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ハテナ?のメール箱の回答。皆さんからお寄せいただいた“ハテナ?”のメール。番組では、代表的な質問や、多かった疑問を、講師の先生にお聞きしました。

第2回「論語」編 佐久協さん回答!

Q

ろんごりあん さん(10代・女性・栃木)

今日の放送で孔子が金持ちになること、出世すること、有名になることを肯定している前提には『恕』があるということは理解できたのですが、孔子に否定と肯定の2つの答えがあるのはどうしてなのでしょうか。私は個人的に、弟子に『仁とは何か』と聞かれたときにその弟子によってそのときによって孔子の回答が異なっているのと同じで、孔子自身もその回答を探し続けていたからかと推測しているのですが…私はまだ論語をきちんと理解できていないので教えていただけたら幸いです。

A 佐久協さんからの回答。

ろんごりあん さま

論語には確かに矛盾していると思われる章句がいくつかあります。その最大の理由は、論語は孔子が様々な弟子に語った言葉を寄せ集めたものだからです。孔子は弟子の性格を見て諭しています。ですから全く正反対の言葉も少なくないのです。先進十一の二十二では、孔子自身がそうした手の内を明かしていますから、参照してみて下さい。
もう一つの理由は、読み手である私たちが、答えは一つであると思い込みすぎている点です。孔子は道徳や真理をコインの裏表のようなものではなく、ジャンケンポンのようなものとみなしていました。その世界観になじめないと、孔子の言葉が曖昧でどっちつかずと思われがちになります。相い反する言葉を矛盾でなくバランス感覚と捉えると理解しやすいかもしれません。

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Q

ぷーまっくす さん(20代・女性・京都)

NHK教育で放送されている「にほんごであそぼ」の中で論語を歌にしたものがあり、それから論語にとても興味を持ちました。しかし、その一節の中に「40にして惑わず」という言葉があり、とても悲しくなりました。なぜなら、現在27歳の私ですが、仕事やプライベートともに毎日悩み悩み、いつになったら心が中庸を保つことができるのだろうかと思っているところですが、孔子曰く40歳までは心の平穏はなく、さらには近年若年化が進む現代人では一体何歳が当時の40歳に相当するのか・・・
もしかしたら70歳やかなりの高齢にならないと「惑わず」にはならないのかとがっかりしてしまいました。先生はこのことをどうお考えになるか、よければお聞かせください。

A 佐久協さんからの回答。

ぷーまっくす さま

最近は8掛け人生と言われています。つまり現在の60才は、体力的にも精神的にも昔の48才くらいとされていますから、現在の50才が孔子の時代の40才でしょうか。
わたしの経験でも50才くらいになると自分を客観的に眺められ、必要以上に迷わなくなるものです。ホルモンの分泌が衰えるせいだなどと言う人もいますがね。
でも、孔子も迷い、のたうっているんですよ。そうした言葉が論語にはたくさん載っています。四十にして惑わずは、迷いを抑えようとする孔子の自戒の言葉ととった方が適切でしょう。

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Q

赤羽ミキ さん(30代・女性・東京)

第3回「人を動かすリーダー論」を興味深く拝見しました。わたしはリーダーを支える働き方がしたいのですが、論語のなかに役に立つ言葉はありますか?

A 佐久協さんからの回答。

赤羽ミキ さま

リーダーを支える者は、誠実に仕えねばなりませんが、誤りがあったら直言できなければいけません。憲問第十四の二十三で、子路の同様の質問に孔子は「欺(あざむ)くことなかれ、而してこれを犯(おか)せ」と答えています。では、どのようなことがリーダーとしての誤りかは、季子第十六の十にあります。少々長文ですので割愛しますが、本講座のテレビテキストの59ページに解説してありますので、参照してみて下さい。リーダーになりたがる人は大勢いますが、リーダーを支え育てようとする人があまりに少ないのが、政治経済の低迷の一因であると思いますので、大いに頑張って下さい。

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Q

ごとうとみえ さん(30代・男性・大阪)

「論語」は孔子の弟子たちによってかかれたそうですが、孔子自身の生い立ち や、活動なども論語に書かれていますか?また、論語以外に、孔子自身について書かれた書物はあるのでしょうか?孔子がどういう生き方をしたか、どういう人生だったか?と言うことは、いったい何に記されているでしょう?

A 佐久協さんからの回答。

ごとうとみえ さま

孔子の出自は、はっきりとは分からないというのが正解です。司馬遷の「史記」の孔子世家や仲尼弟子列伝、王粛の「孔子家語」(こうしけご)に出生に関する記述がありますが、「孔子家語」は偽書とされており、「史記」の記事も伝聞の域を出ていません。
白川静氏の「孔子伝」(中公文庫)は、いずれの説もしりぞけ、孔子は巫女の庶生子であったとしています。白川氏の本がもっとも手に入りやすいですから、氏の論考を参照されるとよいでしょう。

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