ページの本文へ

NHK松山放送局 アナウンサー・キャスターページ
<2004年センバツでスタンドリポートを担当>

これまでの仕事で、心に残っていることを教えてください

2004年のセンバツで済美高校が優勝したとき、甲子園でスタンドリポーターを担当したことです。特に思い出に残っているのは、センバツ史上に残る名勝負となった準々決勝の東北高校との試合です。東北高校は、ダルビッシュ有投手を擁し、優勝候補筆頭でした。その試合、私は、1塁側アルプスで済美高校のスタンドリポートを担当しました。
この試合で劇的に勝利した済美高校は勢いに乗り、創部わずか3年目で優勝。閉会式後、宿舎から中継で監督・選手全員にインタビューし喜びの声を伝えました。翌朝、飛行機で松山に戻り、夕方のニュース番組で母校に凱旋(がいせん)した監督・選手たちに再び中継でインタビューしました。愛媛県勢の優勝の瞬間に立ち会い、監督や選手に喜びの声を直接聞く。この一連の出来事は忘れられない仕事となりました。
のちに「やればできるは魔法の合言葉」のフレーズで、済美高校の校歌が有名になりましたが、その歌の存在に早い段階から注目していました
(注:済美高校では学園歌と呼びます)

<済美高校学園歌の歌詞をプリントしたメガホン>

済美高校の校歌に注目したのはなぜですか?

当時の済美高校は、男女共学になって3年目の春を迎えようとしていました。試合前に、スタンドリポートのネタを探しているときに、ふと疑問が浮かびました。
「あれ、済美高校は、男女共学になって校歌は変わったのかな?」
甲子園のスタンドに訪れた人たちを見ても、やはり女性が多い感じがしました。応援担当の学校の先生に取材したところ、共学化の前年、創立100周年を機に新たな学園歌が作られ新しい歌の歌詞をプリントしたメガホンを配り、在校生と卒業生が一緒に歌えるようにしているということでした。歌詞も、手を取り、肩を組み、ともに頑張っていこうという前向きなものでした。取材した内容を試合中、スタンドリポートで紹介したところ9回裏、4点差をひっくり返し、最後は2アウトから逆転サヨナラ3ランで勝つという劇的な展開となり、校歌の歌詞の一節「やればできるは魔法の合言葉」が全国的に大きな注目を集めるようになりました。
「女子校だった済美高校の校歌は共学になって変わったのか?」
素朴な疑問かもしれませんが愛媛出身だからこそ抱いたこの疑問が出発点となったスタンドリポートだったと思います。今後も愛媛出身ならではの視点を活かしていきたいですね。

これからチャレンジしたいことを教えてください

20代、30代とがむしゃらに走ってきて、40代も後半。少しだけ後ろを振り向く余裕も出てきた年代になってきたと思うんですよ。先日も母校で講演する機会をいただいたんですが、自分がこれまで培ってきた経験や知識を、放送などを通じて少しでも地域のみなさんに還元してお役に立ちたいと思っています。もちろん人生長いですから、これから自分の知識もアップデートしながら、日々勉強して成長していきたいとも思っています。
プライベートでは、朝ジョグをもう1年以上続けていますので、継続は力なりといいますが続けていきたいですね。新たなことにチャレンジするのもいいことですが、続けることも結構大変なんです。早起きは三文の徳ですし、ジョギングは健康にもいいですから、この先、どこに転勤しようとも続けていきたいと思っています。

アナ・キャスリレーインタビュー

永井伸一

永井アナウンサーから
荻山アナウンサーへの質問

なんでそんなに記憶力がいいんですか?
僕と最初に出会ったときのこととか、あのときあんなことしたとかものすごく良く覚えている。こと野球に関してものすごい記憶力。
それって才能だと思っていて、磨いたのか、もともと本人は当たり前で記憶力がいいのか?
あとなんでそんなに声がいいんですか?(笑)

荻山恭平

荻山アナウンサーの回答

そんなに記憶力は良くないですよ。中継のコメント覚えるのも苦労しているくらいですから(苦笑)。
ただ得意分野や好きな分野の記憶力は良い方かもしれません。小学校のときは鉄道好きでしたので、松山から宇和島までの予讃線の駅名は全部覚えていましたし、大好きな高校野球では私が物心ついた昭和55年以降の愛媛県の春夏甲子園出場校と成績は全部言えますよ。
声に関しては、何とも・・・。ふだんはぼそぼそしゃべるタイプなので、いつもお腹からしっかり声を出そうと心がけています。

掲載している内容は2022年1月現在のものです。

アナZONEトップ