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ハテナ?のメール箱の回答。皆さんからお寄せいただいた“ハテナ?”のメール。番組では、代表的な質問や、多かった疑問を、講師の先生にお聞きしました。

第5回「真理のことば」編 佐々木閑さん回答!

Q

匿名(30代・女性)

仏教について知ろうと思っていた時に、こちらの番組とテキストを知りました。浄土真宗では、釈迦の教えとして、阿弥陀仏の存在を説いていますが、テキストには、何も書かれておらず、やはりその存在はないということでしょうか?

A 佐々木閑さんからの回答。

匿名 さま

今回ご紹介したのは、今から約2500年前にブッダ、つまりお釈迦様がお創りになったおおもとの仏教の教えです。そのころはまだ、阿弥陀如来などの超人的な仏がどこかにおられて私たちを救ってくれるという教えはありませんでした。それはブッダが亡くなって500年くらい過ぎてから現れた、別個の新しい考えです。このように仏教という宗教は、いろいろな違った教えの集合体なので、その違いをしっかり理解しておかないと混乱して訳が分からなくなります。学び続けることが大切ですね。

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Q

鈴木孝雄さん(60代・男性)

ブッダが苦行で自分の悩みを解決しようとしたということは、当時、苦行をする風潮があったのでしょうか?
当時の時代背景を知りたいのですが?

A 佐々木閑さんからの回答。

鈴木孝雄 さま

ご指摘のとおりです。インドには大昔から苦行の伝統があり、人は苦行を積むことで、超人的なパワーを手に入れたり、幸福を呼び寄せたりすることができると考えられていました。今でもテレビなどで、人間業とは思えない不思議なことをするインド人修行者を見かけることがありますが、それもそういった伝統の現れです。ただ、ブッダはそういった考えを否定し、修行の本質は精神の内部にあると考えて、精神集中だけに特化した修行体系を創っていったのです。

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Q

ひろちゃんさん(60代・男性)

「真理のことば」は本として、いつごろ誰によってまとめられたのでしょうか。また日本にはいつごろ伝わったのでしょうか。翻訳は、どなたが行ったのでしょうか。

A 佐々木閑さんからの回答。

ひろちゃん さま

インドという国は昔の歴史年代がよく分かっていないので、正確なことは分かりません。ブッダが亡くなったのがおそらく紀元前4、5世紀。そのあと数百年のうちに「真理のことば」が編集されました。ですから編集時期は「紀元前2、3世紀ころ」ではないかと思われます。編集者が仏教の僧侶であったことは間違いないでしょうが、誰がどうやってまとめたのかは全く分かっていません。「真理のことば」の漢文ははるか昔から日本に伝わっていましたが、それが現代語に翻訳されて広く読まれるようになったのは明治時代の中頃から後です。詳しくは中村元訳『ブッダの真理のことば、感興のことば』(岩波文庫)の解説をご覧ください。

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Q

アヒルさん(30代・女性)

今回の放送をみて、心の持ち方が変わりました。自分ではどうにもならない「病気」や、「出来事」に不安を感じていましたが、ブッタの言葉によって、心を正しい方へ向けていこうと前向きに考えることができました。ここで質問なのですが、「正念」について、もう一度、詳しく教えていただけませんでしょうか。佐々木先生も番組で「正念」を念頭に・・とおっしゃってましたが、詳しく教えていただければ助かります。これから、今回の放送をきっかけに、ブッタの言葉を日常に取り入れ、凝り固まったものの見かたではなく、ブッタの説いた正しい見方で、毎日を過ごしていこうと思います。

A 佐々木閑さんからの回答。

アヒル さま

念は古代インド語では「サティ」と言われ、その意味は「ずっと覚えていること」「忘れないこと」です。ですから「正念」というのは、正しい方向に思いを向け続けるということです。具体的には、私たちの身体や、日々の感覚や、心の本質や、世界のありようについて、間違った見方を捨て去って、いつでも正しく見ていこうと努力し続けることです。言葉で言うとむずかしそうに聞こえますが、「正しくものを見ようと心掛けること」と言い直せば、よく分かります。そこにブッダの教えの本質が現れています。

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Q

お茶屋さん(50代・女性)

インドの仏教徒は、長い歴史のなかで、大きく数を減らしてしまいましたが、現代のインド人にとって、ブッダはどんな存在なのでしょうか?
また米国でナイトスタンドブッディストが生まれてるように、インドでもそんな兆しはあるのでしょうか。

A 佐々木閑さんからの回答。

お茶屋 さま

せっかくブッダがお創りになった仏教も、インドでは約千年前に滅びてしまいました。それ以来、本家のインドでは仏教が消えて、その周辺の国々で栄えているというドーナツ化現象が続いていたのです。しかし第二次世界大戦後、カースト制度の差別に苦しむ被差別階級の人たちを救うため、もう一度、仏教がインドに導入されました。「すべての人間は生まれながらにして平等である」というブッダの教えが注目されたのです。それ以来、少しずつではありますがインドの仏教徒人口は増え続けています。今では様々な国の僧侶がインドで活動しています。ブッダの思いが、二千五百年の時を隔てて今ようやくインドで花開きつつあると思うと胸が熱くなります。

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Q

だやんさん(30代・男性)

ブッタ「真理のことば」を見ました。人生において物事を客観的にとらえることで苦しみから逃れることが出来るのは事実だと思いますが、それを実行する事が仮に出来たとすると、同時に人生における喜びも同時に失ってしまうのではないでしょうか。

A 佐々木閑さんからの回答。

だやん さま

ものごとを客観的にとらえるということは、決して、感情を殺してものを見るという意味ではありません。むしろその逆であって、私たちはものの本当の姿を知った時にはじめて、人生の真の喜びを手にすることができます。みせかけの、つくりものの楽しみに慣らされて、明日になればなにも残らないような空蝉の歓楽を「人生の喜び」のように錯覚しているところに苦悩の根源があるとするなら、その錯覚を離れて、正しいものの見方を手に入れた時、本当の喜びへと通じる道も見えてくるはずです。「苦しみから喜びへ」。そこにブッダの教えの本義があるのです。

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