にっぽん縦断 こころ旅
○ 遠い夏の日の記憶(渡れなかった沖合の岩の小島)
誰しも、人生に歴史があり、物語があります。
定年退職をした今、残りの人生をどう生きようかと模索しているところです。
正平さん、スタッフの皆様、いつも楽しく拝見しています。
私のこころの風景は、少年時代の思い出とともにあるずっと残したい故郷の海です。
「海は変わりないですか?」 「波は穏やかですか?」
故郷に住む友人へのメールのいつもの冒頭の挨拶言葉です。
秋田県にかほ市象潟町小砂川。あの松尾芭蕉も訪れたという山形との県境の海沿いの小さな集落で、私が15の春まで生まれ育ったところです。
正平さん、私の心の風景をぜひ訪ねてみてください。
駅を降りて、国道を横切ると旅館の先に海が開けて、鳥海山の噴火と共に出来たという奇岩怪石が正面に現れます。
幼い頃には、汽車が着くたびに、海水浴客が猫の額ほどの砂場の海水浴場まで整備された遊歩道を散策し、列をなして歩くほどの賑わいがありました。
黒松林の先の「あずまや」からは、ひと際大きな千貫岩(センガンイワ)、おぱ島、沖の島、トンカ石(イシ)、カモメ石(イシ)、等々の呼び名の岩が海面から顔を出しています。
沖合いにあるそれらの岩を目標に泳いで到達する年齢を競い合ったのを覚えています。
その中でも、一番遠くにある沖の島がみんなの憧れでした。渡るには遠泳と透明度のある夏の海底を覗き込むだけでも足がすくむ深さの恐怖に打ち勝つ勇気が必要でした。6歳年上の兄は事もなげに渡り、素潜りで採ったカラス貝を詰め込んだナップザックを背負って、「かえるぞー」と手を振る姿に高台の「あずまや」から見守るしかできなかった私がいました。50m程の距離を泳ぎ切り、岸まで戻った兄の誇らしげな顔と息づかいを聴きながら、羨望の眼差しとともにその勇敢さに私は只々感心するばかりでした。
兄にのように、いつかは自分もあの沖の島に渡りたいという思いも叶わず、いつしか、癌でこの世を去った兄の歳を超えてしまいました。天国の兄は「弟は臆病だった」と、父、母と一緒に笑っていることでしょう。
この「あずまや」に立つと、遠い夏の日の記憶がよみがえってくるのです。
渡ることの出来なかった島、見えてても遠かった島、この先も叶えることが出来ないとしても永遠の島であり、兄が手を振る思い出の島であり続けて欲しいと願っております。
今では、実家もなくなり年に数回お墓参りに訪れるばかりになりましたが、変わらぬ海と、どんと構える沖の島の姿に今でも励まされます。
ずっと残したい私の故郷の心に残る風景です。
天気に恵まれて、正平さんにもその沖の島の雄姿が見られますように
また、古稀を迎えられた正平さんの益々のご活躍と旅のご安全をお祈りいたしております。
秋田県秋田市 土門生男(ドモンイクオ)65歳
秋田市
土門生男さん(65歳)からのお手紙