で使われています。
確かに『君主論』の中には、「国を維持していくためには、冷酷非道な手段や、人を裏切ったり欺いたりする行為もあってしかるべき」的な表現や、「人間というものは狡猾で嘘つきで信用ならない生き物である」と定義した上で君主としての心得を述べている箇所が見受けられます。 だからでしょうか、一般の人が読むと、本来は隠しておくべき人間の本質というべき闇の一面、冷酷な一面をまざまざと見せつけられたような、なんとも後味の悪い気分にさせられるのは事実です。
『君主論』を初めて読んだ人の多くは「マキャベリというのは賢いかもしれないが、人間としては最低な人物だ」というマイナスイメージを抱いてしまうかもしれません。また、日本では「管理職のあるべき姿を『君主論』に学ぶ」といったマニュアル的な読まれ方をすることも少なくないようですが、読んだ人は「なるほど、部下を管理するのには使えそうだな」と納得しながらも、どこかしら後ろめたい気持ちにとらわれてしまうはずです。
しかし、単に文字面を追うのではなく、この本が書かれた歴史的背景や、書かれた目的を知ってから読むと、マキャベリという人物、彼の書いた『君主論』が、今までとは少し違ったものとして私たちの前に浮かび上がってきます。歴史や書かれた背景を知らずして『君主論』を読んだところで、それではこの本の本質に触れたことにならない、と言っても過言ではないでしょう。
種明かしをしてしまうと、マキャベリ自身は、もともとは政府の一人の官僚(外交官)で、国を動かす君主の立場にあったわけではありません。また、今でこそ『君主論』は世界中で翻訳されて古典の名著のように扱われていますが、本来は万人に向けて書かれたものではなく、わけあって官僚を解任されたマキャベリが、もう一度、官僚の座に返り咲きたい一心で、次期君主に向けて就職活動のために書いた論文でした。
みなさんも就職活動の際に企業に提出する小論文に、自分の本心をそのまま赤裸々に書いたりはしないでしょう? ほとんどの人は雇い主に気に入られるように脚色を加えながら書くはずです。マキャベリの場合もそれと同じで『君主論』に書かれていることがすべて彼の本心というわけではない、と考えるべきでしょう。
「『君主論』に書かれたもの=マキャベリの思想」と勘違いされて、自分の名を冠した「マキャベリズム」という言葉が恐ろしい意味で使われていることを、もしあの世の本人が知ったら、どう思うでしょうか。おそらく、「私は冷徹でもないし、残酷でもない。ただの気のいい仕事好きの中年男だよ」と苦笑いを浮かべるのではないかと思います。
そうした背景を念頭に置いて、『君主論』を読み解くと、自らの仕事と国を愛した、情熱的なひとりの男の姿が見えてくると思います。今、新たな視点で『君主論』と向き合ってみてはいかがでしょうか。

武田好(たけだ・よしみ)
星美学園短期大学准教授

プロフィール 1961年、大阪府に生まれる。大阪外国語大学大学院外国語学研究科イタリア語学専攻修了。星美学園短期大学専任講師を経て、同短期大学イタリア語イタリア文化コース准教授、慶應義塾大学非常勤講師。1998年から2007年までNHKラジオイタリア語講座入門編、応用編を担当する。著書に『イタリアオペラに行こう アリアでたどる愛と情熱の世界』『これなら覚えられる! イタリア語単語帳』(以上、NHK出版)、『イタリアオペラを原語で読む カヴァレリア・ルスティカーナ』(小学館)など。訳書に『マキァヴェッリの生涯 その微笑の謎』(白水社)、『マキァヴェッリ全集』第5、6巻(共訳、筑摩書房)など。マキァヴェッリが記した本国向けの外交交渉の書簡を翻訳しピーコ・デッラ・ミランドラ賞を共同受賞。

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