北海道の戦争体験

北海道では、「軍都」と言われた旭川市が、郷土部隊の編成地となり、北海道出身の兵士で構成された部隊が次々に激戦地に送られました。そのうち、旭川・歩兵第28連隊は、昭和14年の「ノモンハン事件」や昭和17年の「ガダルカナルの戦い」で苦しい戦いを強いられ、多くの犠牲者を出しました。また、旭川・歩兵第89連隊は、沖縄戦に投入され、多くの戦死者を出しました。沖縄戦において、沖縄県民に次ぐ犠牲者を出したのが北海道の部隊だったのです。その他の連隊の兵士の中にも、樺太や北千島で、終戦前後にソ連軍と激戦を戦った後シベリアに抑留された人が大勢います。

一方、国の政策で、北海道の炭鉱から多くの炭鉱労働者が遠く福岡・筑豊に送られ、厳しい増産ノルマのなかで長時間労働を強いられました。

また、青函連絡船は、昭和20年夏の終戦間際に、米軍による機銃掃射など受け、犠牲者が多数出ました。

このサイトでは、北海道出身や北海道在住の方々の戦争体験を動画で公開するほか、関連の番組や当時映画館で上映されたニュース映画「日本ニュース」のうち北海道に関する映像を公開します。

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雪原で演習する旭川の陸軍部隊