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これまでの放送 2016年5月7日(土)の放送

いぶし銀の魅力~ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」~ 「弦楽四重奏の父」とよばれるハイドンが、
65歳の円熟の境地で書いた名曲。
祖国オーストリアへの愛から生まれたメロディーをもとに、
最も得意とする弦楽四重奏に仕立て上げた。
熱い思いと熟練のテクニックが融合した、渾身の一曲だ。
噛めば噛むほど味が出る「いぶし銀の魅力」にじっくり迫る。
いぶし銀の魅力~ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」~
「弦楽四重奏の父」とよばれるハイドンが、65歳の円熟の境地で書いた名曲。祖国オーストリアへの愛から生まれたメロディーをもとに、最も得意とする弦楽四重奏に仕立て上げた。熱い思いと熟練のテクニックが融合した、渾身の一曲だ。噛めば噛むほど味が出る「いぶし銀の魅力」にじっくり迫る。

歌で人々の心をひとつに

長年仕えた貴族の代替わりをきっかけに58歳で宮廷楽長を退き、フリーの作曲家になったハイドンを、バイオリニスト兼音楽プロデューサーのザロモンが訪ねます。共にイギリスに渡り、新しい聴衆の前で演奏しようというのです。当時イギリスは、民主主義を確立し産業革命が進む先進国。夜ごとのコンサートは、貴族だけでなく商工業者や地主層など様々な人々の熱気であふれていました。
渡英し演奏会を成功させたハイドンは、スター・ミュージシャンとしてのべ3年間もイギリスに滞在することになりました。滞在中何度も王室行事に呼ばれると、そこで歌われるイギリス国歌に感動。この時代、国歌をもつ国はまだ数えるほどで、階級の違う人々が一緒に歌うということ自体、とても珍しいことだったのです。
ちょうどそのころ祖国オーストリアに進撃してきていたナポレオン率いるフランス兵たちも、団結を強めるため、後のフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌っていました。イギリスとフランス2つの国歌に接し、階層を超えた人たちを一つに結びつける音楽の力の大きさを知ったハイドンは、祖国の危機を救うにはオーストリアにも国歌が必要だと考えました。
やがて帰国したハイドンは歌曲「皇帝賛歌」を作曲し、皇帝フランツ2世の誕生日に発表します。オーストリアの人々は熱狂的に歓迎、数年後には正式に国歌として採用され、祖国団結の象徴として人々を勇気づけたのです。

時代が求めた“弦楽四重奏”

時代が求めた“弦楽四重奏”

弦楽四重奏曲というジャンルは、ハイドン自身が完成させたものです。書き始めたきっかけは、まだ20代のころ、知り合いの貴族から「バイオリンを弾く自分の家来と村の神父、親しいチェロ奏者、ビオラが得意なハイドンの4人で演奏するための曲」を注文されたこと。当時、室内楽の楽器の組み合わせに決まりはなく、どちらかというと珍しい編成でしたが、完成した曲はたいへん好評。貴族に加え新興の市民たちまでもが、家族や友人と少人数で楽しむ音楽として欲しがったため、楽譜にして出版するようになりました。
求めに応じ次々に書くうち、主役の第1バイオリンを他の楽器が伴奏するシンプルな形から、4つの楽器全てが代わる代わる主役をつとめ、複雑にからみあいながら濃密な音楽を奏でるような曲に変化していきます。それは、一緒に演奏する宮廷楽団の仲間たちが弾いていて飽きてしまわないようにという、部下思いの楽長らしい配慮からでした。
いつも「仲間と一緒に楽しむため」に作曲したハイドンは、それに最適な弦楽四重奏曲を68曲も書きました。中でも円熟期に作曲された「皇帝」は、熟練の作曲技術とメロディーの美しさとが相まって、弦楽四重奏の名曲として愛され続けています。

緻密に織られた“音のタペストリー”

緻密に織られた“音のタペストリー”

シンプルなメロディーを変化させながら繰り返す「変奏曲」という形式で書かれた、弦楽四重奏曲「皇帝」の第2楽章。チェロのメロディーにあとの3つの楽器が絶妙にからみあう「第2変奏」の冒頭部分をくり返し聴いて、「いちばん小さなオーケストラ」「4人の知性あふれる人間の会話」といわれる弦楽四重奏曲の緻密な作曲法を体感しました。

ゲスト

「(弦楽四重奏は)まさに対話。お互いが相手の言葉を聞いて対話をする気持ちがないとできない」

「(弦楽四重奏は)まさに対話。お互いが相手の言葉を聞いて対話をする気持ちがないとできない」

池田 理代子(漫画家・声楽家) 池田 理代子(漫画家・声楽家)

池田 理代子(漫画家・声楽家)

profile

代表作は「ベルサイユのばら」
音大に再入学しソプラノ歌手としても活動

楽曲情報

弦楽四重奏曲「皇帝」 第2楽章
ハイドン
古典四重奏団

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