さいとう・たかを

今年79歳を迎える大御所、さいとう・たかをが登場する。
言わずと知れた「ゴルゴ13」の生みの親であり、劇画という分野を確立した日本を代表する漫画家。
今回、47年間連載が続く「ゴルゴ13」の制作現場に密着する。スタッフによる協業制を漫画界に取り入れた先駆者だが、ストーリー作りとゴルゴ13の顔は、さいとうの仕事だと言う。レジェンドの現場から、浦沢直樹は何を感じるのか?

密着した作品

漫画家のペン先

密着撮影することによってとらえた 「漫画が生まれる瞬間」

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密着 “ゴルゴ13”が生まれる瞬間

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“鬼平”を描く 「さいとう印」の繊細な描線

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連載47年 締め切りと戦う日々は続く

さいとう・たかを×浦沢直樹

びっくりしたんですけど、下描きをされないんですね、基本。(浦沢)
きれいに下描きしたら描けなくなる。なぞるだけになると、表情が出なくなるの。特にこいつ(ゴルゴ13)はそう。大体、表情がない顔じゃない? それで表情を描かなきゃいかんから。目のちょっとした動きとかで、表情を出していかないと。(さいとう)

やっぱりこの繊細な描線に、さいとう・たかを印みたいなの、あるのかもしれないですね。(浦沢)
若い頃、日本画を勉強したことあるんですよ。その先生がね、1本の線を引っぱるときにも、例えば人の皮膚を描いているときと、堅い鉄の面を描いているとき、「その線がどんなものを表しているつもりかということを、考えながら引っぱれ」と言われたの。それで、「線で質感を出す」っていうのをすごく考えるようになった。(さいとう)

映画で言うたら、監督の仕事なんです。“ゴルゴ13”は自分の子どもみたいなものなのかとか、先生自身ですかとか言われるんですけれどね。あえて言うならば、「ものすごくよく言うことを聞いてくれる役者と監督のつもりだ」と言うんです。(さいとう)

普遍的な、人間の根源的なところ。そこからドラマを考えないと。(さいとう)
時事ネタを題材にはしているけれど、根幹にあるのは普遍的なもの。(浦沢)
そうそう。だって、変わっていくんだもの。その時代によって、善悪の解釈にしても、何にしても。“ゴルゴ13”だって、その時代の善悪、解釈で描かなかったから、なんとかもってこられたんじゃないかな。(さいとう)

ドラマ作りと絵を描く才能って、全然別のものじゃない? だから、そういう才能を持ち寄ったら、もっと完成度の高いものができる。(さいとう)
ドラマを作る人、構成力がある人、絵が描ける人、そういうのが総力を合わせて作れないものか、ということですよね。面白いものを見たがっているお客さんが待っている。そこに質の高いものを、たくさんの量、届けるためには、そういうシステムを作らないといけない、と。(浦沢)
そういうシステムができれば、読者も得するわけでしょ。面白いものがたくさん見られて。これからそういう形で、この(漫画の)世界を完成させていってくれれば、この世界はもっと面白くなると思います。(さいとう)

我々の世界は、映画とかと一緒で、先にお金をとってしまう。それから本を売るわけでしょ。そういう世界である以上、お金を先に払っただけの値打ちがないことには、その職業というのは絶対に衰退する。(さいとう)
満足感を与えないといけない、ということですよね。(浦沢)
そうです。(漫画家が)お金を先にとる職業であるというのは、それなりの意味があるはず。それを考えて、この世界を作り上げていってくれれば、まだまだ広がる世界だと思うんですよ。(さいとう)

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読む漫勉

漫画家同士が語り合うことで飛び出した言葉の数々。本編で入りきらなかった未公開部分を、お楽しみください。

さいとう「ふきだしの方向」と「音」(擬音)だけは、絶対に自分で入れるの。 浦沢ふきだしの方向。これ、本当に微妙な違いがあるんですよね。 さいとうさっと読者の目に入るように。この人がしゃべっているんだっていうことが。 浦沢スタッフさんに任せたりすると、ちょっと見当違いのところに入ったりする。僕もふきだしを描く作業は絶対に自分でやりますね。漫画って、やっぱり読みやすいっていうのが、まず第一なので。 さいとうそう。読みやすさっていうのが、一つの条件。音を自分で入れるのはね、音で流れを出していることが多いからなんですよ、コマからコマの流れを。 浦沢うん、それありますよね。講談で(釈台を拍子木で)トンって叩いたりするの、あるじゃないですか。ああいうのに似てるんじゃないですか。 さいとうそう、そう。

さいとうわしは50年前に「本はダメになるよ」って言っていたの。我々がやっているような娯楽雑誌ね。これは絶対だめになる。日本家屋と合っていない。(本を)ためられないから。アパートの床を抜いてしまったやつもおった。 浦沢重くなっちゃうから。 さいとうこれ(本)に変わるものが、絶対出てくる。その時の新しい世界、それをうまく持っていかんとあかんぞって言っていた。それが今、(指でスワイプする仕草)これが出てきたけどね。 浦沢電子書籍。 さいとう出てきたけれども、それ用の作家が生まれてこない。これじゃダメ。本とは全然違う「間」だから、あれ(電子書籍)は。 浦沢さいとう先生たちが、紙用に作ったフォーマットが、面白すぎるんですよ、きっと。 さいとうそのまま(紙用の形式を電子書籍に)載せとるだけやとねぇ。 浦沢そうですよね。

浦沢こまっしゃくれた小学生だった僕としては、色々な漫画を読んでいて、スタッフに任せているところって、案外わかっちゃったんですよ。ところが、さいとう先生の作品は、それがどこまでだか見極めがつかなかった。それこそ、全部さいとう先生が描いていらっしゃるようにも見えるし、スタッフが描いているようにも見えるし、境界線がわからない。全部“さいとう・たかを”という人の絵柄に統率してある。 さいとうありがたかったことに、私の絵から入った連中が(設立したプロダクションに)集まって来てくれたわけ。だから、絵にそんなに違和感がなかった。 浦沢今はどうなんですか? 若い人たちが入ったときに、トレーニングするんですか? さいとう今の人の絵っていうのは独特だし、現代っぽい。我々は真似できんような。そういう人たちを、どう使いこなすか、そこがしんどい。

さいとう60代の半ば頃まではね、「もう明日で連載やめてくれ」なんて言われて「えっ!スタッフの飯代、どうするんだ!」っていう夢を見ました。 浦沢へえ。 さいとう私はものすごくラッキーで、この仕事を始めてから一度もそういう経験はない。だから、かえって恐怖感があるんでしょうね。そういう夢を見て飛び起きたりすることがあった。 浦沢ほんと、スタッフに支払えなくなるかもっていう恐怖感はありますよね。だから僕も、連載が終わる前に、必ずもう一本、新しい連載を始めるようにしているんです。 さいとうつながるように。 浦沢一本終わって解散しちゃうと、次に誰も集まってくれなかったらどうしようというのもありますし。 さいとうだね。ありがたいことに、うちは終始スタッフが出入りしてくれていたからよかった。でも、やっぱり若い人を置いたりしたら、責任感じるでしょ。

さいとう私たちが「劇画」と呼んだのは、あくまで漫画とは違うんだ、ということ。そのころの漫画といえば、一コマ漫画とか四コマ漫画のことだった。主体性の違いだと思うの。その頃は、“笑い”や“風刺”が主体だった。我々が目指したのはドラマが主体で、それに「劇画」という名称をつけたかったわけ。ところが、“わたし風の絵柄”が「劇画」だ、みたいな風潮がでてきて。本当は、「児劇画」も「女性劇画」もあっていい。 浦沢漫画とアニメと劇画と、あと一コマ漫画や四コマ漫画。そういうものをどう呼んだらいいのか、(世間が)混乱しているところはありますね。

浦沢きっと今は、「漫画」っていう言葉の意味合いが、さいとう先生の(劇画という言葉を作った)頃と変わってきている。いわゆる世界用語として「MANGA」になってきている部分はありますもんね。 さいとうああ、それはあるでしょうね。 浦沢僕らの世代だと、その「漫画とは違うんだ!」と言う必要がなくなってきたのかも知れないですね。「漫画」っていう言葉自体に、ネガティブなイメージがなくなっているんだと思います。 さいとうなるほどね、うん。それはそれでいいと思います。

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※手書きはすべて 浦沢直樹・自筆

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