NHK松山放送局 アナウンサー・キャスターページ
<フィリピンで生活した留学生寮の1枚 入口にある思い出の公衆電話>

スポーツ以外で学生時代はどんな風に過ごしましたか?

大学の交換留学の制度で1年間、フィリピンに留学しました。なぜフィリピンなのかっていうと、ちょうどそのころアジアの時代、アジアが熱いって言われていて、欧米ではなくて発展途上の国で学びたい、東南アジアのパワーを体感したいと思って、フィリピンを選びました。熱帯の気候、7000以上ある島ごとに異なる文化、未発達のインフラでの生活と、いわゆるカルチャーショックの連続でしたね。日本の大学生はほとんど携帯電話を持っている時代でしたが、フィリピンではまだ学生はほとんど持っていませんでした。ですから、連絡する時は、寮の公衆電話を使っていましたね。あとは、手紙とかメッセージカードでやりとりする。逆に新鮮さを感じました。ホームシックにはなりませんでしたが、この電話で日本にも連絡しましたね。
僕が住んだのは大学のキャンパス内にあるインターナショナルセンターっていう世界から集まった留学生が住む寮で、4人部屋のルームメートは地元のフィリピンの人とインドネシアと韓国からきた留学生でした。すべてが刺激的だったし楽しかったですね。先ほど“人生の大切なことのほとんどはテニスから学んだ”って言いましたけど、今の固定観念にとらわれない考え方はフィリピンで学んだといっていいですね。

フィリピンでの印象的な出来事はありますか?

フィリピンに“スモーキーマウンテン”っていうのがあるんですよ。みんながゴミを捨てて山みたいになって、そこからガスが出て煙が出ている様子から“スモーキーマウンテン”って呼ばれてるんですね。
そこに留学時代、フィールドワークといって現地調査みたいな活動があって、スモーキーマウンテンに住んでいる人に話を聞く機会があったんです。ゴミ拾いをして生計を立てている方々です。子どもたちに話を聞くと、すごく純粋に夢を語るんですよ、先生になりたいとか、バスケットボール選手になりたいとか。そういう現状を肌で感じたときに、自分で感じたものを自分のことばで伝えたいと思ったのが、アナウンサーになりたいと思ったひとつの理由ですね。

留学で学んだことはなんですか?

フィリピンにいた時に学んだことは、世界の価値観です。僕が暮らしていた留学生寮は、とにかく国際色豊かでした。世話好きで親切なエリトリア人とか、レディーファーストが徹底されている韓国人とか、カンボジアの大臣の子息とか。パキスタンのみなさんとは、ほとんどルールのわからないクリケットをしたり、ラマダン(断食)月には、インドネシアのみなさんに気遣って生活したり。スポーツ大会では、中国のみなさんが「加油(ジャーヨ)!」って団結して、とても卓球が強かった~。その時、思ったんです。僕は彼らを通して、国柄や文化、国民性を解釈していた。逆に言うと、彼らは僕を通して日本人というものを理解しているのかもしれない。だから、日本人として恥ずかしくない行動、言動をしなきゃと強く思いましたね。その思いは、今でも仕事やプライベートで海外に行った時、常に意識して行動するように心がけています。

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