にっぽん縦断 こころ旅
もう一度訪れたいこころの風景
火野さん、チャリオくん、スタッフの皆様、毎朝楽しく拝見しております。
今回の旅では鹿児島県にも行かれるとのこと。
ならば火野さん。与論島を訪れては頂けませんでしょうか。
私のこころの風景は、与論島の街角を曲がった先に見える
茶花(ちゃばな)漁港とエメラルドグリーンの東シナ海です。
20代の中頃、東京の会社を辞め父の経営する会社に入社しました。
しかしご多分に漏れず父と意見が対立。2年ほどで辞表をたたきつけ 家出同然で与論島に渡りました。
東京に住んでいた当時にスキューバダイビングにはまり、そのときお世話になっていたダイビングショップに押しかけ、スタッフとして働くことになりました。
ダイビングショップを出て、突き当たりを右に曲がると道は下り坂になり、その向こうに漁協の屋根、茶花漁港、そして東シナ海が広がります。
そのエメラルドグリーンの海を見ると・・・・
「ああ海だ。今俺は南の島にいるんだな~」と思ってしまうのです。
ダイビングに出かける時、茶花の町に買い物に行く時、喫茶店にお茶しに行く時、日に何回もその角を曲がりますが、その角を曲がる度にそう思っていました。
2年間与論島で過ごしましたが、私にはダイビングを生業とする才能が無いと気がつき、結局父の会社に戻りました。
以来20年ほど。父は引退し、社長となり、いくつもの嵐が会社を襲いましたが(今も嵐の真っただ中ですが)、何とか頑張っています。
島では皆から「なりちゃん」と呼ばれ、青年部にも入れてもらうなど 本当に良くしてもらいました。
島にはもっとすてきな景色がたくさんあります。
こんなつまらないところを紹介するなよ、と皆に怒られそうなので 番組で色々な所を紹介して下さい。
お手紙は道端で読むのも何なので、漁港の埠頭の上で東シナ海を
眺めながら読んで頂けれぱ幸いです。
今は病で足が不自由になり、スキューバダイビングなんて到底叶わなくなってしまいましたが、私のもう一度訪れたい風景です。
鈴木 成夫(しげお)52歳
追伸
もし与論島にご宿泊されるのであれば与論献法にはお気を付け下さい(笑)
火野正平さま、チャリオくん、スタッフの皆さま。ごきげんよう。
火野さんに是非行って貰いたい場所は、鹿児島県与論島茶花港です。
茶花港から海を眺め、港に寝そべって空を眺めて貰いたいです。
そこは、主人のお気に入りの場所です。
主人は若い頃、家出同然で与論島に渡り、ダイビングショップの
アシスタントをして2年ほど生活をしていたそうです。
雪国生まれの雪国育ち。
南国、与論島での生活は、まさしくパラダイスだったそうです。
休みの日は、茶花港から海を眺め、寝そべって空を眺め、全身で南国の太陽と風を感じていたそうです。
雨の日は、近くの喫茶店で漫画本を読みあさり、たまに顔を上げて窓から海を眺めでいたそうです。
喫茶店のママさんは偶然にも新潟県長岡市出身で、ローカルな話を飽きもせず話し込んだとか。
そんな放蕩息子を、家業を継いで貰いたいお父さんが、わざわざ新潟から迎えに行き、今は、家業を継いで長岡で生活しております。
そんな放蕩息子だった主人は、先天性の難病を発病し、ダイビングはもう出来ません。歩行さえ困難になりつつあります。
先日、今後の生活に備えての改築に伴い、ダイビング用品を処分する前、「これはな、俺の命を預けていたんだよ。だからセッティングも片付けも誰にも頼まず、全部、自分でやったんだ。ありがとう!!俺を守ってくれて!!」と いとおしそうにナデナデしている姿を見たら、涙が出てきました。
火野さん、そんな主人に、大好きな茶花港からの海、空、波の音、風の音を、見せて、聞かせてもらえませんか?
冬に向かうこの季節、南の島に渡るのは困難かと思いますが
是非是非、お願いしたいです!!!
最後に、旅の無事と、皆さまの健康をお祈りいたします。
ごきげんよう。
追伸 主人は「成夫(しげお)」ですが、島のみなさんには
「なりお」と呼ばれていたそうです。
新潟県長岡市 鈴木 晶子 50歳
新潟県長岡市
鈴木成夫さん(52歳)晶子さん(50歳)からのお手紙