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これまでの放送 2017年10月13日(金)の放送

解剖!伝説の名演奏家 ピアノの巨匠 リヒテル 伝説の名にふさわしい名演奏家を演奏のみならず、人生の軌跡を
通してより深く味わっていただこうという新企画。
旧ソ連を代表するピアニスト、リヒテルを紹介する。
鉄のカーテンの向こうの幻のピアニストと呼ばれたリヒテル。
その理由は何だったのか?貴重な資料映像とともにその実像を浮かび
上がらせる。
また、親日家で旅が大好きだった一面も。さらに、カンフー映画のヒーロー、
ブルース・リーを愛したエピソードなど知られざる素顔にも迫る。
解剖!伝説の名演奏家
ピアノの巨匠 リヒテル
伝説の名にふさわしい名演奏家を演奏のみならず、人生の軌跡を通してより深く味わっていただこうという新企画。旧ソ連を代表するピアニスト、リヒテルを紹介する。鉄のカーテンの向こうの幻のピアニストと呼ばれたリヒテル。その理由は何だったのか?貴重な資料映像とともにその実像を浮かび上がらせる。
また、親日家で旅が大好きだった一面も。さらに、カンフー映画のヒーロー、ブルース・リーを愛したエピソードなど知られざる素顔にも迫る。

幻のピアニスト リヒテルの素顔

リヒテルは、1915年、現在のウクライナ生まれ。父はドイツ人でピアニストだった。ピアノは最初、独学で学び、モスクワ音楽院に入学した時は既に22歳だった。その才能はずば抜けてもので、教授だったネイガウスが天才と称えるほど。しかし、順調にキャリアを歩みはじめた矢先、悲劇が襲う。当時のソ連は、スターリンの独裁政治の時代。ドイツ人だった父がスパイ容疑で逮捕され銃殺刑で亡くなったのだ。リヒテル自身にも国家から厳しい監視の目が注がれることになる。アメリカデビューは1960年、初来日は1970年の大阪万博の年。西側では、鉄のカーテンの向こうの幻のピアニストと呼ばれていた。彼の多彩な音色は、そんな彼の激動の人生を映し出しているのかもしれない。

ピアノの巨匠が愛した日本

リヒテルは、8回も来日した親日家でもあった。27年間通訳を務めた河島みどりさんによると、旅が大好きだったという。全国62都市を訪ね、のべ162回の演奏会を開いたリヒテル。神社仏閣を巡るだけで なく、茶の湯などの伝統文化にも深い興味を示し、茶室でのコンサートを開いたこともあった。また、ソ連ではあまり見ることのできない外国の映画を観るのも好きで、中でもブルース・リーの肉体が素晴らしいと絶賛していたという。

リヒテルがピアノに求めたもの…

リヒテルには、心から信頼する日本人調律師がいた。村上輝久さん。最初の出会いは南フランスのマントン音楽祭だった。村上さんが初めて調律をした時、リヒテルの感想は、「調律は良かったが、私には少し弾きやすすぎた。」というものだった。村上さんは、翌日のコンサートに向けて、タッチを少し重くするために、鍵盤の下に挟みこまれた紙を1枚抜いて調律した。薄さわずか0.2ミリだ。結果、リヒテルは大満足。村上さんとリヒテルは深い友情で結ばれる。生前リヒテルはピアノについて、こんな言葉を残している。
「私はピアノを選ばない。スタッフや調律師を信頼しているから。」

ゲスト

リヒテルはとにかく“シブい”ピアニストです。

リヒテルはとにかく“シブい”ピアニストです。

反田恭平(ピアニスト) 反田恭平(ピアニスト)

反田恭平(ピアニスト)

profile

第81回日本音楽コンクール第1位。モスクワ音楽院に留学。今注目のピアニスト。
モスクワ時代に恩師から聞いたリヒテルのエピソードをたっぷり披露してくださいました。

楽曲情報

前奏曲集 第1巻から「西風の見たもの」
ドビュッシー
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
1981年3月 蕉雨園(東京・文京区)にて収録

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