にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、チャリオくん、スタッフの皆さん、こんちわーす。
毎朝、毎晩楽しく拝見しております。朝版を職場のテレビで見たいがため、すっかり早起きの習慣がつきました。
さて、私のこころの風景は鹿児島県志布志市志布志町志布志にある、フェリーターミナルです。
今から20数年前の1月の風の冷たかった日だったと記憶しています。
入社1年目がもうすぐ終わろうとしていた頃、東京勤務だった私は、志布志市(当時は曽於郡志布志町)にある支店への転勤を命ぜられました。
埼玉生まれの埼玉育ち、生まれてからずっと実家暮らしをしていた私にとって、初めての一人暮らしが実家から遠く離れた、ましてや何の縁もゆかりもない鹿児島になるとは思ってもみませんでした。
一人暮らしの不安とたくさんの思い出の詰まった実家から離れる寂しさから、出発までの日々、何かにつけて涙が出ました。
そして、小雪が舞う日、母と姉に見送られ、南国・鹿児島へと旅立ちました。
予想はしていたものの、初めての一人暮らし、うまくいかない仕事、慣れない土地、難しい方言など色々なものに悩まされる日々でした。
どうにも行き詰った時、「ちょっと出てきます」と同じ関東出身の先輩と向かったのが、職場からほど近いフェリーターミナルでした。
駐車場に車を止め、タバコをふかし、缶コーヒーを飲みながら、停泊するフェリーを眺め、「これに乗ったら実家に陸続きのところまで帰れるんすね」と話したものでした。
そんな日々が2年続きました。志布志では珍しく、これまた風の冷たかった日、別の土地への転勤を命ぜられました。
その日の晩、先輩方の音頭で内輪の送別会を開いてくれました。その席で、人目もはばからず大号泣しました。先輩方も一緒に泣いてくれました。泣きながら来た土地から泣きながら出ることになったのです。
辛いことが多かったのは確かです。それでも素敵な出会いや楽しい思い出もたくさんありました。
何より、みんな若くて、エネルギッシュで、情熱にあふれていて、自分も含めて仕事にも遊びにも全力で取り組んでいたのです。そんな人たちと別れることが本当に辛かったのです。
あれから時が流れました。
若さも情熱も髪の毛も失せましたが、何度かの転勤を経験しながら、私はいまだ同じ会社に留まっています。
一緒にフェリーターミナルに行った先輩は残念ながら退職されましたが、送別会で泣いていた自分を励ましてくれた先輩は、幸いにもいまだ自分の「兄貴」でいてくれています。
時折、出張で志布志を訪れることがあります。
港を見下ろせる高台から日の光を浴びてキラキラと光る志布志湾とフェリーターミナルを眺めると当時のことを思い出し、胸がいっぱいになります。そして、若くてエネルギッシュで情熱にあふれていた頃の自分を懐かしくも思ったりもします。
フェリーターミナルは休憩するにはとても良い場所です。
長い旅の途中、正平さんも是非、フェリーターミナルで一服して頂ければと思います。
これからも楽しい旅を見せて頂けること楽しみにしております。
追伸
根性なしの私は禁煙して4年になってしまいました。
中嶋 友弘 男 45歳
東京都足立区
東京都足立区
中嶋友弘さん(45歳)からのお手紙