五十嵐大介

高い画力と繊細な描写で、カリスマ的な人気の「五十嵐大介」。
美大を卒業後、漫画の世界に飛び込み、代表作『魔女』と『海獣の子供』で、文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞を、2度も受賞。芸術性高い漫画が、注目を集め続けている。
今回、半獣半人を描く新境地のSFアクション『ディザインズ』の現場に密着。ほぼ一人で高いクオリティーの絵を描き、アートとエンターテインメントの融合を目指して格闘する姿に迫る。

密着した作品

漫画家のペン先

密着撮影することによってとらえた 「漫画が生まれる瞬間」

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豹人間の表情 空気感を描く

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風景の見開き ボールペンで描く

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挑戦 半獣半人×女の子×格闘

五十嵐大介×浦沢直樹

ペンの上のほうを持って、圧が加わらないように描いているでしょう?ここは特徴ですよね。強弱をつけない感じが。ともすれば漫画って、「確定線」がグイッて入っちゃう。だけど、この模索して、ズズズズッといくやり方で、頭のなかのイメージと(絵を)ずらさない、という何かがある気がする。(浦沢)
そうですね。ペン入れの段階でも、画面のなかで、具体的な形を探りながら描く、ということが多い気がします。(五十嵐)

途切れ途切れになっている線を、つなげちゃうと、違うってあるじゃないですか。今、離れているから成立しているのに、案の定つなげたら、「ほら、違うじゃん」ってなって。(浦沢)
はい。それはすごくありますね。(五十嵐)
鳥とかを描くときに、羽をパッパッパッてそれこそ、ほとんどつながっていない絵を描くじゃないですか。だからこそ、鳥のバサッていう感じが出る。(浦沢)
そうですね。だから、「空気を描いている」イメージなのかな。(五十嵐)

ある季節の、ある時間帯を体感した自分の感動、感覚をどう人に伝えられるか。それを、一枚の絵で描くよりも、シーンやセリフを連ねていって、自分の体験を、漫画を読んだときに、体験できるようにならないかな、みたいなことで描いている。(五十嵐)
『海獣の子供』の、女の子が海沿いを自転車で走っていると、ポツッ、ポツッ、ザーッて。雨の線はほぼ描かないで、風景が縦線で構成されていて、それで、一瞬にしてスコールが降り出している感じがするという。あれは「うわあ、やられたー!」と思いながら見ました。(浦沢)
それは、すごくうれしいです。(五十嵐)
空気感がね。夏の暑い空気が、一瞬にバーッと湿って、雨の匂いがバーッとしてくるという、あの感覚がね。(浦沢)

(五十嵐さんのラフなタッチを)絵を志している人が見たら、「あ、このくらいのタッチでいいんだ」って、チャレンジしていく人が、増えるかもしれないね。(浦沢)
ある程度のいいかげんさがあるほうが、やりやすいかもしれないです。(五十嵐)
自然物って、枝がどうなっているかなんて、分からないことだらけだし、そういうものを、分かる物として描いちゃうとダメなんですよ。分からない物として描く、そうすると自然物になるんですよね。(浦沢)
そうですね、そこは、あまりまじめすぎると難しい気がします。(五十嵐)

漫画というのは、何を描いても変に見えないという良さもある。だからヒョウタンツギとか、僕の漫画に出すと明らかにおかしいけど、でも『ブラックジャック』に出てくるとちゃんと成立している。そういうのをやってみたいなと。(五十嵐)
手塚絵の自由度は、もう一回復権したい感じがしますよね。『BILLY BAT』は、ちょっとその辺を意識していた部分はある。リアルな絵のなかに漫画絵が出てくる、みたいな。(浦沢)
そういう自由さって、うまくできないかなと思っているんですけど。(五十嵐)

自分が大学生とかの時、漫画って表現のトップランナー感がすごく出ていた。その感じを、どんどん更新していかないと、そうじゃなくなっていっちゃうという怖さがあると思う。(五十嵐)
可能性をもっと掘り下げてね。昔ながらの「メジャー漫画はこうあるべきなんだ」というのを、どんどん刷新していかないと、停滞にもなっちゃう。五十嵐さんのような作風が、ちゃんとメジャーで通用するんだというのは、すごく重要なことだと思うんですよね。(浦沢)
本当に自分のできることしかできないんですけど、それが漫画の幅の一つになってくれていれば、少しは貢献できるのかなと。(五十嵐)

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読む漫勉

漫画家同士が語り合うことで飛び出した言葉の数々。本編で入りきらなかった未公開部分を、お楽しみください。

浦沢ペン先、(使い過ぎで)全然ダメになっているのに、「なぜ替えない?」っていう感じで描きますよね。 五十嵐そうですね。貧乏性だからかな、とは思うんですけど。あと、ちょっと描きにくいやつを工夫して描くのが、何となく楽しいっていう面もあるかもしれないです。そのときに、またちょっと違う線ができるかな、とか。 浦沢こなれ過ぎちゃって、もうダメになるぐらいのところでの出てきた線が、ちょっといいというのもある。新しいペン先のタッチは、一番いやですよね。 五十嵐そうなんですよね。ちょっと引っかかって描きづらいな、というときのほうが、いい感じに描けるような気がしちゃったりしますね。

浦沢漫画制作の論法には、「そういう線だと、なかなか売れないぞ」みたいなのがあるわけ。例えば背景も、フリーハンドじゃなくて必ず定規を使え、と。編集さんは、それをすごく新人のときに言うのね。 五十嵐そうなんですね。 浦沢フリーハンドで、すごくいい絵を描く漫画家さんが、「定規を使え」って言われてるのを聞いたことあるんですよ。確かに、定規を使うとメジャーな線になって読者層が広がるんだけど、フリーハンドのときのその人の絵のほうが僕はよかったなと思うという。そこは難しいところなんだよね。 五十嵐そうなんですね。メジャー感がなんで出ないんだろう?と思っていたんだけど、そこだったのか(笑)。 浦沢そこはね、案外、漫画界、永遠の命題かもしれないけども。ただ、五十嵐さんのような人が、そういう線で、いわゆるメジャーでちゃんと渡り歩くということが、次世代の人たちに、何か道を開くような感じもするけどね。『SARU』とかで、アングレームの街とか、街並を描くじゃないですか。あれをあそこまで、フリーハンドでガッとやっちゃう。昔はね、「定規使え」って言われたんですよ。 五十嵐そうか。たぶん定規を使って描くほうが大変なんじゃないですかね。 浦沢大変ですよ。消失点というのが。 五十嵐構図とかつくるときに、僕は結構いいかげんに、雰囲気や、必要な情報をコマに入れることを優先にする。人間がそこに立っているんだけど、正確には、ひざ立ちしていないと入らないみたいな構図とかを作っちゃう。消失点とかを取っていると、まったく合わなくなるというのが多いので。 浦沢消失点を取ったとたんに、その画面の魅力がなくなっちゃったりするんですよね。

浦沢ザーンザーンという波の音、描いていますけど、実は描き文字って、下手に描きたいじゃないですか。かっこいい字で描いちゃうと、なんかダメなんですよね、僕。 五十嵐やっぱり画面にそぐわなくなっちゃったりとか。ニュアンスが変わっちゃいますよね、描き文字の感じで。そもそも音とかの描き文字は、入れたほうがいいのか、入れないほうがいいのか、すごく迷います。 浦沢そうなのよね。それはもう絵に任せようみたいなね。 五十嵐そうですね。でも、やっぱり入れたほうが分かりやすいのかなとか。リズムとかもあるので。 浦沢漫画って不思議で、描き文字が入っているほうが、かわいくなるよね。それを含めて、下手くそな字のほうがいいのかもしれないですよね。かわいげがなくなっちゃうから。これを、「絵だけで見せるんだ」ってやると、かっこ良すぎちゃうみたいな。 五十嵐なるほど。崩す感じなんですね。そうなのかもしれないな。

浦沢やっぱり、五十嵐さんは、外国人の顔がいいよね。顔もそうだし、フォルムがいいよね。ヒゲを生やしたずんぐりの人とか、入れ墨のひょろっと長い人とかね。 五十嵐それは浦沢さんに言われると、すごくうれしいです。 浦沢外国人って、なんかフォルムが違うじゃない。「何それ」っていう感じの幅だったり、縦に長かったり、横に広かったりするのが。 五十嵐そうですよね。結構デフォルメした感じで描いちゃっても、違和感ないというか。『サイボーグ009』に出てくる、「002」とかの鼻も、あんなだけど、意外とあれでいいんじゃないかなっていう。変に短くしちゃうと、外人っぽさがなくなっちゃうというか。 浦沢振り切ったデザインのほうがいいよね。 五十嵐はい、そう思います。漫画って、結構思い切ったデザインにしても、絵の中に入っているとなじんじゃう。変にリアリティとかあんまり考えないでデザインしちゃってもいいかなって、最近はすごく思っているんですね。 浦沢ありますね。ニコラ・ド・クレシーの、「なんだこりゃ」っていうのは、見習わなきゃいけないなと思いますよ。

浦沢僕は、例えば『SARU』みたいな作品のメジャー(売れ線)な画面構成。(この絵柄で)こんなことまでできるんだっていうのが見えた瞬間に、かなり漫画の可能性をぐっと開いてくれていると思う。それを行きつ、戻りつ。もう一回マイナーに行って、またメジャーにそれを持ってくるとか、そういう揺さ振りを漫画界にかけてほしいですね。 五十嵐自分にそんな大それたことできるか分かんないですけど、でも、自分の中で本当にそのときに面白いと思えるようなことにちゃんとチャレンジしていけるように、頑張っていきたいなと思っています。

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※手書きはすべて 浦沢直樹・自筆

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