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参考教材:『道程』 高村光太郎

高村光太郎について

1883年(明治16年)木彫り彫刻で名高い高村光雲の長男として、東京に生まれる。東京美術学校を卒業後、1906年から、アメリカ、ロンドン、パリへ留学し、西洋美術と日本美術の違いに衝撃を受ける。1909年、帰国後は、父・光雲の属する日本の伝統的な美術界に反発し、鋭い批評やエッセイなどを発表。また、「パンの会」に参加し、デカダンスに陥る中、詩作にふけるなど、堕落した生活が続いていた。しかし、1911年、長沼智恵子と出会い、1914年に結婚。生まれ変わった光太郎は、次々に彫刻を制作していく。第二次世界大戦中は、戦争に協力する多くの詩を作成し、戦後は、その責任を感じて、岩手県花巻で山小屋生活を送った。
1956年結核のため死去。

主な作品

彫刻:「手」「十和田湖畔裸婦像」「高村光雲像」
詩:「智恵子抄」「典型」「ぼろぼろな駝鳥」

『道程』について

『道程』は、1914年、高村光太郎が31歳の時の作品。
初めて雑誌「美の廃墟」に掲載された時の形は102行だった。翌年詩集『道程』に掲載する際に、現在の9行の形にカットされた。昭和33年発行筑摩書房の「高村光太郎全集 第3巻」に、その原型を見ることができる。