にっぽん縦断 こころ旅
私の こころ旅
スタッフの皆さん! いつもごくろうさま!
(食事のところが一番楽しみです。)
さて 私のこころ旅は、なにかにつけて思い出されるのは 秋田市雄和(ゆうわ)の種沢(たねざわ)果樹組合のりんご園です。
結婚して埼玉に住み 両親も亡くなり 故郷の秋田との縁が細い糸になりつつあった時、少しでも太い糸にしたいと考えました。それで伝手を求めて秋田市近辺でりんごの1本オーナーになったのです。
小さい頃からりんご大好きでしたから 初めて枝から大きな実をもいだ時はなんとも言えない感覚でした。以来 りんごの完熟した頃、11月に秋田通いが始まりました。
もう少し早く紅葉がきれいな時に・・・と友人に言われましたが 私にとってはりんごの収穫時(どき)が一番大切でした。 埼玉や都内の友人にも声をかけ 何度かりんご狩りをし、温泉を楽しみました。友人 知人にりんごを送り もちろん私の自宅にも大箱で送り、地元住まいの妹の車にもいっぱい積み込み まさに大漁の旗を挙げた気持ちの年もありました。
冬から春にかけ毎日毎日りんごを食べました。
自分の手でもいだ いとおしいりんご でした。
約10年位つづけた頃、ある時口の中がノドの奥が むずがゆくなりお医者さんに診てもらったところ アレルギーと判明しました。
実は他にもアレルギーがあり食べられない物がありますが なんとかそれはがまんできます。
しかし大好きなりんごは堪えました。
神様が「70代に入った老姉妹が脚立に上り 冷たい作業はもうヤバイよー!」と忠告していると受け取り オーナーは中止にすることにいたしました。 あれから数年経ち私は秋田通いが無くなりました。
りんご園の入り口は大きな広い畑や田に面し、中に入るととても広く迷子になりそうでした。 収穫の済んだ樹々の中に私の名札をつけた私のりんごが赤い大きな実をつけて待っていてくれた あの年月が夢の中の事のようです。 冷えきった身体を必ず新屋(あらや)の温泉に寄って温め妹の自宅まで帰りました。
他の季節のりんご園の風景は知りません。
緑いっぱいや白い花も見ずにひたすら赤い実を思い返した数年でした。 (現在はどうしても食べたい時 日に半個くらいは大丈夫です。)
すぐ近くに雄物川の深い流れもあり静かなりんご園でした。
さいたま市 貝田 寿美(かいたすみ) (76歳)
さいたま市
貝田寿美さん(76歳)からのお手紙