土砂災害・洪水・津波など過去の自然災害を伝える伝承碑は、全国に残されている。
国土地理院は2019年から、過去の災害を記したこうした石碑などを「自然災害伝承碑」という新しい地図記号にして掲載を始めた。これまでに四国は85か所が登録されている(2020年11月現在)。
ただ、まだまだ各地には地図記号に未登録の石碑なども数多くあり、災害の教訓を現代に伝えるものが少なくない。
ここでは松山放送局の清永 聡解説委員が、地図記号に登録されたものに限らず、幅広く四国の各地を訪ねて、それぞれの石碑が持つ意味や人々の思いを伝える。
数字をクリックすると、対象の伝承碑の詳細が見られます
清永解説委員が訪ねた伝承碑
清永解説委員はこの後も四国各地の伝承碑を訪ねて、情報を追加していきます
西日本豪雨の被災地に近い場所で120年前も大規模災害が起きていたことを伝える石碑。
松山市大可賀地区。江戸時代に新田開発が行われ「大可賀新田」と呼ばれた。明治17年8月25日の台風で高潮が発生し、堤防が決壊して一帯は海のようになったという。
松山市元町。三津浜港に近い場所に設置されている。明治17年8月25日の台風による高潮被害で、大可賀地区と同じ台風による高潮被害を伝えている。
高知県宿毛市大島地区。神社を整備した平成7年に設置された石碑。階段の途中、高さ1、5メートルの場所に1854年の「安政の南海地震の津波」、そして階段の一番上付近、高さ10メートル近い場所に1707年に「宝永地震の津波」の石碑がある。
徳島市など。「高地蔵」は洪水でお地蔵さんが水につかったり、流されたりすることを申し訳なく思った当時の人が、高い台座の上に据えたと伝えられている。吉野川の下流域を中心におよそ190体残されている。
徳島市南沖洲。蛭子神社境内に移設設置されている「百度石」に、1854年に発生した安政南海地震の揺れや人々の様子と、防災上の注意点が刻まれている。
香川県観音寺市大野原町。大谷池の堤防上に設置されている。昭和21年5月9日に池の堤防が決壊、下流の地区に流れ込み死者6名、流出家屋54棟という大きな被害が出たことなどが記されている。4年後に復旧工事が完成した。石碑は昭和48年に建立されている。
桂浜に近い浦戸湾の入り口にある高知市浦戸の稲荷神社。鳥居の近くに石柱があり、1854年の安政南海地震を受けた教訓が赤い文字で刻まれている。
昭和47年7月5日、今の香美市土佐山田町繁藤で大雨による土砂崩れが5回に渡って発生し、消防団員や駅に停車していた列車の乗客など60人が犠牲になった。
社会部で司法クラブや気象庁などを担当。
2016年から司法・災害担当の解説委員。2020年に松山放送局に異動。ふだんはニュースデスクをしながら四国担当の解説委員を兼務し、勤務の合間をぬっては四国各地を歩いている。