大河ドラマ「おんな城主 直虎」 井伊直政ゆかりの地を訪ねる

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今月8日に始まった大河ドラマ「おんな城主直虎」。 群馬県にゆかりの深い人物がいるのをご存知でしょうか。 それは主人公・直虎が育てた井伊直政、井伊家の礎を築いた人物です。 井伊直政は初代高崎城主として、町を整備し、高崎の発展に大きく貢献しました。 直政とは、どんな人物だったのでしょうか。そのゆかりの地を訪ねてきました。 (小島桃子キャスター)

@直政が最初に訪れた地・箕輪城(みのわじょう)

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まず訪ねたのは、旧箕郷町(現在の高崎市)にある箕輪城跡。 直政は天正18年(1590年)に29歳の時、徳川家康の命を受け、箕輪城へやってきました。 家康に信頼されていた直政は城主として8年、この地をおさめていました。

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ボランティアガイドをしている岡田豊治さんとともに山城で守りの拠点でもあった箕輪城を歩きます。

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小島キャスター「これはなんですか?」
岡田さん「こちらがですね、郭馬出というんですけど、その西の出入り口の門という意味で“郭馬出西小口門(かくうまだしにしこぐちもん)”といっています」

こちらは発掘調査を基に去年11月に復元した箕輪城の城門。 高さ6.5メートル。敵を迎え撃つ最初の砦です。当時としては全国で最大規模だったそうですよ。

 

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直政は徳川家康の家臣の中で最高石高の12万石でこの城の城主になりました。 城を立派に見せることで、力を誇示し、敵の進入を防ぐ効果があったといわれています。

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岡田さん「かなりストレートにね、その気持ちが出ているのではないかと思います。12万石ですからね。その思いは誇らしい気持ちと言いますかね」

A高崎の礎を築いた直政

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直政は箕輪城に来てから8年後の慶長3年、箕輪城から和田城、現在の高崎の中心地に移ります。 実はここで地名をめぐる"こぼれ話"があるんです。

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当時、直政は町の名前を「松ヶ崎」か「鷹ヶ崎」にしようと考えていました。 そこで懇意にしていた寺の住職に相談します。 当時から寺に伝わる話を教えてもらいました。

 

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龍廣寺29代住職・喜美候部正令さん 「飛ぶ鳥の鷹も松も植物、鳥、動物ともに生き物ですから、生き物とは当然いつかなくなる時があるわけですよね。それよりも常に高くあろうじゃないかというような意味合いで“高崎”がいいんじゃないですかと。そんな意見を初代の住職がしたと聞いています」

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「高崎」という地名の由来になったこの寺には、直政の供養塔があり、今でも大切にされています。

 

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また、直政が城下町を整備するのにとても力をいれたことがあるんですが、なんだかわかりますか? 市民の生活には欠かせないもの、水ですよね。

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近くを流れる烏川から水を引き込み、市内全域に張り巡らせました。 「長野堰(ながのぜき)」といいます。 上流から下流までのべ17キロ、今でも農業用水などに使われています。 水が整備されることで高崎の町は大きく発展しました。 「お江戸みたけりゃ高崎田町」と唱われ、江戸に匹敵するくらいの賑わいを見せていました。

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中でも盛んだったのが染色業。高崎には今でも染物屋さんがあります。 豊かできれいな水は染め物にうってつけだと全国から職人が集まったといいます。
染物職人・中村仁太郎さん 「どうしても染め物っていうと水が大量に必要なんで、水は大切ですよね」

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長野堰は去年11月、世界でも歴史的に価値の高いかんがい施設として「世界かんがい施設遺産」に登録されました。 直政が整備してから400年あまり。いまも高崎市民の誇りです。

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長野堰を語り継ぐ会会長・中嶋宏さん 「この長い年月をかけてよくここまでやったなということでほんとに頭の下がる思いですし、現在の高崎市民はその姿勢に対して本当の感謝の気持ちを表す必要があるかなと」

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高崎の基礎をつくった井伊直政。 その功績はいまも町の中に息づいています。

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