にっぽん縦断 こころ旅
正平さん、チャリオ君、スタッフの皆様、いつも番組を楽しく拝見しております。私の心に残る場所は玖珠町豊後森機関庫です。そこは小学校の遠足で訪れた場所です。
当時私は家の近くの塚脇小学校に入学したばかりでした。
父は戦後間もなく国鉄職員となり、豊後森駅に勤めていました。夕方、父が帰宅すると抱っこされたり、頬ずりされたり・・・・そんな父が大好きでした。
遠足の日、朝から私は 父の職場はどんな所だろうとワクワクしていました。協心橋を渡り、春日町を通って、十字路を右に曲がりました。豊後森駅が見え、その少し奥に転車台がありました。皆でSLを見学していると「おーぃ、敦子」と父の声。
驚いて2階をふりかえると父が手を振っていました。うれしいやら、恥ずかしいやら。でも友達に「私のおとうさん!」と自慢した記憶が残っています。
父はその翌年に大分市へ単身赴任。いつしか私にとって月に何度かバナナをお土産に帰って来る人となりました。
はじめはとても嬉しかったのです。また学校で友人が家族の話をしていると羨ましくて寂しくて。
中学進学と同時に再び父との同居生活が始まりました。が、私は戸惑いを隠せませんでした。
その後 52歳で父は体調不良のため早期退職。
私が嫁ぐ時「これからはただいまでなく、こんにちはと言って帰省するんだよ」と私に背を向けてポツリ。私が帰省する度に「これはこれは」と満面の笑みで迎えてくれました。
ガンが見つかってからは大好きなお酒を断ち、最期まで家族の事を思ってくれていました。あと数年で兄が父の年歳を迎えます。
父が若い時に勤めていたあの機関庫、今では国の有形文化財に指定され、大切に守られています。そこに行くと亡き父の声が聴こえてくる気がします。
正平さん、是非その機関庫と、大きな楠の切り株のような伐株山(きりかぶさん)を見て来て下さい。よろしくお願いいたします。
花田敦子(61歳)
福岡県福岡市
花田敦子さん(61歳)からのお手紙